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スチームおじさん大学院編:第9話 「天使の翼が剥がれる時」~真実を写す、虚飾の鏡~

前書き:
誰かを救おうとする優しさは、ときに、自分を縛る鎖になる。
その鎖を断ち切る痛みこそが、真の自由への第一歩だった——。

秋も深まり、朝晩の冷え込みが身にしみるようになってきた頃、
スチームおじさんは相変わらず、机にかじりつくように課題と格闘していた。
秋の冷え込みは、ただ気温の問題ではなかった。
彼の心にも、ゆっくりと静かな冬が訪れようとしていた。
――そう、あのサマークラスでHuman Resourceの授業をC⁺で終えた代償は、まだなお、彼の肩に重くのしかかっていた。
GPA 3.0未満で退学。
貯金もなく、逃げ道もない。
彼は今、まさに背水の陣に立たされていた。
後期も半ばを過ぎ、スチームおじさんが履修していたビジネス・ストラテジーのクラスでは、いよいよ本格的な実践課題が課されていた。
課題内容は、実在する企業のSWOT分析に始まり、
業界内の競合分析、今後の展望、そして「その企業が生き残るためには何をすべきか?」という未来戦略の立案にまで及んでいた。
しかも、すべてがグループワーク形式である。
それは、単なる学術課題というよりも、まさに現実世界を模した経営戦争だった。
仲間とともに立ち向かう者もいれば、足を引っ張る者、沈黙を貫く者もいた——。
いつもの通りスチームおじさんはその日も、アイーシャとタオと共に、大学図書館のミーティングルームで課題に取り組んでいた。
ビジネスストラテジーのグループワークは山場を迎えており、3人はホワイトボードを囲みながら、真剣な議論を重ねていた。
「市場シェアと技術革新……どっちに焦点を当てる?」
「リーダー企業の動き、分析しないと弱いかも」
そんな会話が飛び交う中、スチームおじさんは、腹部の違和感に小さく顔を歪めた。
——くっ、また来たか……。
「ちょっと、トイレ行ってくる」
そう言い残し、席を立ったその数十秒後のことだった。
彼のスマホの画面が、ポン、と静かに光を放つ。
それは、何気ない一通のソファイアからのメッセンジャーアプリから始まった、、、
"Hey Steam, finished your Marketing assignment yet? Wanna help me again 😉?"
(ねえスチーム、マーケティングの課題もう終わった?また手伝ってくれない?😉)
そのメッセージが届いたのは、ほんの数十秒前。
スチームおじさんがトイレに立っている間に、彼のスマホの画面が静かに光った。
同時期に受講していた“マーケティング”のクラスでは、実在する企業の主力商品のプロモーション戦略とキャッチコピーを考えるという個人課題が出されていた。
アイーシャとタオも同じ授業を取っていたため、メッセージの内容を一目見て、すぐに事態を察したのだった。
トイレから戻ると、ミーティングルームの空気がわずかに変わっていた。
アイーシャとタオが、いつになく真剣な表情でこちらを見つめている。
「スチーム、あなた……ソフィアのマーケティングの課題、手伝ってるの?」
先に口を開いたのは、アイーシャだった。
その声には、呆れとも心配ともつかない微妙な感情がにじんでいた。
スチームおじさんは一瞬、言葉を失った。
返答を探す間もなく、タオが静かに続ける。
「……もしかして、今までもずっと?」
その問いかけに、胸の奥がざわついた。
たしかに、スチームおじさんはこれまでにも、何度となくソフィアから課題の相談を受けていた。
