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連載恋愛小説-「秘密」⑨


続きです         
                (1648文字)


「藤城さん。先程言われていた書類です。」
「ありがとうございます。」

藤城というのは僕の苗字だ。
大学を卒業後、そのまま実家に帰らず中規模の会計事務所に就職して五年目の若葉の頃を迎えていた。

大学時代に自分の寂しさや虚しさを意図せずとも埋めてくれた美佳子さんとの関係が終わってから、僕は強くありたいと思うようになった。資格も、取れるものは順番に取っていった。僕は僕自身の為に、いつかの誰かの為に、仕事に没頭する。

そんな充実したある日の午後、いっちゃんから電話が入った。窓の外には艶やかな若葉が柔らかい陽射しを浴び命の芽吹きの音を奏でる。窓際に立ち電話に出る。

「いっちゃん珍しいね、こんな昼間にどうしたの?」
「和くん、おっ、お父さんが。お父さんがね......倒れて病院に運ばれたんだけど......」


いっちゃんの受け入れられないといった事実の衝撃に震えた声が、僕の耳に入ってきた頃には僕の全身もカタカタと震え出していた。 
窓の外の若葉の表情だけが電話の前と変わらず新しい命を教えてくれる。



お父さんが死んだ?


僕は藤城家のたった一人の息子だ。
大きく息を吐き、
落ち着け。お前はあのお父さんの子だ。
大丈夫。しっかりするんだ。
電話を切った後、そう自分に言い聞かし上司の席に向かった。

街の景色が遠のいて行く。僕は数日の荷物を持って電車に乗っている。隣県の実家に向かう。幾つか電車を乗り継ぎ故郷に近づくに連れ、電車の中が空いていく。僕は一人シートに座り父を想う。父が、僕を産んでくれた母と結婚したのは今の僕より若かっただろう。父が父親になったのは今の僕ぐらいの時。母と死別をしたのがそれから三年後。父が自分の母を亡くしたのはそれから三年後くらいだろうか。父が自分の父を亡くしたのは何歳の時だったのか僕は知らない。一体父は人生の山や谷を幾つ経験してきたのだろう。小さかった僕の手を引いて歩いていた父。いっちゃんへの贈り物を一緒に探したあの日。仕事に誇りと生き甲斐を持ちほとんど家にいなかった父。僕も今そうだからそれはとても良くわかる。今の僕は自分のことだけ。到底その頃の父には及ばない。僕は父にまだ何も返せていない。親孝行出来ていない。

気がついたら僕の目から涙が静かに頬を伝い口まで届き、しょっぱさに慌ててハンカチを探し出す。外は日も暮れ、窓に映るのは流れゆく田舎の灯りと僕の歪んだ顔だけ。涙で滲んで歪んで見えるのか、僕自身が歪んでいるのかもはわからない。



「いっちゃん、お疲れ様。」
「和くんも、お疲れ様。お茶でも淹れようか。」
「いっちゃん、座ってなよ。僕が淹れてくる。」

お葬式を済ませ皆んなが帰った夜だった。

この頃はもう葬儀屋さんにまかせる時代がきていたが、お寺の手配、役場や村への連絡、ご近所や親戚への気遣いなど、身内は悲しむ間もなく葬儀の準備が待っている。式が終わってからも食事の準備や同日の初七日、御詠歌と続く。


どちらからもとなくふ〜っと、大きなため息を吐き、二人でポツンと仏間の真ん中に座っていた。五月といえど、夜はほんの少し肌寒かった。

「美味しい......」

「うん。」

「いっちゃん......お母さん......一人で寝れる?」

「ありがとう、和くん。明日も朝からすることがたくさんあるわ。和くんも早くお風呂に入って休んで。」

「そうだね。まだ明日がある。先にいくね。」

お風呂から上がるとお茶の片付けも済ませ和室も明日に向けて整えている。いっちゃんはいつだって抜かり無いよう周りに気を配って生きてきた。
少し小さく見えるその後ろ姿は悲しみを背負い忙しなく動いている。

僕は父を失った悲しみと、もし、いっちゃんを失ったら堪え難いと思った胸の痛みがいっぺんに押し寄せてきた。

「いっちゃん、後は僕がするよ。早くお風呂に入りな。」

「んっ?ありがとう。」

振り向いたいっちゃんの目は涙が湛えていた。


僕は不意を突かれ胸の奥がキュッとして締め付けられた。


続く

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