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文芸というには、芸が厳し過ぎるよ、だから文学(文楽)。

『文芸的な、余りに文芸的な/饒舌録 ほか 芥川vs.谷崎論争』 芥川 龍之介 (著), 谷崎 潤一郎 (著), 千葉 俊二 (編集)(講談社文芸文庫/2017)

芥川谷崎「小説の筋」論争の全貌!『改造』掲載の批判の応酬と、発端となった新潮合評会及び俎上の小説二篇、谷崎の芥川追悼文を収録

『日本に於けるクリップン事件』谷崎潤一郎

「クリップン事件」はイギリスで死刑判決を受けた毒殺事件。ドクター・クリップンに愛人が出来て、横暴な妻を毒殺してしまったという事件で、これだけでは何の変哲もない殺人事件だが、クリップンにマゾヒズムの傾向があり、妻にいたぶられていたが、若い愛人が出来るとそっちに心惹かれて、妻を殺してしまった。マゾヒズムでも反撃するのですというわけではなく、心身二元論で心と身体は別だと谷崎が注目したようです。

「心身二元論」で思い出すのは『痴人の愛』ですね。『痴人の愛』の語り手である河合譲治も心身二元論でした。谷崎の根本思想な気がします。ナオミを心をレディにすれば身体的な振る舞いもレディになると思ってたが、そうなりませんでした。逆にナオミの身体に支配されてしまうのですね。

日本の「クリップン事件」と谷崎が言うのは、女優である女が無残な殺され方をした。その夫も全身傷だらけで縛られた状態で、助けを求めたのです。それで調べていたら飼い犬が女優を噛み殺したとわかったのですが、男の自白でそのように飼い犬を訓練したということです。そこで張り子人形が出てくるのですがその人形の喉に肉を埋め込んで訓練したという谷崎のミステリー仕立ての文学でした。

谷崎の語り方の展開が上手いのです。エッセイ風の外国の記事を紹介して、それを日本の殺人事件に当てはめる。そしていつの間にかその物語の中に入ってしまって恐るべき結論を知るのです。

『藪の中』芥川龍之介

後の「新潮合評会」で芥川は『藪の中』を過去の作品だと否定しているのです。最初は『藪の中』が「筋のない話(文学)」かと思ったらちがっていました。この小説はミステリーなんです。証言者の隠している事実が次の証言によって明らかにされる。その展開で読者である判定者(裁判官)はある殺人事件の本質を知るという展開です。

それぞれの個人の欲望が引き起こした殺人事件に社会的に対処しなければならない。だから「藪(悪)の中」でも光(善=正義)の筋を通して判決しなければならない。それが社会です。大岡昇平の『成城だより』でも書いていたと思います。大岡昇平もミステリー好きで『事件』で推理作家協会賞受賞した作家ですから、確かな目を持っていると思います。

芥川の過去の作品は谷崎と似たような作品を書いていた。二人の短編で同じ古典のモチーフで書いた作品が何作かあります。そういう切磋琢磨するお互いに認めるライバル作家なのでした。

『新潮合評会』

第43回1月の創作評(1927年昭和2年2月号)徳田秋声、芥川龍之介、近松秋江、堀木克三、久保田万次郎、藤森純三、広津和郎、宇野浩二、中村多羅夫。芥川龍之介作品(短編4作『藪の中』他)、谷崎潤一郎(『九月一日前後のこと』『日本に於けるクリップン事件』)、志賀直哉(『暗夜行路』他、短編三作)

それで発端となった、合評会です。ここで取り上げられている二人の当事者の他に志賀直哉が重要です。つまり芥川が目指す「筋のない話」は志賀直哉を想定していたのです。芥川が求めた筋のない小説は志賀直哉の私小説です。ただ自然主義小説ではなく、確固とした善なる「私」がある小説です。まあ、芥川の性格では無理な注文だったと思います。
アイデンティティも近代文学が求めていたものです。それは西欧から来る哲学「真・善・美」という「私」の中で統一された主体であるとされるものです。そこで芥川は絶えず西欧的な主体と東洋的な運命論(諦念かな)のようなものの葛藤を描いていたように思えます。そこで谷崎の文学を否定していくのです。

『饒舌録』『東洋趣味漫談』谷崎潤一郎

『饒舌録』は文芸誌に掲載された「文芸時評」です。そこで谷崎は芥川の問いかけにまず答えているわけですね。しかし、そこは文芸時評という枠の中で他の文学(谷崎の天の邪鬼さが出ていて文学だけでなく、日本の伝統芸にふれています。これは重要だと思いました)。

『東洋趣味漫談』はまさに西欧に対する優越性を示すものを上げています。つまり「私」のあり方の問題なんだと思います。ノーベル賞作家の川端康成が「美しい日本の私」といい、大江健三郎が「あいまいな日本の私」と言った日本文学の根本に係る問題で、谷崎と芥川は論争していたのです。

『文芸的な、余りに文芸的な』芥川龍之介

そして、谷崎の「文芸時評」を読んだ芥川が同じ文芸誌で、谷崎の文学観と対決するのです。面白いと思ったのはSMにたとえているのでした。最初は谷崎が言い出したのですが、それを受けて芥川の答えている。鞭打つプレイとしての「文学論争」ですね。そういう余裕が谷崎にはあったが芥川は自らを傷つけてしまったように思えます。芥川の問題にしていたのが「私」というアイデンティティの問題だったからです。

当時の日本は新しい文学が様々な形で出てきたのでした。例えば漱石や鴎外という二大巨匠の弟子の位置にある芥川龍之介でしたが、乃木大将の自決には同じ考えを持っていなかった。『将軍』でその考えが示されています。つまり「明治の精神」と言った漱石の言葉を芥川は、そのまま受け入れることが出来なかったのです。それが「大正文学」の始まりです(少なくとも芥川にとっては)。

芥川が大正時代の新しい文学と葛藤していく中で、理想とする文学を模索していたのだと思います。それが志賀直哉の筋のない話(文学)として理想を見出したのです。当時は激動の時代は、様々な文学が出てきます。プロレタリア、エログロや精神的な文学(ドストやトルストイのロシア文学)からフランスのヴィヨンのような犯罪者の文学。それでも自然主義文学には向かわなかったのは、芥川は確かなる「私」を求めていたからだと思います。志賀直哉の小説は自然主義文学のように思われますが、芥川に言わせると「善」である「私」が確固としてあるから芸術になりうるのだとしている。一つの物語に全体に流される大衆文学との明確な違いです。そこで理想の文学を追求していくのですが、芥川は一点に集中していくようで、息苦しくなってきます。

谷崎潤一郎の芥川龍之介「追悼文」

『饒舌録』も後半は芥川自死の追悼文でした。谷崎潤一郎の芥川龍之介「追悼文」は、芥川の自殺を家庭内の事情としながらもやはり論争のことが(谷崎の)頭にあったのは間違いなく、それを後に証明する必要が谷崎にはあったのだと思います。日本の物語文学の優位性。だから『源氏物語』を現代語訳して、『細雪』を書き上げたのです。短編では芥川に叶わなかったが長編物語文学を書くことで芥川との論争の答えを出したと言えるのかもしれないです。

二人の稀有な作家がお互いの文学について論争する。それは相手を落とし込むのではなく、自分自身を高めるためだったのです。




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