見出し画像

百年戦争 ― ジャンヌ・ダルクは、なぜ守られなかったのか 〜フランスの英雄となった少女の悲劇とパンテオン壁画が語る真実〜


フランス王位をめぐる長い影


ユーグ・カペーから始まったカペー朝は、約340年にわたりフランス王国を着実に築き上げてきました。

ユーグ・カペー

しかし1328年、カペー朝最後の王シャルル4世が男子後継者なく没したことで事態は急変します。

フランス諸侯は女性継承を禁じる「サリカ法」を盾に、ヴァロワ家のフィリップ6世を新王に選びました。これに対し、イングランド王エドワード3世が強く異議を唱えます。彼はシャルル4世の妹を母に持つ甥であり、血統上も極めて近い存在でした。

この王位継承問題に加え、領土をめぐる対立が重なり、1337年頃から始まったのが百年戦争です。実に116年にわたる断続的な紛争は、フランスを戦火と貧困のどん底に突き落としました。

百年戦争(イメージ)



国家分裂とオルレアンの危機


1420年、精神を病んだシャルル6世はトロワ条約を結び、娘カトリーヌをイングランド王ヘンリー5世に嫁がせます。

トロワ条約

この条約により、シャルル6世死後、イングランド王がフランス王を兼ねる「二重王国」が約束され、王太子シャルル(後のシャルル7世)は王位継承権を完全に剥奪されました。

フランスはアルマニャック派(王太子支持)とブルゴーニュ派(イングランド寄り)に分裂。国内が二つに分断されたまま、イングランド軍はフランス北部をほぼ制圧し、1428年10月には戦略の要衝オルレアンの包囲を開始しました。

7ヶ月以上に及ぶ包囲戦。街は飢えと砲撃に苦しみ、フランスは崩壊の瀬戸際に立たされていました。


農家の少女がもたらした奇跡


そんな絶望の底に、一人の少女が現れます。

ジャンヌ・ダルク——

フランス北東部ドンレミの農家に生まれた少女です。12〜13歳の頃、大天使ミカエル、聖カトリーヌ、聖マルガリタの声を聞き、「王のもとへ行き、フランスを救いなさい」と繰り返し告げられます。

「ジャンヌ・ダルク、声を聞く」

17歳になった1429年、彼女はシノン城で王太子シャルルに謁見。確信に満ちた眼差しに「神の兆し」を見出した王太子は、彼女に甲冑と旗を与えました。1429年4月29日、ジャンヌはオルレアンに入城。

「オルレアン包囲戦におけるジャンヌ」

男装して白い旗を掲げて戦う少女の姿は、疲弊した兵士たちに希望を与え、わずか9日後の5月8日、オルレアンは解放されました。

その後、ジャンヌはシャルル7世をランス大聖堂へ導き、1429年7月17日に正式な戴冠式を実現させます。

「シャルル7世の戴冠式」


彼女の使命は、ひとまず達成されたかに見えました。


王と少女のすれ違い、そして悲劇


しかしここから、二人の道は徐々に分かれていきます。

シャルル7世は王国再建と現実的な和平を望みました。一方、ジャンヌは「フランスを完全に取り戻すまで戦い続けなければならない」と神の声を信じていました。

1429年9月のパリ奪還作戦は王の撤退命令により失敗。以降、王とジャンヌの間には距離が生まれます。

1430年、ブルゴーニュ派の軍に捕らえられたジャンヌは、イングランド支配下のルーアンで異端裁判にかけられます。裁判を主導したのはイングランド寄りの司教ピエール・コション。政治的意図が色濃く反映された不公平な裁判でした。

フランス王シャルル7世は、まだ王権が脆弱だったため、教会裁判に介入するリスクを避けました。国家も教会も、彼女を守ることはありませんでした。

1431年5月30日、19歳のジャンヌはルーアンの旧市場広場で火刑に処されます。最期の言葉は「イエス」だったと伝えられています。

「火刑に処されるジャンヌ・ダルク」


名誉回復と永遠の英雄へ


ジャンヌの死から25年後の1456年、教会は再審を行い、裁判の不当性を認め、正式に破棄しました。シャルル7世も調査を命じ、名誉回復を支援します。

こうしてジャンヌ・ダルクは、フランス王国の歴史の中で永遠の英雄として記憶されることになりました。そして百年戦争は1453年、フランスの勝利で幕を閉じました。


19世紀フランスが描いたジャンヌ像

《ジャンヌ・ダルク壁画シリーズ》
ジュール=ウジェーヌ・ルヌヴー(パンテオン)


19世紀、フランスが「偉大な人物たち」を讃えるために整備したパンテオンに、ジュール=ウジェーヌ・ルヌヴーが1886〜1890年に制作した4枚の大型壁画があります。

1.  《Jeanne d’Arc entendant les voix》
  
(ジャンヌ・ダルク、声を聞く)
ドンレミの庭で天の声を聞く13歳のジャンヌ。純粋な表情と神聖な光が、運命の始まりを描き出しています。

2.  《Jeanne d’Arc en armure devant Orléans》
  
(オルレアン包囲戦におけるジャンヌ)
甲冑をまとい旗を掲げるジャンヌ。彼女が「王の意志のもとで戦う」象徴であることを強く印象づけます。

3.  《Le Sacre de Charles VII》
  
(シャルル7世の戴冠式)
ランス大聖堂での戴冠式。シャルル7世の傍らに立つジャンヌが、使命の頂点を象徴します。

4.  《Jeanne d’Arc au bûcher》
  
(火刑に処されるジャンヌ・ダルク)
炎に包まれる19歳の少女。奇跡はなく、国家にも教会にも守られなかった静かな最期。その厳しさが、ルヌヴーの描く悲劇の深さを際立たせています。

パンテオン
(フランス・パリ5区)


ジャンヌ・ダルクの生涯は、わずか19年という短いものでした。しかしその炎は、フランスの歴史に永遠の光を投げかけました。

今日も、オルレアンで行われるジャンヌ・ダルク祭では彼女を讃える白い旗が翻り、処刑地となったルーアンの旧市場広場には彼女を偲ぶ碑が立っています。

1920年にカトリック教会により聖女に列聖されたジャンヌ・ダルクは、フランスのみならず、世界中の人々の心に「希望と勇気」の象徴として、今も生き続けています。


主要年表

• 1337年頃 百年戦争開始
• 1420年  トロワ条約
     (フランス分裂、二重王国約束)
• 1429年4月29日 ジャンヌ、オルレアン入城
• 1429年5月8日 オルレアン解放(わずか9日で)
• 1429年7月17日 シャルル7世、ランスで戴冠
• 1430年  コンピエーニュで捕縛
• 1431年5月30日 ルーアンで火刑(19歳)
• 1453年  百年戦争終結(フランス勝利)
• 1456年  裁判再審・名誉回復
• 1920年  カトリック教会により聖女に列聖


動画でも詳しく解説しています

【百年戦争】ジャンヌ・ダルクは、なぜ王に守られなかったのか ― 百年戦争と少女の悲劇【フランス史】

ぜひ動画と合わせてご覧ください。作品の細かな描写や雰囲気を、ナレーションとともに味わっていただけるとより一層楽しめるはずです。

気に入っていただけたら、チャンネル登録・高評価をいただけるととても励みになります!


#ジャンヌダルク #百年戦争 #フランス史 #歴史好き #ジャンヌ・ダルク #オルレアン #聖女ジャンヌ #中世フランス #英雄伝 #パンテオン #ルヌヴー

いいなと思ったら応援しよう!

ArtHistoria よろしければ応援お願いします!