居酒屋wagaya;じゃわめぐことが減ってくる
ある程度年を重ねてくると口に出していい事と一生黙っていた方がいいのかなという出来事に出会う事がある。
しかし自分の中で消化できない事は誰かに聞いてもらいたい時もある。
だが大勢のいる場所や知らない人のいる場所では話せない、話したくない時もある。反面嬉しい事もある。でも自慢ととられることにも抵抗がある。
そんな時に黙って聞いてくれてどこにも話が漏れていかないだろうなという居場所が居酒屋wagayaである。
今日もまた旅人が訪れる。
「こんばんわ!」
「いらっしゃい!」そう言ってママはお通しとビールを出してきた。
今日はナメタガレイの煮つけだよと言いながら出来上がったばかりの品を目の前に置いてくれる。煮汁を多めにかけてもらい長ネギに絡ませながら食べると美味しい。
ママさん、今日の新聞見た?
昔の蕪島の写真が載ってたよね。

蕪島はウミネコの繁殖地として
国の天然記念物に指定されている。
いつかの姉妹会の帰り海岸沿いをドライブしたとき94歳と90歳の姉たちが言ってたのは、「昔は吊り橋だったから、子どもの頃遊びに来ると後ろから来た男の子たちがわざと揺らして歩くのでおっかなくて(怖くて)歩けなかった」ということだった。「ふーん」と聞いてはいたもののどこからどこまでが橋だったのかも見当がつかず全く想像もできなかったけど、今日の新聞を見て納得したのよ。ほんとに孤立した島だったんだね。
私の小さい頃はもう海水浴場になっていたし、陸続きでもちろん橋はなかったし、今では蕪島までの道が整備されて楽に歩けるようになっている。
ウミネコの糞だけは要注意だけどね。
鮫地区の沿岸に位置する蕪島はかつて、陸地と切り離された文字通りの「島」であり、頂上の蕪島神社と共に、漁師が海上の安全と豊漁を祈願する聖域だった。
その島域を軍事要塞とすべく、海軍は架け橋を取り壊し陸続きに埋め立て、さらに島内に5本の坑道を掘った。爆薬を搭載して敵艦に体当たりする有人の水上特攻艇を坑道に隠す計画だった。
蕪島の軍事要塞化工事は1942年から着手されたらしい。
戦争のさなかに埋め立てられたことを初めて知った。
地元大好きなのに何にも知らないなと思った。
蕪島の変貌を目の当たりにした正吉は、悲痛な叫びをあげる。
<痛ェ~、痛ェ~! 島ァ痛がっておりあんすべが。ゴメ(ウミネコ)んどァ、止めでけさい止めでけさいって鳴いでいるのァ聞こえあんせんがい・・?>
5月30日、31日の二日間、柾谷伸夫さんの一人芝居「海村」が上演される。
1982年から演じ続けてきた作品で今回が最後になるらしいと聞いた。
「海村」の主人公は明治から昭和期を生きた鮫地区の漁師・吉田正吉。
正吉の悲痛な叫びをちゃんと聞いておきたいと思いチケットを購入した。
「戦争にかかわる話は嫌いなんだよね」
「ほとんどの人がそうだよ」とママが言う。
「若い頃ね・・・
若い頃ね、付き合っていた人と一緒に映画を見に行ったんだよね。
「連合艦隊」
流れる曲は「群青」
涙が出て・・
それ以来戦争関係の映画は見たくない。
「じゃわめぐんだよね」
じゃわめぐ・・これをどう説明しようか?
予測できない何かが起こりそうな、そんな不安が体中にまとわりつき、
居ても立っても居られないような、落ち着かない心の状態
とでも言えばいいのかなぁ?
方言の説明難しいね!
ともかくじゃわめぐんだよね。
今までは避けてきたけどこの年齢になってようやくいろいろなものを見ようという気持ちになってきた。たぶん怖いものが無くなってきたんだよね。
じゃわめぐ事が少なくなってきたように思うし、動けるうちにやりたいことをやろうと思えるようになってきた。知りたいと思った時に行動しよう!
投げやりではないけど「なんでもかかってきなさい!」くらいは思っている。でも蜂と蜘蛛と毛虫は嫌いだ。
たぶん彼らもお前のことは嫌いだと言っているに違いない。
「ママさんは怖いものある?」と聞いてみた。
ウフフ
鏡に映る自分の顏よ!
怖っ!(笑)
お邪魔しました!
いつもありがとうございます
またお寄りくださいね!
