言葉とは?を考える映画 『みんな、おしゃべり』
『みんな、おしゃべり』(2025年日本)監督:河井健 出演:長澤樹、毛塚和義、福田凰希、ユードゥルム・フラット
監督自身が、ろうの親を持つCODA(Children of Deaf Adults)だという。おそらくこの映画は、彼自身の体験がベースになっているのだろう。そう考えると、作品の中心にある「コミュニケーションの困難さ」と「翻訳する子ども」の存在が、とてもリアルに感じられる。
物語は、ろう者とクルド人が暮らす町内で起こる衝突から始まる。
多言語化したコミュニケーションのドラマのなかに、クルド人問題を取り入れている点がいかにも現代的だ。
クルド人は国家を持たない民族であり、中東の各国に散らばって暮らしている。
母語はクルド語だが、国によって状況は違う。トルコに住むクルド人もいれば、アラブ圏に住むクルド人もいる。つまり、それぞれの国の国語を話すクルド人が存在する。
この映画の少年ヒワもその一人だ。ヒワという名前はクルド語で「希望」を意味する。日本で生まれた彼は日本語を話し、父親の通訳をしている。
いわば「親の翻訳者」として生きている子どもだ。
一方、主人公の夏海は、ろう者の父親の通訳をしている。
同じように親の言葉を社会へ翻訳する役割を担う二人は、自然と意気投合する。
しかしその役割には、常に不満がつきまとう。
親の通訳である以上、自分自身の言葉や感情を消さなければならないからだ。
ヒワの場合、その葛藤はさらに複雑だ。
日本で生まれ育ったにもかかわらず、日本人とは見なされない。
かといって、トルコ人とも違う。
では、自分のアイデンティティはどこにあるのか。
この映画は、そうした問いを静かに浮かび上がらせる。
夏海には弟がいる。
彼は自閉症気味で、周囲とうまくコミュニケーションが取れないように見える。
だがヒワは、彼の書く謎の言語を読み取り、「それは彼の言語だ」と言う。
その言葉に触発され、夏海は「言葉とは何か」を考え始める。
そしてクルド人との対立のなかで、机を叩く音だけでヒワとコミュニケーションができることを知る。
さらに二人は、でたらめな言語を作って会話する楽しさにも気づく。
それは、弟が友達とやっていた独自のコミュニケーション方法でもあった。
つまりこの映画は、「言葉とは何か」という問いを、さまざまな形で試していく物語でもある。
夏海の父は中国系のろう者で、日本社会に馴染めない苛立ちを抱えている。その不満が、町内のクルド人との衝突へと発展する。
しかし彼は、クルド人の店の空調を修理したことで、彼らから尊敬を得る。
そこに、言葉とは別のコミュニケーションの可能性が生まれる。
彼が発明した「スーパーライト」は、宇宙まで届くという触れ込みの装置だ。
それが噂になると、中国人観光客が大勢押しかけ、今にも潰れそうだった店は立て直される。
物語の冒頭には、町のコミュニケーションセンターのような街おこし組織が登場する。地域番組でろう者の店を宣伝する。
しかしそこでは、ろう者が「障害者」として健常者の下に位置づけられることに反発が起きる。
またトラブルを避けるため、クルド人は町おこしから排除されている。
だが映画のラストでは、思いもよらない存在が現れる。宇宙人だ。
そして一家は、彼らとコミュニケーションを試みる。言語も文化も違う存在との対話。
そこにこの映画のテーマが凝縮されているように思える。
結局この作品は、対立の物語でありながら、最後には「コミュニケーションの希望」にたどり着く映画なのだろう。
音楽も良かった。