アカウンティングのクラスで顔を合わせるようになってから、最初は軽いアドバイス程度だった。
だが、いつしかそれは構成の見直しや論旨の整理、参考文献の選び方にまで及ぶようになっていた。
下心がなかったとは言えない。
それでも――ソフィアに「ありがとう、助かったわ」と言われるたびに、心のどこかがじんわりと温かくなるのを感じていた。
それが嬉しかった。純粋に。
だが、いくら力になっても、彼女との距離は一向に縮まることはなかった。
ランチを共にすることもなければ、放課後に少し話すことすらままならなかった。
こちらから誘っても「ごめん、今日は予定があるの」と軽くかわされ、それ以上踏み込めなかった。
――これが、現実なのだ。
それでも、彼女は時折、スチームおじさんの感情を揺さぶるような言葉を投げかけてきた。
「You are Samurai!」
「You're such a tough guy!」
そんな風に笑顔で言われて、嬉しくない男がいるだろうか。
心のどこかで、“また力になりたい”と思ってしまう。
……いや、思わされていたのかもしれない。
今にして思えば、それは優しさではなく、甘い支配だったのだろう。
事態を把握したアイーシャが、ふっと鼻を鳴らすようにして立ち上がった。
「……もう、見てられないわ。私がスチームの代わりに言ってあげる!」
そう言い残し、迷いのない足取りでミーティングルームを出て行った。
スチームおじさんとタオは、一瞬呆気にとられてその背中を見送るしかなかった。
——アイーシャが向かった先は、図書館の別の階。
そこに、彼女はいた。
ソフィアは一人、窓際の席に腰をかけ、マーケティングの教科書を静かに眺めていた。
白いシャツの襟元から覗く首筋はすらりと伸び、かきあげていた金髪は無造作に後ろでひとつに束ねられていた。
光の加減か、その横顔は彫刻のように整っており、どこか儚げでもあった。
だが——その美しさの奥に、アイーシャはある種の「冷たさ」を見ていた。
それは、計算ではなく本能。
ソフィアは、自分が与える“印象”の力を、無意識にでも理解しているのだ。
「ねえ、ソフィア。少し、話があるの」
アイーシャの声は、はっきりとしていて、そしてどこか静かな怒りを孕んでいた。
スチームおじさんは、反射的に立ち上がった。
——やばい。アイーシャが何を言うか分からない。
そう思いながら、図書館の階段を一段飛ばしで駆け上がった。
彼女たちの姿を見つけたのは、ガラス張りの閲覧席のコーナーだった。
すでにアイーシャは、ソフィアの目の前に立っていた。
Sofia! Do not take advantage of Steam!
鋭い声が空気を裂いた。
ソフィアは驚いたように目を見開いたが、すぐに表情を落ち着かせると、スチームおじさんの方へゆっくりと視線を向けた。
「……彼が優しいから、教えてもらっているだけよ」
彼女の声は、驚くほど穏やかだった。
そして、にっこりと微笑んで言い放つ。
そうよね、スチーム?
スチームおじさんは、言葉を失った。
その一言には、
“あなたが好きでやってることでしょ”
“あなたの意志でしょ”
という、逃げ道のない暗黙の圧力が含まれていた。
アイーシャは一歩前に出る。
「それ、本当に“優しさ”だと思ってるの?利用してるって、わかってる?」
「……何の話?」
ソフィアの目には、わずかに影が落ちた。
"Aww, that’s sweet of you to care," Sofia said, tilting her head slightly.
"But really… this is our thing, not yours."

