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孤独の短歌は流行らない!

『短歌研究2025年1+2 月合併号』

第1回「短歌研究評論賞」募集要項
第68回「短歌研究新人賞」募集要項

作品二十首
高野公彦/島田修三/米川千嘉子/吉川宏志/大辻隆弘/東 直子/佐佐木定綱

特集第一回 「定家賞」発表
受賞者 楠 誓英 受賞歌集 『薄明穹』 受賞作掲載 三十首抄
選評 坂井修一/穂村 弘/水原紫苑/

十首の世界
大塚寅彦/内山晶太/川島結佳子/寺井龍哉/立花 開/山本夏子/逢坂みずき/高良真実/滝本賢太郎
作品七首+エッセイ

特集1「二〇二五年の短歌地図」
第1部われわれは、どこで、どう歌をよむのか。
(1)巻頭論考「二〇二五年の短歌地図について」 荻原裕幸
(2)「結社のバトン」(アンケートと論考)
寄稿=大井 学、アンケート=結社・同人誌トップに訊く「功績」「後継者」「存続」
(3)同人誌の新時代
寄稿=吉田恭大、ルポ=廣野翔一「文フリぶらり風見鶏」
第2部強力ユニット集結、新作発表
イルカーン(温&初谷むい)/おだやかなささくれの羽ばたき(川谷ふじの&郡司和斗&平出 奔)/奇遇(岡本真帆&丸山るい)/第三滑走路(青松 輝&丸田洋渡&森 慎太郎)/たんたん拍子(toron*&中嶋港人&榎本ユミ&草薙&若枝あらう&小俵鱚太)/toi toi toi(イトウマ&坪内万里コ&吉岡優里)
第3部鼎談「AIとヒトはなぜ歌を詠むのか」 
浦川 通・睦月 都・大塚 凱

特集2ふたたび能登・北陸の歌人たちと作る短歌研究
永井正子 寄稿「能登を助けて」+二十首「ちきない」

カラー小島ゆかり「サイレントニャー ~1回だけの、帰ってきたたますけ~」
連載 短歌とショートエッセイ シーズン2 仁尾 智+宮田愛萌猫には猫の、犬には犬の 7
出張企画歌会おじゃまします
作品季評第133回=栗木京子(コーディネーター)/田中 槐/鈴木加成太
連載 佐藤弓生・千葉 聡「人生処方歌集 63」
書評
歌集歌書評・共選
短歌時評=鈴木晴香
高野公彦 選 短歌研究詠草


定家賞

短歌の賞と言えば「角川短歌賞」のよう雑誌の賞以外に、迢空賞が歴史的にも権威があるのか。そんな中で定家賞はどうなんだろうと興味を持った。角川が迢空賞で短歌研究が「定家賞」ということなのか?これは新人賞というのではないので、芥川賞みたいな位置づけなのだろうか?

楠誓英『薄明穹』ということで、調べてみると楠誓英『禽眼圖』は歌集を買って読んでいた。

思い出した。阪神大震災で兄を亡くした人で、兄を思いながら桜や木々の歌を読んだのだった。禽眼は猛禽類でその国というかテリトリーということなのか。歌名も難しい本のタイトルも難しい。難解歌人か?

うすく濃くかげの重なる林にて樹になる前の 亡兄あに にあひたり 楠誓英

『薄明穹』

前作(『禽眼圖』)を継承している部分は理解出来る。兄は樹木となったというようなアニミズム的な短歌だろうか?「薄明穹」とあるから兄の記憶は徐々に薄まっていくのだろうか?

