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運命の人かもしれない症候群 #10

「涼..   他に好きな人、できたの?」
 
 俺の背中に抱きついたまま、百合香がくぐもった声で訊いた。
「そう…  みたいなんだ」
 俺は言ってから、そう口にした自分に驚いた。

 好きな人? そうなのか?
 
「ふうん、そうだったんだね」
 百合香は、俺の背中から、さっ、と離れて、あっさりと言った。

「よくわからないんだけど、多分」 
 俺が言うと、百合香は、俺を見ないまま言う。
「よくわからないけど、私より好きなんだ? わかった。それで連絡くれなかったんだね」
「それはおまえが距離を置きたい、って言うから」
「私がそう言わなかったら、私と続いてた?」
「いや、関係ないと思う。最近なんだ、その人と知り合ったのは」

 百合香が、部屋を出ていこうとするので、
「ごめんな」
と、後ろから言う。
「え、いいよ、全然。あ、私のタオル、捨てていいから。じゃあね!」
 虚勢を張ってるのか、明るく言う百合香を見て、なんとも言えない気持ちになる。
 意地っ張りだが、そこも可愛かった百合香。
 

 ということは、だ。
 俺は、浅川 萌が、好きだということなのか。

 マジか。

 あんなに自分のことを攻撃され、心が痛んだのに?
 それに、向こうは俺のことをよく思ってはいないのでは?
 でも、何故か、彼女のことが、頭から離れない。
 
 俺は、遠雷の音を聞きながら、浅川 萌とのこれからのことに、思いを巡らせた。


 
 雷雨が過ぎ去ってから、少しだけ涼しくなったので、外に出て、駅方向に歩く。

 恐る恐る、スーパーマルトクへ。
 このスーパーで、二回、萌さんに偶然会っている。
 でも、もし、今、バッタリ会ったら…  どういう顔をしたらいいのだろう。
 やあ、元気?…  なんて、軽く挨拶する?
 それとも、またさりげなく飲みに誘う?
 ざっと店内を見渡したが、彼女の姿はなかった。
 ホッとした自分に、苦笑してしまった。
 会いたくて行ったのに。

 それで、何も買わずに出て、神田川沿いにあるジャズ喫茶「ジェントル・レイン」に行く。
 Johnny Hartmanが歌う「My one and only love」が流れている。

 奥の席で一人思い悩む今の俺は、まさに萌さんに恋愛相談をしてくるというティーンエイジャーみたいではないか。
 これまでの呑気な、楽天的な俺は、どこへやら。
 ため息をつきながら、ジャズバラードに身を委ねる。
 
 
 翌朝、仕事前に、カフェ「逢魔が時」に寄る。
「あ、涼ちゃん、おはよー。Aセット?」
 由奈が、もぐもぐ自分の朝食を食べながら、言う。
 うん、と言って、カウンターに。
「今、お客いないから、先に占って貰っていい?」
と、トーストを焼く由奈に言って、麻衣のいるブースへ。

「あれ。涼ちゃん、早いね」
 麻衣も、自分の朝食をもぐもぐ食べながら言って、すわって、と俺に椅子を差し出す。
「あらあ、何か、悩んでるね、涼ちゃん」
 麻衣は、向かいに腰掛けた俺の顔を覗き込んで言った。
「そうなんですよ。僕、気になる、というか、ぶっちゃけ、好きになってしまった女性がいるんです」
 恥ずかしかったけど、思い切って言った。

 麻衣は、ニヤリとし、
「手を見せてごらん、五十嵐 涼」と言うので、
「あれ、今日は手相なの? 君の専門は、いったい..  」と言いかけたが、
「質問は許さない!いいから見せなさい」
と、手を掴まれた。
 ふむふむ、と、麻衣は、俺の手の平を見て時折、あっ、この線は、とか、ここでこれが、とかぶつぶつ言う。