その笑顔は氷のように冷たく、周囲の空気をわずかに凍らせた。
「あら、気にかけてくれるなんて優しいのね。
でもね……これは私たちのことでしょ?あなたの出る幕じゃないわ。」
ソフィアの声は冷たく、そしてはっきりしていた。
その口調には、毅然としたプライドと、アイーシャへの明確な拒絶が込められていた。
一瞬、空気が張り詰めた。
アイーシャの眉がピクリと動く。
だが、すぐに平静を装って、静かに言い返した。
「……だから、黙って見てられないのよ。彼が、どれだけ無理してるか、あなた知らないでしょ?」
ソフィアは視線を逸らさず、ふっと鼻で笑った。
「彼が“嫌だ”って言ったら、頼まないわ。彼は一度も断らなかった。」
スチームおじさんは、まるで空気のようにその場に立ち尽くしていた。
二人の会話は、彼を通り越してぶつかり合っている。
ソフィアの横顔は、まるでギリシャ神話のアフロディーテを現代に蘇らせたかのようだった。
金髪をひとつに束ねたその姿は、どこか神秘的で、冷たくも気品があり、周囲の空気を一瞬で支配していた。
一方、黒髪をなびかせたアイーシャは、エジプトの女王クレオパトラのごとく、強い意志と知性をその瞳に宿していた。
真っ直ぐに相手を見据えるその佇まいは、周囲の者たちを自然と黙らせる力を持っていた。
図書館にいた学生たちは、口を開けたまま2人を見つめていた。
——スチームおじさんは思った。
今、世界でもっとも美しく、もっとも緊張感に満ちた究極の三角関係が、目の前で繰り広げられているように見えるのだろうと。
いや、少なくとも自分には、そう思えてならなかった。
現実逃避という名の妄想が、心にふと忍び込んできた——
だが、目の前の空気は、それを許してはくれなかった。
アイーシャも一歩も引かなかった。
「いいえ、これは“あなたと彼”だけの問題じゃないわ。」
その声には、揺るぎない信念が宿っていた。
これは私たちクラス全員の問題よ。
誰かが、誰かに“必要以上の負担”をかけ続けているなら――それは、もうグループ全体の信頼の問題なのよ。」
言葉を放ちながら、アイーシャはソフィアに鋭い眼差しを向けた。
まるでクレオパトラのように毅然と、美しく。
ソフィアも負けじと目を逸らさない。アフロディーテのように、冷たく誇り高く。
2人の女神が睨み合うその場で、
スチームおじさんはまるで“火の粉の中心”に取り残された一般兵のようだった。
——頼むから、誰か時間を止めてくれ……!
——誰かを守るつもりで、結局、自分を守れなかったのかもしれない。
彼の内心の叫びなど、誰にも届くはずもない。
だが、確かにその場にいた者たちは皆、息を呑んでいた。
この瞬間、図書館の空間すべてが、静寂と緊張に包まれていた。
二人の話し合いは、結局平行線のまま終わった。
交わることのない正義とプライド。
ソフィアも、アイーシャも、それぞれの言葉を胸に残し、その場を去った。
まるで、冷たい風がその余韻をかき消すように、静寂が戻ってくる。
スチームおじさんは、重い足取りでミーティングルームに戻った。
そこではタオが、黙ってホワイトボードのメモを整理していた。
何も言わず、ただ「おかえり」と視線で迎えてくれた。
椅子に腰を下ろすと、すぐにスマホがピコンと鳴る。
画面には、見慣れた名前が表示されていた。
「Sofia」
また、あの調子のメッセージだった。
“I’m sorry about earlier... But you’re still on my side, right? 😢”
(さっきはごめんね……でも、まだ私の味方でいてくれるよね?😢)
スマホが震えると同時に、アイーシャがぴくりと眉を動かした。
「……見せて」
スチームおじさんの手元からスマホを覗き込むと、画面にはソフィアの“謝罪風”のメッセージが浮かんでいた。
その瞬間、タオが静かに、だが鋭く言い放つ。
「スチーム、あんた——利用されてんだよ。
アイーシャも続ける。
「これ、お願いじゃない。服従の確認よ。
“謝ってる風”に見せて、次のコントロールに入ってるだけ。」
スチームおじさんは何も言えなかった。
ただ、画面を見つめるまま、心の奥で何かが音を立てて崩れていった。
優しさだと思っていた感情。
感謝だと信じていた言葉。
つながりと信じていた幻想。
——それは、幻想だったのかもしれない。
スチームおじさんは、深く息を吸い込んだ。
