「拾った小石」⑪(#創作大賞2025#恋愛小説部門)
続きです
(1603文字)
何だか昨日の今日で、今日が雨で良かったと思った。少し疲れたような顔をしていても、周りの景色に溶け込むような気がするのは私だけだろうか。予約が入っていたこともあって、体を引きずるように仕事に向かった。
出勤をすると、店長がすぐに体を近づけてきた。
「おはよ。伊藤さん。昨日は矢上様邸でホームパーティーだったんでしょ?どうだった?」
「それが......ちょっと貧血を起こしたみたいで、すぐ、失礼してしまったんです。申し訳ないことをしました。」
「そうなの。大変だったわね。今日は大丈夫なの?無理しなくていいのよ。予約のお客様はみんなでフォローするから。」
「いえ。大丈夫です。ありがとうございます。」
矢上様が次にご来店されるのは三週間後になっている。又、動悸がするんじゃないだろうか。
夕方、矢上様に電話を入れ、昨日の失礼を詫びた。
「麻美ちゃん、大丈夫?昨日は残念だったわ。えいとが随分心配していたの。声が聞けて安心したわ。」
矢上様とえいとの姿を見て動揺してしまったが、私が思い巡らしても仕方のないこと。矢上様はとても親切な方だ。えいとが矢上様の側にいれるのであれば安心だ。もう、考えないことにしょう。
それから矢上様の予約の日はあっという間にきた。今、私は、勤務先近くのカフェで、矢上様を前に座っている。今日ご来店された矢上様が、私を前に顔を近づけ、小さな声でこう言ったのだ。
「麻美ちゃん、今日は何時に仕事終わる?貴方にどうしても話しておきたい事があるの。ここでは言えないの。わかるでしょ?」
「麻美ちゃん、ごめんね、仕事帰りに。」
「いえ。こちらこそ。随分お待たせしてしまって。」
「いいのよ。私はどうせ暇してるの。この近くでショッピングしていたらあっという間よ。お腹空いてない?簡単なものなら食べれそうだけれど。」
「私は、ホットにします。」
「そっ。じゃあ、私も。私、麻美ちゃんのこと、買ってるのよ。麻美ちゃん、技術は勿論だけれど、無駄口は叩かないし、信用しているの。だから、言うんだけれど。」
ホットコーヒーが二つきてから、矢上様が一人で喋り始めた。
「えいとの事なんだけれどね。一年半ぐらい前のことかな〜。」
矢上様は宙を見上げ話しを続けた。
「私の乗っている車の前にね、フラフラ〜って、飛び出してきたの。元々スピードも出ていなかったから当たらなかったんだけれど、私のお抱え運転手が慌てて外に出て確認したら、転んだ拍子に擦り傷しているし、何だか、ぼ〜っとしているって言うの。私も気になって外に出ると、持っていた紙袋も汚れて破れているし。貴方、大丈夫?って聞いても消えそうな声で何を言ったかわからない。病院行きましょうって言ったら、それはいいです。って、断るのよ。でも、そのままだと後味が悪いじゃない。とりあえず、傷の手当てもしてあげたいし、車に乗せて家に連れて帰ったのよ。怪我の手当てを終えて水を勧めると一気に飲んだわ。よほど、喉が渇いていたのね。よく見ると、綺麗な子でしょ。私、若い頃、流産しているの。だからかな〜。ふと、息子がいたら......なんて思っちゃって。」
矢上様は話しを続けた。
「自分でも魔が差したとしか思えないんだけれど、事情を聞いたの。そうしたら、住み込みで働けるところを探しているけれど、どこにも無くて困っているって言うの。じゃあ、ここに住む?って思わず言っちゃったの。運転手の天野も、お手伝いのたかさんもいい歳だし、二人を手伝ってくれたらいいわよ。って。そうしたら、それまで死んだ目をしていたような子が、パッと顔を輝かせたわ。」
私は矢上様の話しを聞きながら、あの夜、私が渡した紙袋を手に持ち、どんなにか心細かったろう、一人、月を見上げることもなく、下を向き、泣きながら歩いてるえいとの姿を思い浮かべ、胸が締め付けられるようだった。
続く
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