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おおかみのうた(第三話 第三の男)

寺川修一はピンチに立たされていた。二連敗の圧倒的な事実の前に、苦しんている。すでに最良の歌を上げていたはずだ。もう手持ちの歌は雑魚ばかりであった。

神城文三首目、

「守られて守護天使は悪魔かな身代り不動よろしく哀愁 神城文」

「なんか俗っぽい歌ですね、けい子君感想聞かせてよ!」

「短歌5首すべて力を入れる必要はないんです。駄目な歌は誰にもあります!それでもこれは彼女の歌なんです。何かを伝えようとしている」

実況席の柳棚国男は神城文の視線が寺川修一ではなく、顧問である尺八郎に注がれていることに気がついた。

(修一お前はカモフラージュとしての噛ませ犬だったんだよ。そのことになんで気がつけなかったのか?)

「国男君、どうしたの?怖い目で睨んでいるよ。これは歌会なんだからもっと気を楽にして」

「けい子君は甘いな。全力で歌を詠むのが神に対しての流儀なんだ!」

「うるさい!お前は黙れ!」

「おっと、実況席もだいぶ興奮してきましたね。こういう時にこそ、プロのアナウンサーと新人アナウンサーの差がでるんですね。そうですよね、頭塚先生」

寺川修一の第三首目が詠まれた。

「噛ませ犬我の尊厳踏みつける守護天使など邪教の余興 寺川修一」

「やはり寺川君はテーマを理解してないようです。これじや赦せない短歌だ!国男君意見を聞かせてよ」

「彼の不甲斐なさは十分わかります。だから付き合ってしまう。相聞歌は相手のレベルに合わせてしまうんですよ」

「国男は何がいいたいのか?混乱している。もっと客観的に見ないと評論ではやっていけないぞ!」

「そんなことありません!国ちゃん他人の心がわかる人なんです!」

「やはり高校生の気持ちは大人にはわかりにくいようで。結果が出ましたね。2対1て辛くも寺川修一君が土俵際で残りました」

「君これは相撲じゃなくプロレスだよ。神祇としての歌なんてここにあるのか?」

会場はざわついていた。

土俵際で残ったと言われながら、寺川修一の顔色はむしろ悪くなっていた。

残った、という言葉が、彼を余計に追い込む。

(まだやれ、ということか。すでに最良の歌は出し切っている)

残っているのは、削り損ねた言葉、捨てきれなかった比喩、

――つまり、弱い歌だ。

それでも詠まねばならない。

寺川修一の第四首目。

「うたに死す君に捧げる言の葉は遅すぎるほど真白き刃 寺川修一」

一瞬、静寂が落ちた。

「……ずいぶん物騒だね」

最初に口を開いたのは頭塚だった。

「これは、相聞じゃない。独白だ。相手を殺して自分も死ぬ気か?」

「でも先生、これ……」

葛原けい子が言いかけて、言葉を探す。

「弱いけど、嘘じゃないです。負けるとわかって詠んでる歌って、こうなるんだと思う」

「それは甘い感傷だ!」

「甘いのは最初からです!でも、今の寺川君は、ちゃんと自分の位置がわかってる!」

実況席の柳棚国男は、モニター越しに神城文を見ていた。

彼女は、第四首を聞いても表情を変えない。

ただ一瞬、視線だけが揺れた。

――それでも、見る先は修一ではない。

尺八郎だ。

(やはり、そうか)

柳棚の胸の奥で、言葉にならない確信が沈殿する。

(修一は、相手じゃない。最初から、舞台装置だった)

「評価、割れましたねえ」

アナウンサーが声を張る。

「二対二! これは第五首までもつれ込みます!」

その瞬間だった。

会場後方の扉が、乱暴に開いた。

「――やめろッ!!」

男の怒声が、歌会を切り裂いた。

どよめき。

椅子が倒れる音。

誰かが「警備!」と叫ぶ。

走り込んできたのは、不審者だった

年上。血の気の多い目。

「文! お前、何をやってる!こんな場所で、まだ歌だの勝ち負けだの――!」

「やめて!」

神城文が、初めて動揺を見せた。

「やめてください、今は……」

「今も何もあるか!お前の身体のこと、こいつら知ってるのか!」

会場が凍りつく。

「癌宣告」という言葉は出なかった。

だが、何かを隠しているという事実だけが、一瞬で全員に伝わった。

寺川修一は、立ち上がろうとして、足がもつれた。

(何だ……?俺は、何も知らされてなかった?)

次の瞬間だった。

男の前に、静かに立ちはだかった人物がいる。

尺八郎だった。

「――ここは歌会だ!」

低い声。

しかし揺るがない。

「お前はそれをわかっているのか。神聖な場所なんだ」

「何だ、お前は」

「顧問だ!」

「顧問だと?文をこんな場に立たせておいて!」

「立つと決めたのは、神城文だ!」

一歩も引かない。

会場の誰よりも、尺八郎だけが落ち着いていた。

男は睨みつけ、舌打ちをし、

「お前、責任取れよ!」

男はそう叫ぶと警備員に促されて引きずられるように退場していった。

扉が閉まる。

沈黙。

実況席で、柳棚国男は、すべてを理解した。

(止めたのは……尺八郎だった)

神城文は、何も言わない。

ただ、ほんの一瞬だけ、深く息を吐いた。

寺川修一は、その背中を見つめながら思った。

(俺は……彼女に負けたんじゃない)

拳を、強く握る。

(尺八郎に、負けたんだ)

歌の甘さとは、相手を見誤ることだ。

そのことを知った瞬間、寺川修一の中で、何かが確かに壊れた。

――そして、ようやく逆襲は、ここから始まる。



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