ひかがみに淡き闇ため立つたまま眠れる少年こずゑとなりて 楠誓英

『薄明穹』

兄がいた少年時代に思いを馳せているのか?短歌は黄泉(過去)を見るというのはあるのかも。

さばかれし死魚の眼にうつりゐるスーパーの奥の丸窓のひかり 楠誓英

『薄明穹』

彷徨う幽霊のようだな。現実と黄泉を繋ぐ歌という視線。

選評 坂井修一

はなびらは吹き込みやがて屈葬のごとく眠れる少年の辺りへ 楠誓英

『薄明穹』

「はなびら」は桜で、まだ過去を引きずっているのかと思ってしまう。守られていた少年時代なのか?愛と呪が同義語となる瞬間を捉えるのが巧みとか。

選評 穂村弘

第一回塚本邦雄賞次席が『禽眼圖』で前作は死の中に生を捉えていたが、今回は生の中に死を捉えているという。マイナスの方向性だと思うが次なるステップということか?つまり『禽眼圖』とは姉妹編というような感じなのかもしれない。

いつからが死後なのだろ滝壺にまわりつづけるボール 楠誓英

『薄明穹』

ワンパターンだというのだが、それがスタイル(歌風)になっているという。死の観念を読み、それが好きな人は共感していくのだろう。作者の言葉も引用している。

歌には体験の有無に拘わらず、その場所に生きていたひとの姿や風の匂い、木々のゆらぎを蘇らせ、とどめる力があるのではないだろうか?初めて歌を詠むことの意味をつかんだ気がした。 楠誓英

『薄明穹』「あとがき」より

選評 水原紫苑

はなびらは吹き込みやがて屈葬のごとく眠れる少年の辺りへ 楠誓英

『薄明穹』

苦しみと共寝することで、そこから解放される力を得るという伝統短歌の手法だという。

作品季評 栗木京子X田中槐X鈴木加成太

栗木京子はお馴染みだが、他の二人は知らなかった。

踊ってるふうに見えたら手や足をうごかしていてたら夏のこと 工藤吹

「バヤリース」

短歌研究詩人賞後の第一作目。「バヤリース」という水のイメージでまとめた歌だという。上の句で踊っている人を見ているのだが下の句で自分も合わせている句だという。内輪の歌のように感じる。その踊りの中に入れるかがポイントか。

Wi-Fiの乏しき りきにすがりつつ雨の一日を家居するわれは 山下翔

「入梅前」

「ニューアララギ」ということで定型に忠実だから、力を「りき」とよませたり、家に居るを「家居」と言ったりする工夫が見られる。だからなんなんだ。日常詠で大したことを歌っているわけではなかった。Wi-Fiが新しい時代性を感じさせるか。

合鍵は猫はもたねどどこからか帰りきぬ雨にほうふからだで 小島ゆかり

『はるかなる虹』

小島ゆかりも年取ったという印象で無くした鍵の歌が多いのだという。そんななかでネットへの恐怖も歌っているという。小島ゆかりは自然の文語体でときどき口語がアクセントになるのに特徴があるという。

「バカね」つと言ひしことなし言はぬうちよき男みな老けてしまいひぬ 小島ゆかり

『はるかなる虹』

無意識と意識、狂気と正常のあわいの闇のなかにたちたり 三枝浩樹

「夏の風立つ」

観念的な歌が多くある種の青さを持ち続けた歌人だという。意味するところは当たり前のことを言っていて特異さはない。

まっしろな紙を余白にしてしまう墨びりびりと震えているが 道券はな

「雲間」

日常の連作歌で、観光の記念みたいな歌なのか?栗木さんは批判的評価(わかりにくい)。

あなたが死ねば京都は消えるあなたの海の涸れて最後の一片 藪内亮輔

『心臓の風化』

七七七七七ということらしい。調べは五音か七音なので、七に統一したという意味は何かあるんだろうか?定型崩しか?「あなた」は自分のことなのだろうな。その一片としての歌を残すような気持ちの歌か?

無数の雨に撃ち抜かれつつなほ思ふ心なんてなくても心は歌へる 藪内亮輔

『心臓の風化』

虚無感を歌っているのだが逆説的に聴こえるという。言葉派の歌人。

2025年の短歌地図──われわれはどこでどう歌をよむか

『短歌研究』は二ヶ月合弁号になったんだな。ちょっとヤバい状況じゃないのかな。短歌ブームと言われながらも雑誌はそれほど売れてないのか?まあ、自分のように買わないで図書館で読む輩もいるからなのか?『現代俳句』があの薄さで千円なのは考えてしまうが、この値段はむしろ良心的なのかもしれない。まあ、そういうことにも関わる批評かもしれない。

