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ブルースに寄り添いたいのは僕たちかもしれない

『ブルースだってただの歌』藤本和子( ちくま文庫 – 2020)

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卓越した翻訳者である藤本さんは、耳をすますことの達人でもある。
何度この本を開いて、そして撃ち抜かれたことだろう。
黒人の女たちの、生きのびるための英知の言葉に。
そしてそれを引き出し聞き取る、すばらしい耳の仕事に。
――岸本佐知子(翻訳家)
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黒人女性たちの「たたかい」を描く名著がついに文庫化!
名翻訳者による白眉の聞き書き。
朝日新聞、読売新聞、東京新聞、NHKジャーナルなどで紹介の話題作。
1980年代、アメリカに暮らす著者は、黒人女性の聞き書きをしていた。
出かけて行って話を聞くのは、刑務所の臨床心理医やテレビ局オーナーなどの働く女たち、
街に開かれた刑務所の女たち、アトランタで暮らす104歳の女性…。
彼女たちは、黒人や女性に対する差別、困難に遭いながら、
仕事をし、考え、話し合い、笑い、生き延びてきた。
著者はその話に耳を澄まし、彼女たちの思いを書きとめた。白眉の聞き書きに1篇を増補。

「100分de名著ブルデュー『ディスタンクシオン』」のサブ・テキストとして読んでも面白い。副題は「黒人女性の仕事と生活」という純正な社会学なフィールド調査としての本。であるが、日本には森崎和江と石牟礼道子との偉大な聞き書きの系統(巫女的というか声を引き出す文体)がある。

「ブルースなんてただの唄じゃないか」という言葉は、黒人が置かれている社会的身体的痕跡としての「ハビトゥス」(存在のあり方)をブルースとして捉えられるが、いつまでも可哀想な惨めなままの「ハビトゥス」の唄ではなく、希望の唄も歌えるということ。それは集会で主張される一つの生き方。

たぶんに教会的なものなんだ思うのはその後に続くインタビューの100歳超えのお婆さんの証言、黒人奴隷を解放され、南部で最初に黒人に言葉と教育を授けたのは北部からやってきたキリスト教会だった。それはプランテーションの農業労働者から都市の(大資本家に搾取される)工場労働者に変遷していくことであって、希望だけのことではあるまい。ただ奴隷労働から賃金労働者になる喜びは彼らには大きなものだった。

例えばマヘリア・ジャクソンがブルースを歌わない(ブルースは悪魔の音楽だから、教会音楽としてのゴスペルとは敵対する歌なのだ)、でもビリー・ホリディの歌が必要な人もいると思うのだ。黒人の知的教育が教会の元で行われた影響下はあると思う。犯罪者としての可能性が著しく高い地域の黒人たちの苦難(一度犯罪に染まると抜け出せない。依存症的な状態。)からの脱却するには宗教的(必ずしもキリスト教ではないだろうけど)な共同体を必要とするのは映画にも描かれている。

黒人の共同体の中で生きてきた100歳を超えるお婆さんの教会の一神教を一概には否定できないとは思う。おもしろいのはお婆さんの記憶の区切りがキング牧師の死去にあること。犯罪からの脱却は神の啓示(ブルデューが否定する稲妻の一撃)が必要なのだ。高等教育を受けるにも男子はジム・クロウ法時代には生意気とみなされ殺されるから女子しか受けさせなかった。その女子にしても黒人が少なくなる上の学校ほど人種差別が酷く、実際に成れる職業(美容師とか助産婦)も限られていた。(2021/01/04)

関連書籍『塩を食う女たち』藤本和子


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