そして、わずかに震える指先で、スマホの画面にゆっくりと文字を打ち込む。
“I will not offer my assignments anymore.”
(もう、課題を代わりにやることはしない。)
送信ボタンを押したその瞬間、胸の奥で何かがふっと軽くなった気がした。
それは、罪悪感でも、未練でもない。
ようやく、自分のために選んだ“拒否”だった。
視線を上げると、アイーシャとタオが、静かに、そして力強くうなずいていた。
「よくやった」
そう言葉にはしなくても、二人の目がそう語っていた。
——長い沈黙のあと、ようやくスチームおじさんは、自分自身の側に立つことを選んだのだった。
翌日。
カフェテリアの入り口で、スチームおじさんは偶然ソフィアを見かけた。
心のどこかで、まだ“いつもの笑顔”が返ってくるのではと期待していたのかもしれない。
「……おはよう」
いつも通り、優しく声をかけた。
だが——
ソフィアはピタリと足を止め、こちらを一瞥(いちべつ)した。
その目は、冷たく、乾いたガラスのようだった。
そして、何も言わずにそのまま背を向けて立ち去った。
まるで、
「課題の答えもくれないあんたなんて、もう用なし」
そう言われたかのように——
スチームおじさんは、その場に取り残されたまま、
ただ小さく、自嘲気味に笑った
——これが、答えだった。
その夜——
スチームおじさんは、アパートのベッドに横たわりながら、天井を見つめていた。
「いや……いや、マジでさ……もったいねーって……!」
自分に言い聞かせるように、何度もつぶやく。
「……あのビジュアル、たぶん過去イチだったよな……てか、これから先も超えるのないかもしんねえ……」
その瞳、髪、笑ったときの頬のライン、
そして、あの甘ったるい英語の響き。
思い出すたび、胸の奥がズキズキと痛んだ。
「俺、なにやってんだろなぁ……」
誰にも届かない問いを、夜に溶かすように呟いた。
痛みと後悔は、いつも夜に膨らむ。
でもその裏には、
“本当の自分に戻るための試練”が静かに横たわっていた。
その時、アイーシャから電話があった。
「スチーム、あんた……まだソフィアに答え教えてないでしょうね?」
「いいや、もう答えなんて送ってないよ」
「ほんとに?あんた、ちょっと騙されやすいとこあるからね」
「……俺もそう思う」
思わず吹き出して、二人で笑い転げた。
その笑い声は、少しだけスチームおじさんの心を軽くした。
そして電話を切る直前、アイーシャが言った。
「明日さ、ジュピターでブランチしながら、ビジストの課題進めよ。フレンチトーストでも食べながら」
「もちろん。食べたかったんだよ、あそこのやつ」
「タオにも声かけておくね。彼女、プレゼン資料の構成けっこう得意だからさ
「助かるよ。なんだかんだ、タオは頼りになるもんな」
電話を切ったあと——
スチームおじさんは、静かに心の傷を確かめた。
でも不思議と、ソフィアの仕打ちに中指を突きつけられるようになった自分が、
少しだけ誇らしく思えた。
……それでも、廊下ですれ違えば、
思わずソフィアを目で追ってしまう自分も、確かにいる。
人の心は、そんなに器用にはできていないのだ。
気がつけば、学期も終盤。
最後の難関——
「修士論文」のクラスは、すぐそこまで迫っていた。
その夜、ふと窓の外に目をやると、空から静かに白い粒が舞い始めていた。
ようやく訪れた、雪のシーズン——。
雪は静かに積もりながら、汚れた地面さえも白く覆い隠していく。
まるで、過ちさえも赦してくれるかのように——。

だがその静けさの裏で、スチームおじさんは気づいていた。
新たな波乱が、もうすぐそこまで近づいていることを。

後書き:
誰かを想う優しさは、時に、自分をすり減らすことでもあります。
それでも、手放す勇気を選べたとき、人は初めて“自分の側”に戻れるのかもしれません。

今回の第9話は、スチームおじさんが「優しさ」と「支配」の狭間で、自分の意思を取り戻す物語です。
もしあなたにも、誰かの期待に応えすぎて苦しくなった経験があるなら——
この物語が、ほんの少しでも心を軽くするきっかけになれば嬉しいです。

次回、第10話「修士論文 地獄の序章」
――“夜明け前が、一番暗い”
どうぞお楽しみに。

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