見出し画像

「拾った小石」⑭(#創作大賞2025#恋愛小説部門)

続きです        

               (1441文字)

私はマンションの扉を閉めるなり、その場に座り込んでしまった。目からは大粒の涙がとめどなく流れてくる。嗚咽を漏らし、暫くは立ち上がれなかった。

よろよろと立ち上がり、着ていた服を脱ぎ散らかし、ベッドに倒れ込んだ。こんなに泣くのはいつぶりだろう。私は何故、こんなに泣いているのだろう。えいとの人生を思い、えいとが不憫で泣いているのか。えいとの今を安堵した涙だろうか。非情な事をした自分が許せなくて情け無くて後悔している涙だろうか。矢上様は拾った小石を、原石を、磨き輝かせ、それを宝石に変えようとしている。私には出来なかった。小石をただの小石と街の中にポンッと放り捨て、踏まれようと、転がされようと気にもしない。勿論、矢上様の様に、人脈も資金も知識も無い。えいとの素性を知ったところで私には何も出来なかった筈だ。えいとの中の何かがそれを敏感に感じとり察知したに違いない。力の無い自分が情け無く、矢上様が羨ましくて泣いているのだろうか。一瞬でも矢上様とえいとの関係を疑った自分が恥ずかしい。いや、私のプライドなんて大した事ではない。えいとは.....えいとはもっと深刻だった筈だ。私はえいとによって、束の間、ぬるま湯に浸かり癒されていたけれど、えいとはどうだったのだろう。私といても、ずっと、ずっと、不安の中にいたに違いない。私を抱きしめていた瞬間だけでも、不安を忘れることが出来ただろうか。えいとと私は、何故、幾夜も深い海の底に溺れていたのだろう。お互いの不安と寂しさをただ、抱きしめ合って誤魔化していたのだろうか。だからあんなにも深い海の底が心地良くて上がって来れなかったのだろうか。

私はえいとの事を自分の中で、彼と言っていたのに、矢上様と一緒にいるえいとを見た時から、えいとになっている事に気が付いた。今になってやっと一人の男性、えいととして認識したのかも知れない。こんなにも人のことを考えたことは初めてだった。

明け方まで一睡も出来なかった私は、勤務先に電話を入れ、しばらくの休暇を申し出た。

私はベランダの窓のカーテンを思いっきり開けた。雨はすっかり上がり空が高い。雨上がりの空は眩しくて日差しが眩しい。目を細めベランダから遠くを眺める。下を覗くと人がそれぞれの思いをかかえ、今日という日を行き来している。私は大きく息を吸い込む。

無になり、一日、部屋の中を隅々まで拭き上げた。キッチンに付いている普段閉まったままの扉を開けてみる。えいとが買ってきた、まるでおままごとみたいなカラフルなキッチンツール等を一切合切入れているスーパーの袋を開けてみる。いつも外食の私が夕方近くになり、買い出しに行く気になったのは、何故だろう。料理の出来ない私は、牛肉、じゃがいも、玉ねぎ、にんじん、ビーフシチューのルーを買って帰る。キッチンに立ってみた。えいとが最後の夜に作ってくれたビーフシチュー。部屋の中いっぱいに、笑顔と匂いを漂わせた愛情のこもったビーフシチュー。なのにあの夜、私は一口も口にせず捨ててしまった。あの時のえいとの悲しみを思うと申し訳なさで一杯になり、又涙が振り返し、泣きながらビーフシチューを飲み込んだ。えいとの気持ちに応えず、一切慮ることもなく、自分の事しか考えなかった。そんな私にえいとが本当の事など話すわけが無いだろう。

その夜のビーフシチューはえいとの作るビーフシチューとはまるで違い、味は全くしなかった。


続く

いいなと思ったら応援しよう!

蒼あお 応援していただけると、とっても嬉しいです。いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます。