見出し画像

(一週間くらい前に書いた記事で、少し時間が経っちゃったのですが、そのまま公開します)

今までの人生の中で、こんなにも穏やかな気持ちでいられていることは、もしかしたら、はじめてかもしれない。

現時点では新しい仕事も本決まりではないし、もう少しすれば彼とは今より物理的な距離のある恋愛をすることになることがほぼ決まっているし、健康とは言えない体型もしていて、

言葉にして並べただけでは悲壮感が漂っているかに思えるかもしれないけど、

以前の職場より働きやすい環境を求めて話を進めている最中であることや、彼とも1年ほど前から、どうしていくのかを二人で話し合えている安心感があるから…とか、現実的に実感できる事柄もあるけれど、

でもやっぱり一番は、この春やっと「わたしはわたし自身と出逢いなおして、ともに生きていく という決意ができた」ってことが大きいのかもしれない。



自分の生まれ持った感性が、ずっと自分で認めてあげられなかった。

人より強いセンサーを持っているから、わずかなことで圧倒されやすい。
人より強い感受性を持っているから、人の言葉がどの方向にも刺さりやすい。

世の中の大半を占める、いわゆる「一般的な人」や「普通」に適応できない自分のことを、その方々基準のものさしで測っては「自分はみんなと同じことができない。それってきっとわたしの方が変でダメなことなのだ」といつも勝手に思い込んで、

それを信じて疑わないまま、自分のことを、その基準でたくさんジャッジして

自分に合わないものさしや眼鏡で世界を見ては、自分で一番、自分のことを責め続けて、苦しめ続けてきてしまった。

(今思うと、説明するために文字に書き出すだけでもなんだか心がギュッと潰されるような痛みを胸に感じる…)


人から優しくしてもらっても、労りの言葉をかけてもらっても、それを受け取っていいという許可を自分に出せなくて…

許可を出せないというとそれっぽく聞こえるかもしれないけど、それは言い換えれば、

もらったプレゼントを表面上だけで受け取ったフリをしてお礼を言って、次の瞬間、ゴミ箱へすべてプレゼントを投げ入れてしまっているような、誰に対しても失礼で最低なことをしてしまっていたんだと思うのです。


自分に優しくしたり、自分で自分の気持ちを聞いてあげたり、心で思っていることを自分自身が叶えてあげたり…という具体的なアドバイスや方法については、調べるたびに何度も目に入っているはずなんだけど、頭ではわかっていてもうまくできなくて何度も空回りを繰り返す。

実行しようとしても、越えられないんじゃないかという恐怖を覚えるような高い壁が目の前に立ちはだかっているのだと、長らく錯覚し続けてきていた。

心から腑に落ちて、実感を伴った安心を得られるようになりたい。

そう思いながら、本格的に取り組み始めるスタートラインへ向かう一歩を踏み出すまでに、わたしは一体何年費やしてきたんだろう…と途方に暮れることもあった。


そんな、自分のことを愛せないよ〜〜と嘆いてばかりで、逆に自分を責めるみたいな悪循環すら引き起こしていたわたしには、悩みや戸惑いが大きく二つ存在していて…

ひとつは、いつも大切な人がずっとそばで見守ってくれて、どんな時も向き合って支えてくれているという本当にありがたい現状があるのけれど

彼に支えてもらっていることや彼の優しさに必要以上に甘えたり、寄りかかったりしすぎてしまって「彼との関係をわたしの力で壊してしまうことを恐れる気持ちが自分の中に存在している」ということが見逃せなくなっていて…

結果的に彼に話や気持ちを聞いてもらうことも多い という現状から「わたしがわたし自身と向き合って、自分の足で立っていけるようになってゆきたい!でもうまくいかない〜(泣)」みたいな堂々巡りの中にいたこと。



そしてもうひとつは、わたしの感情センサーの出方について。

わたしの感性さんは、わたしに涙という形でいつも「自分の中でなにか起きてるよ〜」と教えてくれることが(少なくとも現時点では)ほとんどです。

だからしんどい時も苦しい時も悔しい時も、怒りや寂しさなどに対する感情の自覚よりも、一番最初に出てくるのは涙だし、

嬉しい時も、感動した時などのポジティブな要因でも「なにがなんだかどういう仕組みで泣いているのか自分でも説明ができないけど涙が溢れる」という形で、やっぱり涙が出てきます。

泣くことそのものはストレス解消にもなるし、本人としては、感情動いてますよセンサーが動くということは、何があったかな〜?って掘り下げられるありがたいセンサーでもあるのですが、

大人になってから人前で泣くとどうしても周りを驚かせてしまったり、動揺させてしまうことも多々あって…

人前でなにかそういうセンサーに引っ掛かる感情がいっぺんにどばーっと溢れてきた時も、自分の感情を感じ切るより先に「あ、泣いちゃった…えっと…ど、どうやって涙止めよう…どうやって説明しよう…」みたいに、冷静になりすぎちゃうことがあって

感情のアクセルとブレーキを同時に強く踏んでいる みたいなことが自分の中で起こっていて、感情は消化できないし、泣いてしまって人を困らせるのが嫌だなあ…という気持ちや焦りをずっと抱えていて、どうすればいいか自分ではわからなくて戸惑っていました。


でも、本当にあるとき、わたしの大好きなSunaoさんのこちらの記事を読んでいたら


小さい子のように泣いちゃっても怒っちゃってもいいので、感情が出てきたら観察者の視点を保ったまま恐れずあきれず、そして逃げずに よしよししてあげてください。溢れてくるものを止めなくて大丈夫です。

感情の排泄欲求を叶えてあげる(思考の使いかたについて)。
 

より具体的なイメージを伴って説明されているのを見つけて、これならわたしにもできるかもしれない…!と思ったこと。そして、

ネガティブが出てきたときと一緒なんですが、「この感情に積極的に飛び込んでいく!」「このステキな気持ちを感じ尽くす!」と決めることに思考を使いましょう。

感情の排泄欲求を叶えてあげる(思考の使い方について)。

この言葉を見た途端に、わたしが感じているあの止めようのない溢れる感情って、飛び込んで味わっていいものだったのか……しっかり噛み締めていいんだ……って

その時もじわじわと涙が溢れてきてしばらく止められなかったんですけど、これだ……このうれしさや安心を、わたしは目一杯感じることができる……それってすごく幸せなことで、愛おしいことだなあ……って、

感情が溢れてくるままに目一杯感じることができる喜びを知ったというか、なんかそこではじめて、ずっと厚くて高くてどうやっても越えられないんじゃないかと錯覚していた壁が取っ払われたような感覚を覚えた…というか、なんか明確にこれだ…!って自覚できたんです。


その感覚と出逢えたからなのか、それ以降は以前より増して感性センサーの涙が溢れそうになることが(特にうれしいことや安心や感動の方面で)増えてきていて、

自分が安心できる場所では隠さずに思いっきり感情を出し切ることや、その気持ちに寄り添うことを意識しながら、ここ2週間くらい生活してみています。


ほんの2週間程度の出来事だけど、目の前で起きている「今」の感情のほかに、何年も奥底の方に蓋をしてきてしまったかもしれないあの時の「過去」の怒りみたいな感情も出てきていたりもするけど、それはとても良いことだと捉えていて、

わたしがわたしに意識を向けられているから「きいて〜〜あのときこうだったの」って伝えてくれたり、教えてくれているのかなって思ったら、なんだかそれも愛おしく感じられています。



話は冒頭に戻りますが、自分が居場所を作ってあげられれば安心はいつでも感じることが出来るんじゃないかな…?という感覚も、

「なんとなく。根拠は説明できないけどそんな気がする」という感じで思えていて、なんだか人生で一番穏やかな気持ちでいられているなあと感じる今日この頃です。

まだスタートラインに立ったばかりだけど、きっと途中でいろんなこともあると思うけれど、それでも、どんなに小さい一歩ずつでも、わたしはわたしと出逢いなおして、ともに生きていきたい。

ここに来るまでもいろいろあったけど、わたしのベストタイミングは今だったんだろうなって実感できる。

わたし、この春からまた、わたしと歩いて行くよ。




大好きなSunaoさんの記事からの言葉を勝手に引用させていただきました。
Sunaoさんの言葉に出会ってから丸1年くらい経つのですが、いつどんなときにその言葉たちに触れても、温かくて、軽やかで、そこに居てくれることに気がつけば安心感や心地よさを感じてふと涙になる春風のような、きっとSunaoさんご自身の熱い思いや祈りが込められている心からの言葉なのだろうな…と、受け取るわたしにも言葉以外の形でも様々なものを伝えてくれる、とても素敵で大好きなクリエイターさんです。

たからものに出逢わせてくれて、ほんとうにありがとうございます。



いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集