「で、どうしたらうまくいくでしょうか?」
と、俺が言うと、
「急かすんじゃない、五十嵐 涼」と言って俺を睨んでから、彼女はおもむろに言い放った。

「今の時点でのおまえへのアドバイスはな、カッコつけるな、ということだ、五十嵐 涼」
「え。俺、そんなにカッコつけてるかなあ」
と、ぼやくと、
「おまえのダメダメなところ、カッコ悪いところも、すべてさらけ出すのだ。隠そうとしても、おまえの考えていることは、彼女に見え見えだからな」と、麻衣は言う。
 へえ、と、俺は感心した。
「…  麻衣、なんか、らしくなったな」
 俺は呟いて、
「で、そうすれば、うまくいくのでしょうか?」
と訊いた。
 すると、麻衣は、威厳たっぷりに言ったのだ。
「それはわからない。とにかく、そこをクリアしないことには、何も始まらないぞ、五十嵐涼。モーニングサービスセットとしては、ここまでだ」
 
 
 それから、麻衣に言われたことを考えながら、電車に揺られ、仕事場に行く。
 何か物足りないと思ったら、いつも俺を怒鳴りつけている、お局の新田さんが休みだった。
 来客も少なく、受付にすわって涼んでいるうちに、一日の仕事が終わる。
 
 
 迷いに迷って、帰りに、「N's bar」に行ってみる。
 お盆だから、客が少ない。
 いつも会社帰りに寄る人は、会社が休みだと、わざわざ来ない。
 俺は、カウンターの端に腰掛け、そわそわする。
「何?落ち着かないね、五十嵐くん」
 マスターが、笑いながら言う。
 俺はハイボールを飲み、
「いや、なんでもないんだけど。今日は、その、常連の方々はいないね」
などと、言ってみた。
「あー、そうだね。逆に、他が開いてないから、いつも来ない人が来たりね。そうそう、うちはお盆が終わったら、少し休むよ」
と、マスターが言った。
 
 萌さんは、現れない。
 お盆休みで田舎にでも帰ってるのだろうか。
 
 彼女の電話番号は、知っている。
 こんなに意識する前なら、気軽に電話できたのに、 などと思う。 
 例えば、彼女はエッセイストなのだから、小説の書き方について相談したり。
 あ、でも、それはいいかもしれないな。
 ちょっと訊きたいことがあってさ、なんて気軽な感じを装って。
 まあ、装ってみたところで、俺の思わくは見破られるだろうけど。
 それでもいいか、と思った。
 明日の昼間にでも電話してみるか、と思い、帰ろうとした時、店のドアが開いた。
 
 浅川 萌が、入ってきた。

「あー、いらっしゃい」
と、マスターが言い、彼女が、
「こんばんは」
と、言った。
 俺と目が合った。
 彼女と俺は、ぎこちなく、同時に会釈。
 どうしたものか、とドキドキしているうちに、彼女は、いつもの窓際の二人席に行ってしまった。
 河野君が注文をとりに行き、白ワインを頼んだようだ。

 ここで、俺の方から話しかけるべきか。
 でも、なんとなく…  なんとなくだが、彼女の方からは、俺に話しかけられたくなさそうなオーラを感じる。
 もし、俺ともっと親しくなりたい気持ちがあれば、「この間はどうも」とかなんとか、一言あってもいいのでは。
 確かに、俺を意識しているようだが、いい意味で、かどうかはわからない。

 どうしたらいい?
 
 チラッと見ると、萌さんは、いつもならすぐにパソコン作業を始めるのだが、なぜか、テーブルを見つめていた。
 もしかして、俺に話しかけられるのを待っているのだろうか。

 そ、そうだ。
 ここで麻衣のアドバイスを思い出した。
 カッコ悪いところ、ダメダメなところも、さらけ出す。
 えーと、えーと、今さらけ出せる俺のダメダメなところって、なんだ?
 とっさにわからないが、とにかく、彼女に話しかけよう。

 そう思って、意を決してカウンターから彼女の席に行こうとしたときである。

 奥にいた中年の男性客が、いきなり彼女の近くに行き、話しかけた。
 彼女の知り合いなのか、俺のようにこのバーで知り合ったのかわからないが、彼女の向かいに図々しくすわった。
 そして、何やら彼女と話し始めたではないか。
 
 先を越されてしまった。
  
 その男は、見たところ、知的な雰囲気を醸し出していて、紳士的。
 言ってみれば、頼りになりそうな大人の男。
 
 萌さんは、年上の、大人の男性が好きなのかな。
 俺みたいな、精神的に大人になり切れていない奴なんかより。
 当然だよな。

 俺は、一気に自信を喪失したのだった。

(続く)



 
 
 

 
 
 


 
 
 

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