「拾った小石」④(#創作大賞2025#恋愛小説部門)
続きです
(1631文字)
浅い眠りの朝、ベッドの下を見ると、彼はまだ、丸まったまま眠っていた。そっと降りて、仕事に行く用意をする。
「すっ、すみません。すっかり眠ってしまったみたいで。」
しばらくして目を覚ました彼が焦って声をかけてくる。
「おはよ。私、小一時間すると仕事に行くの。あなたの服乾いているから、そこに着替えは置いといてね。私、朝ごはんは食べないの。コーヒーしかないけど、あなたも飲む?」
「ありがとうございます。いただきます。」
「僕、いつぶりのコーヒーだろう......胃がびっくりしてる......」
その後は二人揃って無言のまま玄関を出た。
「ここから右に出て少し先に行くと交番があるの。何か困っているんだったら行くといいんじゃないかな。じゃ、私は左なので。」
スッと前に進もうとしたけれど、戸惑ったような彼の横顔を見て、財布の中から一万円札を一枚差し出した。
「はい。これあげる。何か食べ物でも買って。返そうなんて思わなくていいからね。」
彼は頭を下げて、一万円札を握りしめた。
私は拾った物を一晩で忘れた子供時代のように、彼の事も頭の中から追払い、その日一日仕事に没頭した。
なので、いつものように小料理屋でビールを飲み、自分のマンションに着いた時には驚いた。
捨てた猫は帰ってこない。なのに、なぜ、彼はいるの?一気に面倒な事になったと後悔の波が押し寄せる。
「どうしたの?」
「すみません。」
彼が申し訳なさそうに頭を垂れる。
「親切にしてもらったお礼に夕食でも作ろうかと思って。」
「ごめんなさい。本当に大丈夫。夕食はもう済ませてきたし。それにそのお礼って、あの私が渡した......じゃないの?」
「......」
唇を噛み締めて、材料が入っているであろうスーパーの袋を握りしめ、ママに叱られた小学生の男子のように立ち尽くしている。
又、私の心がゆらゆら揺れる。
「まっ、いいわ。あなた、ご飯まだなんでしょ?作って食べる?」
私は何をやっているんだという思いが、彼のクルクルした茶色の髪の毛と、哀しく危うい雰囲気に呑み込まれてしまった。
彼が一人でキッチンにいる間に私はその日の片付けを済ませ、彼にここで食べていいわよっと、小さなローテーブルを勧める。
「おっ、お姉さんって呼んでいいのかな?良ければ一緒に食べませんか。」
「ありがとう。でも、本当に大丈夫。」
彼は静かに豚肉ともやしの炒め物を食べ、終わったら片付けに立った。
彼は背中越しに私に話しかけてくる。
「お姉さん、何も聞かないんだね。」
「う〜ん。そうね。聞かない。」
「そっかぁ。でも、とても親切にしてくれた。お姉さんが居ないと僕は今頃、死んじゃってたかもしれない......ありがとう......でも、お姉さん、
優しいのに、何かに怒ってる気がするな。」
「えっ!?」
優しそうな顔の裏で怒っていると言われたのは初めてだ。母親や友達にも言われたことがない。誰にも気付かれず今までやってきた。そう、私はいつも怒っていた。何に怒りを覚えているのか自分でもわからないが、いつも怒りを隠して生きてきた。初めて本当の私を見つけてくれたと思った。
思わず私は彼の後ろ姿をぎゅっと抱きしめ、その背中に顔を埋めた。
私と彼は、海底に棲む深海魚。それとも岩棚の奥でひっそりと暮らすウツボだろうか。生温い空気の中で私と彼は抱かれ抱く。私は彼の腕の中で、硬い体のウツボもヌメヌメ、くねくねと体を寄せ合うのだろうか?等と考える。私は明るい陽射しが苦手だ。季節が春になってくると憂鬱になってくる。暗くひっそりと岩の隙間からたまに世間を覗きいつもはそう、身を隠しそっと息をする。私は安心して彼の腕の中でいよいよ何も考えない。ただ、揺れているだけ。彼が私を深い海の底に連れていく。私は気持ち良く溺れていく。
その夜、彼と私は、幾度も幾度も誰も居ない深くて暗い海の底につき、落ちていった。
次の日、私は初めて嘘をついて欠勤をした。
続く
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