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芭蕉去りてそのゝちいまだ年くれず

『芭蕉・蕪村 春夏秋冬を詠む 秋冬編』深沢 眞二 (編集), 深沢 了子 (編集)

三弥井古典文庫シリーズ近世編の第七弾、芭蕉・蕪村。秋冬をテーマにした季題を取り上げ、和歌・漢詩・物語などの古典作品の中でどのように登場したのかを解説。

【目次】

紅葉 付 鹿/月/砧/虫/秋の暮

時雨/雪/枯野/冬籠り/年の暮
歌句索引

出版社情報

図書館の秋の読書コーナーにあったので芭蕉や蕪村がどう月を詠んだのか知りたく借りた。

本書は教育用なのか、章の最後に宿題みたいな理解度を確認する課題コーナーがあり、そういうのは学生時代はうざく感じられたが今はなんかそういう課題を与えられるのが新鮮でやってみたくなる(ただ本書だけで解答を得られるものではなく調べなければならない)。

大まかに言えば芭蕉は古典から着想を得て俳句を作っていたのかということを知れた。つまり俳句が突然変異だったわけでもなく、過去の古典からの影響下にそれを否定するというのではなくリスペクトしていたということだ。

得てして芭蕉の放浪としての俳人というイメージよりも研究者としてのイメージが得られた。それに対して蕪村もやはり古典から学んでいたのだが、それは芭蕉よりは感覚的なのかと思うところがあり、それが近代詩人たちの影響を与えたところなのか。

あと芭蕉から蕪村まで100年も離れているという以外なことも知った。ほとんど同時代と思っていたのだが。従って芭蕉の古典理解があって、蕪村は芭蕉を学ぶことによって新たな俳句道を極めることが出来たのではないか?俳句は芭蕉によって突然変異したという従来の考えを見直したい。

それぞれの章の始めに古典和歌や古典作品(『枕草子』や『源氏物語』など)で季題がどのように扱われていたかの始原から発展を探ることになる。そこから芭蕉や蕪村がどのように発展させていたかが興味深く知れる。また他の俳人も出てきて芭蕉と蕪村だけの限定でもない。

例えば雪だと万葉集、古今集だと中国の影響で雪を梅に喩える鑑賞で詠まれた和歌を紹介する。それが次第に感覚的な恋の歌になり、俳句になるとそれを楽しむ句や厳しい自然を詠む句が出てくる。

捨女の発句
雪の跡二の字二の字の下駄の跡

『続近世畸人伝』

一茶の発句
是がまあつひの栖(すみか)か雪五尺

『七番日記』

五尺は1メートル50センチ。つまり東北の雪深い雪国の実態を読んでいて、貴族が愛でる雪とは違っている。

芭蕉はやはり雪のワクワク感を発句にしている。

芭蕉の発句
いざさらば雪見にころぶ所迄

『花摘』

芭蕉の発句は古典に倣ったものが多い。『おくのほそ道』がそうした枕詞を尋ねる旅だったのは知られるところだ。辞世の句。

旅に病んで夢は枯野をかけ廻る  芭蕉

『蓑日記』

以上の句も西行の和歌に倣っている。

津の国の難破の春は夢なれや葦のかれ葉に風わたる也  西行法師

『新古今和歌集巻六・冬』

また芥川龍之介が芭蕉の臨終を描いた『花屋日記』(弟子の様子を描いた)から着想を得て『枯野抄』を書いたが、その『花屋日記』は偽書だったと現在の定説があるそうだ。それを知ってあえて芥川が書いたのは、芭蕉の死と漱石の死を重ねたからという説。

蕪村の発句
鍋さげて淀の小橋を雪の人

『新花摘』

和歌にはない庶民の生活の日常を描いた句。ただ蕪村にはそういう句がある一方中国の漢詩から着想を得た絵画的な作品もある(蕪村の雪といえば「夜色楼台図(水墨画)」があり、和歌の始めの頃は漢詩から倣い、そして離れていく。また蕪村によって見直される。)

芭蕉の「枯野」を受けて蕪村は草ではなく木を主題とした「冬木立」を詠んだ。それが現在の季語となったのは蕪村の発句によるものだという。

鴛(おしどり)に美をつくしてや冬木立  蕪村

『自筆句帳』

芭蕉去りてそのゝちいまだ年くれず  蕪村

『蕪村句集』

蕪村が芭蕉を追悼しながら、「いまだ年くれず」と詠んだのは自分は俗世間に染まって、年の瀬を迎えているという芭蕉の道とは違う道を示している。


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