「拾った小石」⑰(#創作大賞2025#恋愛小説部門)
続きです
(1182文字)
それからの私は三ヶ月程、勤務先に戻り、予約されていたお客様の分は無事勤め上げ、引き継ぎを終え、店長に詫びとこれまでのお礼を述べ店を後にした。矢上様は大層残念がって下さったが、最後のご来店の日に、これまでのお礼よと、お品物を下さった。えいとの事はあれ以来、触れられる事はなかった。
家のリフォームも順調に進み、秋の終わりには無事引っ越しも済んだ。
今、私は毎晩、父と母と三人で食卓を囲んでいる。
母の美味しい手料理をあてに、毎日晩酌をかかさない父の相手をしながら、その日の何気ない話しをする事は、私にとっては新鮮で心が和らいだ。私自身、思いも寄らぬことだった。えいとの事が無ければ実家に帰って来る事もなく、父や母の人生に思いを巡らすこともなかっだろう。もう、私の中で静かな怒りもなく、母の愛情をあるがままに受け取り、愛おしく思えるようになった。こんな形で母を喜ばせることになるなんて、人生は全くわからない。人は人を傷つけたと悟った時、人の傷みに寄り添えるようになるのかもしれない。
季節は巡り、えいとと初めて出会った春から五回目の春を迎えようとしている。
ほんのり春の気配を感じる今日は、仕事の予約を入れず久しぶりに街まで出てきた。私がずっと、働き住み続ける街だと思っていた。でももう、心がざわざわすることもない。ふと、何かの拍子に、えいとの目尻をくしゃっとした笑顔や、最後の悲しそうな顔を想い出すが、ただただ、元気でいてほしいと祈りにも近い気持ちになる。
穏やかな陽の光を浴びて、街の中を闊歩する。
数日後に母の誕生日がくる。母の喜ぶ顔が見たい。誕生日プレゼント何にしようか。心が浮き立つ。
無事、プレゼントを手に入れて帰った私に、母が庭で声をかけてくる。
「おかえり、麻美。一時間程前だったかな?若い男性が麻美を訪ねて来たわよ。居ないことを告げたらわかりました。って、帰っちゃったんだけど。」
一瞬、時が止まり、私の足元の砂利の音だけが微かにした。
.
.....えいとだ。えいとが来たんだ。一気に体温が上がり喉がカラカラになる。足が震え心臓が早鐘を打つ。もう、バスに乗って帰ってしまっただろうか。まだ、近くにいるだろうか。公園にいたのだろうか。もっとちゃんと周りを見ておけば良かった。
私の中の封じ込めていた感情がパチンと弾けた。
「ありがとう、お母さん。帰ってから詳しい事は話すわ。公園の辺りまで行ってくる。」
私はそう言うなり母に荷物を渡し、母の言葉を待たずに帰ってきた道を又、大急ぎで駆け出した。気持ちばかりが焦り、途中、足が絡まり転びそうになった。自転車を借りたら良かったと後悔しながら、走るのをやめられなかった。
えいとじゃないかもしれない、いや、きっとえいとだ、えいとであってほしい、そう強く願った。
続く
いいなと思ったら応援しよう!
応援していただけると、とっても嬉しいです。いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます。