スチームおじさん大学院編:第4話『真夏の夜の夢のあと』~解放感と甘い誘惑と後悔と~
前書き:──あの夜の光は、きっと現実よりも鮮やかだった。
プールの水面に揺れるライト、青春の一ページのような笑い声、
そして──逃したチャンスと、差し戻されたレポート評価。
解放感。甘い誘惑。そして静かな後悔。
これは、夏の夜にしか訪れない“夢のあと”を描いた、
スチームおじさんのほろ苦く、そして愛おしい一夜の物語である。
🍹あの“キャンパスの美女”の招待状。
ざわめく胸、揺れる欲、そして迎えた初夏の夜。
無邪気な笑いと、報われない努力と、KFCのチキン。
「これが大人の青春なのかもしれない」──
そう思わせる夜が、そこにあった。
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大学院の授業が始まってからというもの、スチームおじさんは相変わらず、膨大な課題と格闘する毎日を送っていた。
だが、タオやハンをはじめとするクラスメートたちとの助け合いに支えられ、なんとか授業をパスしながら、前期を乗り切っていた。
気がつけば、受講していた4クラスも最終テストを残すのみ。
あれほど遠くに感じていた“一区切り”が、ようやく視界に入ってきた。
季節はまもなく6月を迎えようとしていた。
スチームおじさんが暮らすミッドウエストにも、初夏の足音が静かに、しかし確かに近づいていた。
防寒着はタンスの奥にしまわれ、代わりにTシャツとジーンズが日の目を見る。
朝は小鳥のさえずりで目を覚まし、どこか身体も心も軽く感じられる──そんな日々が、少しずつ日常になりつつあった。
そんなある日、エメカが嬉しそうに声をかけてきた。
「なぁスチーム、ケリーの誕生日パーティー、行くか?」
──ケリー。
大学内でも噂の的になっていた“あのケリー”である。
金髪にブルーの瞳、モデルのようなスタイル。
その美貌は州のミスコンでファイナリストにまで残ったという逸話を持つ、まさに“超絶美人”だった。
話によれば、彼女の誕生日パーティーは夏休みに中ごろに、近くのホテルで開催される予定とのこと。
しかも、プール付きの屋外スペースを貸し切った水着パーティーらしい。
思わずスチームおじさんはゴクリと喉を鳴らした。
「行くしかないだろ……!」
鼻の下を伸ばしながら、彼は語学学校からの旧友・ムハンマドを誘って、パーティーへの潜入計画を練り始めた。
夏休みに入ると、ほとんどのアメリカ人学生は一斉に学生寮を離れ、それぞれの実家へと戻っていく。
サマークラスを履修している学生や、部活動に打ち込むアスリートたちを除けば、学生寮はまるで殻だけになった貝のように、静まり返っていた。
留学生たちも同様に、アメリカ国外へ旅行に出かけたり、母国に一時帰国したりする者がほとんどだった。
そんな中、ムハンマドは国に帰ることもなく、旅行に出かけることもせず、
ひとり学生寮でXボックスに没頭していた。
昼夜逆転の生活のなか、ゲーム画面だけが部屋の中でまばゆく光っていた。
ムハンマドとは、語学学校時代からの付き合いだった。
なかでも、世界史とEnglish 101のクラスでは、特に深く支え合った仲だ。
大学編入当初、英語力がまだ発展途上だったスチームおじさんと、
世界史がどうにも苦手だったムハンマド。
お互いの“弱点”を補い合うように、試験前には一緒に図書館にこもり、
ときには拙い英語と身振り手振りを交えながら、どうにか課題を乗り越えてきた。
そうして芽生えた友情の絆は、静かだけれど、確かに深かった。
ムハンマドは日本のアニメが好きで、少年のような無邪気さを残す青年だった。
その純粋さと飾らない性格は、どこかスチームおじさんの心をほっとさせるものがあり、
彼との時間は、異国の地においてもどこか“素の自分”でいられる、貴重なひとときだった。
ムハンマドの部屋に向かうや否や、スチームおじさんは開口一番に伝えた。
「ケリーのプールパーティーが、この夏休みにあるらしいぞ!」
ムハンマドはベッドの上でXボックスのコントローラーを握ったまま、目を丸くして言った。
「リアリィ?」
その顔には、**「まさかこの俺が、あのケリーのパーティーに…?」**という、驚きとわずかな高揚がにじんでいた。
が、次の瞬間にはいつもの調子で「行こうぜ!」と、二つ返事で賛同。
ふたりはすぐに寮を飛び出し、近所のJCPenneyへと水着を買いに向かった。
それぞれ、少しでも“盛れる”一着を選びながら、
「やっぱ黒が締まって見えるかな」
「でも青も爽やかかも」
などと、まるで高校生のようにはしゃぎ合っていた。
さらに、ホテルのドレスコードが気になったふたりは、
寮のクローゼットの奥から、ホコリをかぶった一張羅のスーツを引っ張り出す。
試しに着てみると、思いのほかシワシワだったため、
「これはマズい!」と、慌ててクリーニング店へ駆け込むのだった。
そんな中、エメカからケリーのプールパーティーについて新たな情報が入った。
どうやら、開催は約2か月後──8月頃になるらしい、とのことだった。
スチームおじさんにとっては、完全に計算外だった。
てっきり夏休みの序盤だと思っていたそのイベントは、サマークラスの中盤に差しかかるタイミングで行われるというのだ。
「まぁ……なんとかなるだろう」
そう軽く受け流しながらも、スチームおじさんの胸の奥には、
どこか小さな不安の種が植えつけられていた。
それでも日々の勉強漬けの生活は続き、
宿題、リーディング、プレゼン、グループワークに追われる毎日。
だが一方で、“夏の夢”の舞台に少しでも見栄え良く立ちたいという見栄もまた、確かに彼の心を動かしていた。
スチームおじさんは、ダイエットに取り組み、筋トレにも精を出し、食事管理にも気を配り始めた。
いつもの大学院ルーティンに、「プールサイド映え対策」という名の新たな目標が加わったのである。
そして、ついに迎えたプールパーティー当日。
しかしその朝、スチームおじさんはまたしても計算外の現実に頭を抱えることとなった。
なんと――
ケリーのプールパーティーの翌日が、Human Resourceクラスの中間レポートの提出日だったのである。
「……マジかよ」
必死にスケジュール帳を見返すも、現実は変わらない。
パーティーの翌朝までにレポートを仕上げなければならないという、絶望的な事実だけが、冷たくそこにあった。
一瞬、スチームおじさんの脳裏には「もうやめておこうか……」という考えがよぎった。
だが次の瞬間、ケリーの笑顔と、あのプールサイドの幻想的な光景が浮かんでくる。
「行くしかない……これは、一生に一度かもしれないんだ」
そうして彼は、理性ではなく“甘い誘惑”に身を委ね、パーティーへの参加を決意したのであった。
パーティーが始まるのは夜の19時だったが、
スチームおじさんとムハンマドは、すでに興奮を隠しきれなかった。
スチームおじさんは密かに、**「もしかしたらソフィアも来るのでは…?」**と淡い期待を抱いていた。
美しい金髪の彼女の姿がプールサイドに浮かぶたび、彼の妄想は広がっていくばかりだった。
出発までの数時間、二人は寮の部屋でたわいもない話に花を咲かせていた。
「なあ、ムハンマド。パーティー会場で股間にテント張るなよな!
あれ、おこちゃまには刺激強すぎるって!」
"Hey, Muhammad. Don’t pitch a tent at the party, okay? That stuff might be a little too intense for the kiddies!"
「お前が言うなよ、スチーム!
お前のはテントっていうか、日よけのシェードだろ?サイズ的に!」
"You’re one to talk, Steam! Yours isn’t even a tent—it’s more like a sunshade! I mean, size-wise!"
「F**k you, Muhammad!!」
「F**k you too, Steam!!」
──そして、
「ハハハハハッ!!」
スーツ姿の男ふたり、大学寮の一室で爆笑が響く。
その無邪気な笑いは、まるで**“現実の重さを忘れた夏の逃避行”**の始まりを告げていた。
パーティー開始の19時をすでに30分ほど過ぎた頃、
スチームおじさんとムハンマドは、ついにホテルへと向かうことにした。
支度の途中で何かと騒いでいたふたりは、
テンションが高まりすぎて、少しだけ時間を食ってしまっていたのだ。
ホテルへ向かう途中、スチームおじさんはカフェテリアで夕食を終えたタオの姿を見かけた。
彼女はスチームおじさんのスーツ姿をちらりと見て、少し怪訝そうに声をかけてきた。
「外食にでも行くの?……HRのレポート、終わったの?」
「まだだよ。これからさ。」
スチームおじさんが苦笑いで答えると、
タオは、少し呆れたような、それでもどこか優しい表情でこう忠告した。
「早めに切り上げて帰ってきた方がいいよ。
HRのレポート、結構大変だから。……私もまだ終わってないし。」
その言葉は、静かに彼の耳に届いていたはずだった。
だが──この晩のスチームおじさんは、誰にも止められなかった。
ホテルへ向かう途中でも、ふたりのテンションは最高潮だった。
「ムハンマド、いいか?抜け駆け禁止な!
話しかける時は“二人で”だぞ!先に声かけた方が──
フジヤマステーキハウスのステーキ、奢りな!」
「望むところだ、スチーム!」
そうして、心を躍らせながらふたりは、
ケリーの誕生日パーティーが行われるホテルの前へと、足を踏み入れていくのであった。
ホテルに到着すると、パーティー会場はすでに多くの人で賑わっていた。
プールサイドには笑い声が飛び交い、バーカウンターにはドリンクを手にした学生たちが思い思いに談笑していた。
その中には、サマークラスやキャンパスでちらほら見かけたことのある顔も何人かいた。
だが、今夜はみんな、普段とはまったく違う装いで、まるで別世界の住人のように見えた。
水面には、赤、青、黄、紫のライトがリズミカルに反射していた。
波紋が広がるたびに、光の色も形も揺れ、プール全体がまるで生きているような幻想的な景色をつくり出していた。
空気を震わせるようなテクノ音楽の重低音が、耳ではなく、体の芯に響く。
リズムに合わせて鼓動が早まり、ふたりはしばらくその場に立ち尽くした。
この“現実とは思えない光景”の前で、スチームおじさんもムハンマドも、
ただ圧倒されていた。
そんな中、スチームおじさんは、
突然「トントン」と後ろから肩を叩かれた。
「えっ……誰だ?」
驚いて振り返ると、そこには見覚えのある微笑みがあった。
ケイト──
以前、世界史のグループワークで一緒にプレゼンをしたアメリカ人の女子学生だった。
優秀で気さく、そしてどこか姉御肌のような空気を持っていた彼女は、プールライトに照らされていつもより少し大人びて見えた。
「え、スチームじゃん!」
彼女はニヤッと笑いながら言った。
「珍しいね、あんたがこんなとこにいるなんて!」
少し茶化すように目を細めて──
「……ははーん。さては……」と、すべてを察したような顔をした。
スチームおじさんは、とっさに何も言えず、ただ曖昧に笑うしかなかった。
「ま、楽しんでね」とだけ言い残して、ケイトはドリンク片手にプールの方へと消えていった。
その背中を見送りながら、スチームおじさんは小さくため息をついた。
(……なんか、見透かされた気がするな)
でも、心のどこかで、ちょっと救われてもいた。
そして──ついに二人は、あの夜の主役・ケリーを見つける。
ライトに照らされたプールサイドの奥。
そこに彼女はいた。濡れたブロンドが背中に流れ、白いタンクトップが肌に張り付き、きらめく水滴が星のように散っている。
スチームおじさんとムハンマドは、同時に息を呑み、互いに顔を見合わせた。
──今の、見たか?
