私の不機嫌と、家族の不機嫌は違う気がする
※いつも書いている内容とは少し系統が違います。
また、特定の誰かを責めるための文章ではありません。
私自身の感情整理と、同じように悩んでいる人のために書きました。
不機嫌について
同じ「不機嫌」でも
なぜか同じものに思えない。
最近そんな違和感がある。
私の場合理由があって不機嫌になる。
でも家族の不機嫌は、「甘え」に見えてしまう。
この感覚は、私が厳しすぎるのか。
それとも、ちゃんとした違いがあるのか。
不機嫌は、すべて同じではない
「不機嫌になること」自体が悪いわけではない。
人は疲れるし、限界もあるし、
悲しみや悔しさをうまく言葉にできない日もある。
問題は、
その不機嫌をどう扱うかだと思う。
・私の不機嫌について考えてみる
私が不機嫌になるときは、たいてい理由がある。
物理的に余裕がない
頑張っているのに伝わらない
言いたいことが言えてない
本当は、不機嫌でいたいわけじゃない。
できるなら、分かり合いたいし、整えたい。
私の不機嫌は、
「これ以上は無理」というサインで、
「助けてほしい」「気づいてほしい」というSOSに近い。
・家族の不機嫌に感じる違和感
家族の不機嫌は少し違って見える。
何が嫌なのか説明されない
言葉遣いや態度があらっぽくなる
空気だけが重くなる
すると私は、
「今は話しかけない方がいいかな」
「あれが原因かな」と考え始める。
結果的に、
私が気を遣い、私が場を整え、
私が感情を引き受ける構図になる。
ここで、私は疲弊する。
決定的な違いは「責任の所在」
同じ不機嫌でも、
決定的に違うのはここだと思う。
私の不機嫌は、
『自分の限界に責任を持とうとする感情』
家族の不機嫌は、
『感情の処理を相手に委ねる態度』に見える。
言い換えるなら、
私は「伝えたい」から不機嫌になる
家族は「察してほしい」から不機嫌になる
この違いは、とても大きい。
「甘え」に見えてしまう理由
家族の不機嫌が「甘え」に見えるのは、
感情そのものではなく、
感情を誰が処理する前提なのかが
最初から決まっているように感じるからだ。
不機嫌を出せば、
誰かが空気を読んでくれる。
誰かが折れてくれる。
それは、相互に支え合う安心とは、少し違う。
私は甘いのか
私は甘いのではなく、
共感しすぎていただけ。
相手の背景を理解しようとし、
理由を探し、飲み込み続けてきた。
でも、
理解することと、引き受けることは違う。
説明されない不機嫌を、
無条件に受け取ってはいけない。
最後に
不機嫌は、
その人の未処理の感情が表に出たもの。
それをどう扱うかは、
本来、本人の課題。
私の不機嫌は、
壊れないためのサイン。
相手の不機嫌は、
私が処理するものではない。
深刻な話を書きましたが、まずは寝よう、という結論に落ち着いています。
👶絶賛睡眠退行中👶
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