連載恋愛小説-「秘密」➉
続きです
(2271文字)
季節はジメジメとした梅雨の時期に入っている。僕の家は五月雨に抱かれているようで、家の中は仄暗い。和室の縁側から見える庭ではしとしとと、雨に濡れた紫陽花が儚い夢を見ているようで、父が亡くなったことも夢じゃないかと思いながら、それでも目が離せなくて見ていると、
それは雨に打たれながらも凛として立っているいっちゃんのようにも思えてきた。瑞々しくて艶やかな雨粒を青に蓄えた様を見ていると、あの日、雨に打たれて帰ってきたいっちゃんの白い太ももを、ふと、想い出した。こんな時に一体僕は何を考えているんだろうっと、ふっと、苦笑いをした。
後一時間もすると、叔母さん達がやってくるだろう。今日は父の四十九日の日だ。いっちゃんにとって祖母の七回忌の法要以来だろうか。主となっては初めてのことばかりで、この日の為にお寺さんや叔母さんや家政婦で来てくれていたトキエさん等、色んな方に話しを聞いたようだ。僕にとっても父のいないこの家は、足元がぐらぐら揺れる不安定な船の上のようで何とも心許ない。でも、二人で色々話し合って準備してきたことは僕をほんの少し男にしてくれる。
ザザーッ。
雨の中、少し重たい音を出し砂利を敷いている庭に車が停まる。
貴子叔母さんとご主人だ。僕は慌てて傘を持ち外に向かう。
父には少し遠くに嫁いだ妹が二人いる。僕が小さい頃、二人の叔母にはそれぞれによく可愛がってもらった。母が亡くなった時にはぎゅっと抱きしめてもらったような遠い記憶がある。今までは意識もしなかったけれど、僕は色んな人の温もりの中で育ってきたんだ。感謝の気持ちが泉のように湧き上がる。
「おじさん、おばさん、足元の悪い中、今日はありがとうございます。」
「あぁ、和くん、今日はすっかり雨になってしまったわね。お墓に行くのも大変だわ。逸子さんもご苦労様。逸子さんには、本当にお世話になるわ。」
次々と来られる親戚の方を迎え、お寺まで僧侶を迎えに行き、家での読経を終え、お墓に向かい納骨式が始まる。僕は僧侶に傘を差し掛ける。優しく傘に落ちる雨の音と読経と、皆んなが着ている式服も、それぞれに背中や裾が濡れているのが相まって、涙のようで、辺りが寂しさに包まれる。
既に亡くなっている僕を産んでくれた母親と、同じ墓に入ってゆく父の遺骨を複雑な思いで皆んなが見守っていたに違いない。そっと、傘の中からいっちゃんの顔をさりげなく見ようとする者もいた。いっちゃんは相変わらずしとしとと降る雨の中、紫陽花のように儚げで、なのに、傘の下では諦念した人のような顔ですくっと立っている。滞りなく法要が進み、僧侶をお寺まで送り自宅に戻った時には少しホッとした。いっちゃんと会食の準備をしょうと和室の前に立った時だった。
「......遺産はたくさんあるんやないの?」
「......私は最初、結婚に反対やったんよ......」
「兄さん、どこの誰ともわからん若い嫁さんなんか貰うから......早よ逝ってしもて。」
「......和くんのことは、ちゃんと育ててくれたけどね......」
先に部屋に帰っていた叔母さんらが話している。
僕は怒りで一気に顔が紅潮し、中に入って一言言ってやろうと思い部屋に足を踏み入れようとしたところで、いっちゃんに腕を掴まれ制された。いっちゃんは静かに微笑みながら首を左右に振った。
あの時と同じだ。父が僕の成績が上がらないことでいっちゃんを叱っていた時。僕の震える拳を鎮めてくれた、あの時と同じだ。
いっちゃんはこうしていつも人の嫌な言葉も飲み込んで、僕にも気にしないでと無言で教えてくれる。いっちゃんはきっと自分の生い立ち等から遠慮して生きてきたんだ。とたんにいっちゃんが不憫に思えた。
......いっちゃんが愛おしい......
夜になって雨が上がり少し湿度が上がったきたようだ。線香の匂いだけが漂う静かな夜だ。
「......いっちゃん、いよいよ寂しくなると思うけれど、大丈夫?今夜くらい一緒に和室でお布団でも並べて、話しながら寝る?」
「んっ?大丈夫よ。ふふっ。ありがとう。かえって寂しくなっちゃうわ。早く一人に慣れないとね。」
「......いっちゃん......僕ずっと考えていたことがあって......もう少し先にはなると思うんだけれど、会社から独立しようと思っているんだ。」
「えっ?」
「地元に戻ってきて自分の会計事務所を立ち上げようかと思っている。家の一画を事務所に出来ればいいなと思っているんだ。そうしたら、いっちゃんのことも安心だし、細々とでも二人で食べていくには問題ないんじゃないかな。」
「......和くん......」
いっちゃんは大きな目を見張って僕を見つめている。
僕はお寺の下の公園の澄んだ空気と茜色の空を想い出していた。
......いっちゃんは僕が守るよ......
小学生の僕がいっちゃんに言った言葉。
「かっ、和くん、ちゃんと真剣に考えてる?あなたにとっての大事な仕事だよ。そんなに簡単にそんなこと言っていいの?それに二人で食べていくって、私のことは大丈夫。和くんには将来があるのよ。結婚だってするだろうし、あなたの足枷にはなりたくないわ。」
「簡単じゃないよ。ずっと考えていた。真剣なんだよ。いっちゃんが足枷になるわけないじゃない。いっちゃんは僕の大切な......母親だろ?母親の面倒ぐらいみさせてよ。」
いっちゃんは声に出さずに深く頷いた。
僕は目に光るものを認めた。
ごめん。
僕はほんの少し嘘をついたかもしれない。
続く
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