『水曜日14時の奇跡』— シーズン②前日譚:命の恩人「お爺さん」との11年 —
【第1回 神童の終わり——父の死で「守護」が消えた冬】
【時系列の杭】幼少期〜13歳
人生には、あとから振り返って初めてわかる
「決定的な分岐点」があります。
私の人生の最初の大きな分岐点は、13歳の冬——父の死でした。
1. 6歳のそろばん塾——アイスクリームがくれた最初の成功体験
私は、地元では「神童」と呼ばれる子どもでした。
その始まりの一つが「そろばん」でした。
6歳、保育園の年長の時。
3つ上の姉が通っていたそろばん塾で塾長に
「五の段まで覚えてきたら入れてあげる」
と言われたらしいのです。
私は数日後、九九を全部覚えて塾に通うことになりました。
最初は泣きながら食らいついていました。
塾生は50人くらいいて、みんな年上。
規律も厳しく、最年少の私には圧倒される空気でした。
でも、昇級試験に合格して褒められると、
だんだん楽しくなっていきました。
誰よりも早く問題を塾長のところへ持っていき、
満点を取ると、ご褒美にアイスクリームをもらえた。
それが嬉しくて、私は夢中になりました。
半年後、日本商工会議所3級の試験を受けに行き、
姉と姉の友人たちが不合格の中、
保育園児の私だけが合格しました。
小学生高学年や中学生たち30人くらいに囲まれて
「やばい!はや!」
と言われた時の、あの優越感と達成感。
私はあの時、「できること」の快感を覚えたのだと思います。
習字や水泳、英会話など他の習い事や交通事故で入院もありましたが、小学3年生には珠算・暗算1級に合格していました。

運動会ではごぼう抜き。通知表はオール5。
生徒会長、野球部と陸上部のキャプテンも経験しました。

周囲から
「将来が楽しみだ」
「何でもできる子だ」
と言われながら、私は育っていきました。
その頃の私は、本気で思っていました。
人生は、このまま思い通りに進んでいくのだと。
——守られていることに、気づきもせずに。
2. 父とのキャッチボール——理屈ではない唯一の幸せ
旅行会社を経営していた父は、忙しい人でした。
週末は団体旅行の添乗で全国を飛び回り、添乗がない日は、
お客様との付き合いで朝まで麻雀をして、そのまま馬券を
買いに行く。そんな生活をしていました。
だからこそ、父の貴重な隙間時間にしてくれた
キャッチボールは、私にとって特別でした。
当時プロ野球選手が夢だった私にとって、
父とボールを投げ合う時間は、理屈ではない
唯一の幸せな時間でした。
部活の始まった4年生で早速チャンスをもらい、
結果を出し、
5年生から不動のレギュラーになれたのも、
父とのキャッチボールがあったからです。
今思い返しても、あの時間だけは本当に温かい。
私は父のことが、好きだったのです。
でも——
父には、もう一つの顔がありました。
3. 鬼の形相——父への恐怖と、最初の逃げたい願い
母はいわゆる「教育ママ」でした。
生真面目で、せっかちで、完璧主義。
6歳で珠算3級を取ってからは、私にとって
「できて当たり前」の日々でした。
学校のテストで96点を取っても、
たった一問のケアレスミスを30分責められる。
通知表に4が二つ付いた時は、怖くて家に帰れませんでした。
高学年になった私は当然、我慢の限界が来ます。
「うるさい! いい加減にしてくれ!」
と反発する。
その瞬間でした。父が鬼の形相で現れて、
「親に向かって何だその口の利き方は!」
と、吹っ飛ぶほどのビンタが飛んできたのです。
目が血走り、謝っても許してくれない。
私は何度も、母への反発がきっかけで父に殴られました。
そして本気で思うようになったのです。
「父親なんて、いなくなればいいのに。」
今の私には、それがどれほど「危うい願い」だったか分かります。
でも当時の私には、ただ「殴られる恐怖」から解放されたい、
その一心でした。
父とのキャッチボールは幸せだったし、大好きだった。
でも、私が高学年になってからの父は、怖かった。
好きだったのに、いなくなってほしいと願っていた。
この矛盾した感情が、子どもだった私の心の中に、
ずっと同居していました。
4. 進学校での挫折——そして、父の余命宣告
地元の中学校が荒れていたこともあり、
私は中学受験をすることになりました。
「合格したら犬を飼っていい」
その約束を励みに、夏の野球大会が終わると受験勉強を始め、
合格しました。念願の犬を飼ってもらい、
小学生時代の我慢がすべて報われたような気がしました。
でも、進学校に入ってすぐ、人生初の挫折が待っていました。
そこには、小学校で一番だった子たちが、当たり前のように
集まっていました。オール5だった通知表は、体育と数学の
5以外ほとんど3。
私の自信の核だった計算力でさえ、同じレベルの生徒が
何人もいる。
「井の中の蛙」だったのです。
その一学期の通知表をもらい、母に「過去イチ」叱られた直後、
父の直腸がんが見つかりました。
大学病院での精密検査の結果、末期がん。
すでに肝臓などにも転移していて、余命半年でした。
母と姉は当然ショックで、涙を流していました。
私もショックでした。
でも——
私は今でも、その時のことをはっきり覚えています。
胸の奥で「安堵感」が湧き上がったのです。
不謹慎ですよね。でも、それが真実でした。
「あの恐怖から解放される」
そんな感覚が、私の心の奥底から確かに湧きあがったのです。
私はその時初めて、自分の中には「表の自分」だけではない、
もう一つの「深い層」があるのだと、ぼんやり感じていました。
今の私には、それが「もう1人の自分」
すなわち「魂」の想いだったのだと分かります。
でも、当時の私はただ混乱するしかありませんでした。
5. 父の最期の目——「後は頼んだ」
時代が「昭和から平成」に変わり、
父の余命も残り僅かとなった頃には、
抗がん剤治療からモルヒネ投与に変わっていました。
頑固で強がりだった父は、最後まで一切の泣き言も
弱音も吐きませんでした。
そして、最期の瞬間。
主治医が酸素マスクを外した後、
父はほんの数秒、周りを囲む親族の誰でもなく、
私だけを探すように目を動かしていました。
その時、私は人生で初めて、
父に対して心の底から申し訳ないと思いました。
ずっと「いなくなればいいのに」と願っていた。
それが現実になってしまった。
悲しみとともに、
大きな“罪悪感”が、一気に押し寄せてきたのです。
そして、その瞬間——
胸の奥にはっきりと届いたものがありました。
「今まで本当に申し訳なかった。後は頼んだ。」
今の私には、それが父の魂が発した想念であり、
私の魂がそれを受け取ったのだと分かります。
あの日を境に、私の世界から「安全装置」が消えました。
父がいなくなったことで、私の人生は本当の意味で、
一人で戦わなければならない局面へと入っていったのです。
あの夏以来、私はずっと一人で戦う練習をしていた。
——それが、30年後に試されることになる。
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