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連載恋愛小説-「秘密」⑲


続きです
                (2826文字)

いっちゃん、もう少しだけ待っていてね。
いっちゃんを一人にはさせないよ。
いっちゃんは僕が守るから。
僕がいる意味はいっちゃんの隣だけ。


僕はこの日のために少しずつ準備をしてきた。
顧客を整理し事務所を片付けていき、廃業届けを机の上に置く。家の中も随分たくさんの物を処分して少しずつ整えてきた。お墓のこともある。親戚に向けお金だけは準備して遺言書を書く。和室に入り壁に掛けてある遺影を見ながら、代々続いてきた藤城家が途絶えることを胸の内でそっと詫びる。父と母に手を合わせ、後は僕らの痕跡を消すだけだ。


僕はいっちゃんの骨壷を大切に抱え僕らの二階の部屋に行く。いっちゃんの晩年は一階の部屋で過ごすことが多かった。

「いっちゃん、久しぶりの僕たちの部屋だよ。懐かしい匂いがするね。」


花瓶には庭で切った紫陽花が一枝。蕾のままの紫陽花が今日までの僕といっちゃんを静かに支えてくれた。

僕は花瓶の隣にいっちゃんの骨壷を置き、真っ白な掛シーツをめくってベッドの真ん中で寝転び目を瞑る。いっちゃんと過ごした幾つもの夜を想い出し一筋の涙が頬を伝う。

僕は体を起こし、いっちゃんが最後に残してくれた僕へのノートを開く。



「和さんへ」

今、和さんがこのノートを見ているということは、私はとうとうこちらの世界にいないのですね。今まで私の生きている限り、見ないでね。っと言った約束を守ってくれてありがとう。

和さん、あなたにはどれだけの想いを伝えたら良いのでしょう。

私は物心つく頃にはすでに養護施設で暮らしていました。有り難いことに、養護施設に勤める大人たちは良心的で公平性の高い人達でした。その時点で私はその後の人格形成においてとても恵まれていたのだと思います。

私はみんなが私に接する態度からうすうす、どうやら私は可愛い顔立ちに生まれたのだと思うようになりました。出会ったこともなく、どのような人達だったかも知りませんが、私を産んでくれた両親に感謝出来る一つのことかもしれません。    

養護施設の先生からは「逸子ちゃん」と呼ばれ、その中でも髪の毛をよく三つ編みにしてくれた君枝先生が私はとても好きでした。ある日、君枝先生は私に「逸子ちゃん、あなたの笑顔はとても可愛いわ。賢い人になるのよ。」っと言いました。子どもだった私は賢い人の意味がよくわかりませんでしたが、とても嬉しくて、その日からより安心して笑うようになりました。子どもは純粋ですね。ほんの少しの言葉で勇気をもらえ、そんな風に振る舞えるようになり、いつしか、それが自分を形作ってくれるんですもの。私はけっして平坦に生きれるとは言えない境遇の中でも出会った大人達に救われました。あなたは冷たい子ね。可愛いくないわね。っと、言われ続けていたら、きっと、そのような人間になっていたと思います。卑屈にならずに育ったことは周りの人に感謝すべきことです。

ある日クラスの友達のお誕生日会で自宅に招かれました。その時の私の気持ちをどう表現したら良いでしょう。ごく普通のご家庭だったと思いますが、青い瓦屋根の二階建ての家がとても眩しくて私の目に焼きつきました。私はその時、一軒家にとても強く憧れを持ったのです。親というものの概念はあくまでも想像でしかありませんでしたが、両親と嬉しそうに話す友達の姿は私の心の中に棲みつきました。一方で、家庭不和の家もありそうだということも薄々わかってきました。

和さんのお父さんと知り合う前に私は既に恋をしていました。養護施設を退所してから入社した同じ会社の人ですが、私の生い立ちが原因で恋もせっかく手に入れた事務の仕事も手離すことになりました。私は失うことの怖さを生まれて初めて身を持って知ったのです。一旦幸せを手に入れかけた者はとても弱い。知らなければそこまでの孤独感は味わわなかったかも知れません。知らないのですから。

不安と孤独に押し潰されそうになりながら、私は昼も夜もバイトを掛け持ちしお金を貯めることだけに意識を向けました。

私の勤めているお店で出会った和さんのお父さんはとても良識のある朗らかな方で、気遣いの出来る方でした。たまにいる他の方のように私を軽く扱うこともしませんでした。いつしか、私は和さんのお父さんを待ち侘びるようになりました。年が離れていたせいもあり、私は和さんのお父さんに、出会ったこともない実の父親を感じていたのかもしれません。私は安心して話しが出来るお父さんをお慕いするようになり、徐々にお父さんもまた、明るい笑顔の裏で誰にも見せない哀しみを私で埋められているようにも思いました。    

お父さんは亡くなられた奥さまや和さんのお話しをよくされました。私はお父さんから聞かされるお二人のお話しが本当に好きで、せがんで聞かせていただいたこともあります。私には経験したことのない愛が語られるのです。お父さんの口から出る奥さまや和さんのお話しはいつも温かで思いやりに溢れていました。この方と一緒に生きていくことが出来たなら、私にも同じような愛情を注いで下さるのではないかと、ふと頭をよぎったこともあります。ですが、話しを聞いているとお父さんは家柄も良さそうですし、和さんもいらっしゃる。あり得ないと頭を振り、そんな事を考える自分を恥じました。私はもう既に多くを求めることを諦めていたのです。お話し出来る唯一の大切な方を失いたくはありませんでした。

ですから、お父さんに結婚を前提に交際を申し込まれた時には本当に驚きました。何度も確認しました。本当に私で良いのですか。家庭というものを知らない私で良いのですかと。僕にはもう子どもがいて再婚になることが申し訳ないが、君が良いのだと真剣な顔で言われた時には、私はまるで夢の中にいるようで信じられませんでした。

もう一人ではないのです。自分の家、家庭、家族、安定した生活......全ては私が強く求めていたものです。和さんの愛を確認した時と同じように、幸せを目の前にするととたんに幸せが逃げてしまわないかと不安になるのです。

養護施設を出て出産し母親になった友達はいます。私は、私はどうでしょう。私は親の愛情を知らずに育って自分の子を産むなんて想像も出来ませんでした。しかし、お相手に子どもがいた場合......養護施設には、年上、年下、色んな年齢の子と混ざって生活をしています。その中には弟のように可愛がっていたやんちゃな男の子もいました。男子の成長していく様も間近では見ています。ふと、思ったんです。子育ては出来ないかもしれませんが、弟の面倒を見るようになら出来るんじゃないかと。

和さん、あなたのお父さんは私の気持ちを全て汲んで受け入れて下さったのです。お父さんには感謝してもしきれません。

そして精神的に幼い私が、和さんを弟のように接した結果がもしかしたら、今に至ったのではないかと慄いています。


続く

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