言葉はなくても通じ合う。
あれは、確かに天使だった。
だが、その天使の周囲には、すでにアメフト部のエースQB、バスケ部の主将、女子サッカーのスタープレイヤーなど、いわゆる“1軍”ががっちりと陣を固めていた。
一般兵のスチームおじさんとムハンマドにとっては、まさに“ノーチャンス”の布陣。
「……突撃、無理だな。」
「……殉職、確定だな。」
二人はプールサイドの影に身を隠しながら、時折目だけで彼女を追っていた。
隙を見て近づくも、話しかけられる気配すらない。
途中、意を決して別の女子に声をかけたスチームおじさんだったが──
「Hi. Do you wanna drink together?」
「Who are you? I don’t know you.」
──撃沈。
ムハンマドも続いた。
「Hey, you’re from Pluto University?」
「Sorry, I have a boyfriend.」
──連続撃沈。
もはやドリンクカウンターとプールの隅を何往復したかわからない。
それでも、スチームおじさんたちは“あきらめる”という選択肢だけは、最後まで選ばなかった。
何度かカウンターにドリンクをもらいに行くと、
イケメンのバーテンダーと目が合った。
「ドンマイ、バディ。次は頑張れよ」
そんな言葉を投げかける代わりに、
彼は静かにグラスを差し出しながら、やさしく笑ったのだった。
あの夜、唯一微笑んでくれたのは、
プールでも、女神でもなく、バーテンダーだった。
「なあスチーム、これ……もしかして俺ら、背景のモブキャラか?」
「……たぶん、観客すら見てない。」
そんな自虐を笑いに変えたときだった。
ケリーが、バスケ選手の腰に手を回しながら、プールサイドを抜け、駐車場へと消えていった。
こうして、プールパーティーの主役が去ったこともあり、パーティーは終焉を迎えたのである。
ソフィアはこのパーティーには来ていなかった。
「……しかたない、帰るか。」
スチームおじさんが呟くと、ムハンマドは静かにうなずいた。二人は肩を並べ、重い足取りで大学のキャンパスへ向かって歩き出した。
そのとき──
「Steam! Do you need a ride?」
後ろから聞き覚えのある声がした。振り返ると、ケイトが車の窓から顔を出して微笑んでいた。助手席には、彼女のボーイフレンドが座っていた。
「あんたたち、どうせ歩いて帰るんでしょ?乗りなよ。」
ありがたい申し出に、スチームおじさんとムハンマドは素直に甘えることにした。
夜風が車窓から流れ込む中、気まずい沈黙もなく、穏やかなドライブが続いた。ケイトはキャンパス近くで車を停め、二人を降ろしてくれた。
「Thanks, Kate. You saved us tonight.」
「Don't mention it. Just... don’t give up, okay?」
と、彼女はいたずらっぽく笑った。
別れ際、軽くハグを交わし、ケイトとボーイフレンドは夜の街に消えていった。
──それから。
「あれ、そういえば今日、まともにメシ食ってなくね?」
「……KFC、寄るか。」
夜の空気に負けそうな心を、油とスパイスでごまかすように、二人は静かにチキンを頬張った。
KFCの片隅で行われた反省会は、笑いとため息が交互に漏れる、ほろ苦い夜の終章となった。
二人はKFCでキチンを摘まみながら、しょっぱい夜の反省会を行ったのである。
こうして、スチームおじさんが自宅のアパートに戻ったのは午後11時を過ぎていた。
そこからシャワーも浴びず、HR(Human Resource)の中間レポートに取りかかった。
提出期限は翌朝9時。
推敲する時間もないまま、夜を徹して書き上げた原稿を、大学のオンライン提出システムにアップロードしたのは、締切ぎりぎりの午前8時59分。
入力欄に文字を打ち込みながら、Wi-Fiの接続が一瞬でも不安定になることに冷や汗をかいた。
「お願いだから今だけは止まらないでくれ……!」
奇跡的に「Submission Complete」の表示が出た瞬間、スチームおじさんは椅子に沈み込み、深く長いため息をついた。
だが、完成度の低いレポートは、数日後「C+」という評価であった。
参考文献の不備、構成の甘さ、論理の飛躍……教授からのコメントは容赦なかった。
同じ課題で、タオは「A」、ハンも「A」。
タオは「Stupid...」と、呆れたようにつぶやきながら横目でこちらを見た。
一方、ハンは少し困ったように笑って、「次はがんばってね」と言わんばかりに肩を軽く叩いてくれた。
後書き:あの夜、たしかに笑ったし、夢も見た。
けれどその代償は、徹夜のレポートと「C+」という無言の鉄槌だった。
甘い誘惑に勝てなかった大人は、
チキン片手に反省するしかないのだ。
それでもスチームおじさんは、少しだけ前に進んだ……
そんな気がしている。
📘次回予告:
授業が終わり、キャンパスにゆっくりと影が伸びていくころ、
ロビーや廊下では、ほうきを持った仲間たちが動き出す。
教室の外にも、“学び”はあった。
スチームおじさんは、放課後のキャンパスで、
“本当に大切なこと”を教えてくれる人たちに出会う。
大学院編 第5話:
「スチームおじさんと清掃クルーの仲間たち
〜キャンパスの裏側で光るもの〜」
言葉より先に、
敬意が通じ合う関係が、たしかにそこにはあった。
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