俵万智40年、ネット30年
今、大野道夫『つぶやく現代の短歌史(1985-2021) 「口語化」する短歌の言葉と心を読みとく』を読んでいるのだが。あっという間に40年過ぎていたということだろうか?自分はそのうちの2・3年だろうか?現代短歌の分岐点は俵万智『野球ゲーム』(1985年)から始まるのだった。その方が穂村弘との差異がわかるからかな。『サラダ記念日』(1987年)だと『シンジケート』(2000年)わりあい近いと感じる(近くもないか。年齢的なものなのかな。)が、この15年の差異はけっこう大きいのかもしれない。ウィンドウズ95以降ということなのか(ネット時代)。そこからネット歌人が多く出ることになったのか?今は結社よりもネット歌人の方が多いのかもしれない。

アンソロジーは水平思考?
そうだ短歌初心者には特定の歌人の歌集よりもアンソロジーなのである。ここに紹介されているアンソロジーも読んでいた。

やはりアンソロジーは一度に沢山の歌人を知ることができ、なんなら批評もあるから勉強になるのだろう。見習い期間中は仕方がないのでは。そう考えると勅撰集は歌を広めるのに役立つものだったと言わざる得ない。俳句にはそういうのがないな。歳時記がそういう役割を果たしているのだろうか?

文学フリマ春秋
もう通常の出版よりもこうした自費出版ブームなのかもしれない。一昔前ならそれこそ大変な手間が考えられてのだろうけどパソコンとプリンターさえあれば簡単な本は作れるわけだし。アマゾンの自費出版というのもあった。あれは電子出版だけなのか?

学生短歌会界隈
無視できないのはそういう大学が結社代わりかもと思えるときもある。それでネットで交流しているとか。彼らの会報がフリマで売られたりするのだろう。こういうのは楽しそうだが指を咥えて見ているしかない。年寄は結社に入るかネットで独自にやっていくしかないのだった。

短歌の時代
短歌ブームは外部の文芸誌やTVの影響だろうか?短歌総合誌は6誌ということだが。一番好きなのはやっぱ『短歌研究』かな。

いま結社で歌を詠むことの意義──対話の場 大井学
ここでもネットの方が優勢なのか。結社は金がかかるし、人間関係が苦手だ。結社の利点として短歌の理解が深まるという。

結社はどこが魅力的か?(自由回答だからどこがどこだかわからない)読んでいると暗くなる。

祖師谷大蔵の書棚から 吉田恭大
グループ書店という感じなのだろうか?文学フリマの延長線にあるものなのか?「書店ごっこ」と言っている。「結社ごっこ」ではないという。権威じゃなく水平感覚だろうか?短歌の目利きがいないということなのだがそういうベテランはあまたいるが新しさがないということなのかな。批評性の欠如に繋がると思うが。お勧めはいまだに穂村弘だった。進歩なし。今年は十人ぐらい上げられるようにしよう。

「文ふりぶらり風見鶏」 廣野翔一
文学フリマレポート。読んでいるだけで疲れてしまう。人混みは嫌いだった。

第2部強力ユニット集結、新作発表

最近の若い人はユニットで短歌を読むとか、これも大学短歌会の流れなのか。仲間で楽しむ短歌というのは内輪の現れだと思うが孤独に耐えられないのかと思ってしまう。いやむしろそういう短歌の方向性で孤独の中で短歌をやるというスタイルは流行らないのかもしれない。

第3部鼎談「AIとヒトはなぜ歌を詠むのか」

そうなるとAI相手に短歌を読むとかなるのだろうけど、AIが学習するのはネットとかのウィキペディアの情報で、評価はネットのいいねが基準にしているという。それだけでは駄目だというので専門家(ベテラン歌人)の新人賞とかの評価で学習させるらしい。それと朝日歌壇は家族詠が評価が高くなるとか、AIが選ぶベスト短歌は、栗木京子「観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生」で歌人が選ぶ短歌と一緒だった。本人は君は同性の友達で読んだのだが、異性の恋愛短歌として評価が高いようだった。短歌の世界では孤独は通用しないと出たな。

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