知られざる名曲 |#青ブラ文学部 投稿
山根さん、青ブラ文学部の皆さん、笑芸家の初代王天君です。三回目の投稿をよろしくお願いします。
お題は「#知られざる名曲」で、ベートーヴェンの《ディアベリ変奏曲》について書こうと思います。
ベートーヴェン《ディアベリ変奏曲》
「知られざる」理由
まず、ベートーヴェンの《ディアベリ変奏曲》Op.120 というのは一般的には知られていないと思います。彼の有名な曲では、交響曲第9番(通称《第九》、または《歓喜の歌》)や交響曲第5番《運命》やピアノ・ソナタ第14番《月光》やピアノの小曲《エリーゼのために 》等が挙がるかと思います。また、変奏曲という形式・ジャンルでは、バッハの《ゴルトベルク変奏曲》やモーツァルトの《キラキラ星変奏曲》やラフマニノフの《パガニーニの主題による狂詩曲》が有名かと思います。しかし、彼の《ディアベリ変奏曲》はバッハの《ゴルトベルク変奏曲》と並び称されています。そんな大曲(大体50分くらいの曲です)がなぜ知られていないのか?
理由は簡単で、メロディーが良くないから、と僕は思います(!?)。いや、僕だけでなく、noter の kazyasuda さんも「実演を聴かないと何とも思わないピアノ曲」という記事で、この曲があまり知られていない理由について、以下のように書かれています――
[…]1)主題がダサい、2)第1変奏もダサい、3)メロディーで泣かすよりは音の組み合わせ、紡ぎ方でアッと言わせようとしている、各変奏一曲ごとの長さがかなり短い[…]
このように思われている方もいて、やはりあまり良いメロディーというわけではないかもしれません。(後述しますが、ベートーヴェン本人も、ディアベリという人から受けたこの主題について最初は良く思っていなかったそうです。) 例えば、モーツァルトやショパンやチャイコフスキーのような美しさ・耳心地の良さはなく、また、Pops や Rock のような聴きやすさもありません。そのため、何の事前情報も無くこの大曲を聴いても挫折します。しかし、それならば、何がそんなに良いのか?
《ディアベリ変奏曲》について
まずは、簡単にこの曲について書きます。横原千史先生の『ベートーヴェン ピアノ・ソナタ全作品解説』中の補論「ピアノ・ソナタのロンド、メヌエット、スケルツォと変奏曲、小品について」によれば――
この変奏曲の作曲のきっかけはアントン・ディアベッリの依頼であった。彼は1819年に自作のワルツ主題をもとに変奏曲を1曲ずつ作曲するよう50人の作曲家に委嘱したのだった。最初は主題の陳腐さを嘲笑していたベートーヴェンも、やがて興に乗ってつぎつぎと変奏を書きためていき、1823年にこの変奏曲は完成をみることになる。
こうあるように、最初はディアベリ(自身で作曲や出版も行なっていた)という人が作曲の依頼をしたそうです。しかし、ベートーヴェンだけでなく、「50人の作曲家に委嘱した」そうで、その中には、シューベルトやリスト(当時11歳!)といった人達もいたそうです。当のベートーヴェンは、1819年時点で49歳でした。彼は1827年に56歳で亡くなるので、かなり晩年の作品です。また、彼の最後のピアノ・ソナタ第32番が1822年、例の交響曲第9番《合唱付き》が1824年の完成なので、作曲技法が極みに達していた頃です。そんな彼がディアベリの作った主題をどう思ったか? 「最初は主題の陳腐さを嘲笑していた」。楽聖も「陳腐」と思っていたようで、これがどんなものかは、動画を載せましたのでぜひお聴きください。
しかし、それは「最初」で、「やがて興に乗ってつぎつぎと変奏を書きためていき」、遂には33もの変奏を作り上げ、彼の最大のピアノ曲の一つになりました。
“変奏の百科全書” ~究極の変奏曲~
彼のこの曲は “変奏の百科全書” とも謳われています。横原先生の前掲書によれば――
ベートーヴェンはこの巨大な変奏曲で主題のもつあらゆる要素を汲みつくしている。そして、その中に対位法、パロディ、バッハの技法、フーガなどあらんかぎりの変奏の手法をちりばめる。晩年のベートーヴェンは《ミサ・ソレムニス》と《大フーガ》でそれぞれのジャンルの百科全書的な大作を生み出しているが、この《ディアベッリ変奏曲》はまさに「変奏の百科全書」なのである。
こうあるように、「最初は主題の陳腐さを嘲笑していたベートーヴェン」は「この巨大な変奏曲で主題のもつあらゆる要素を汲みつくしている。」 そして、「あらんかぎりの変奏の手法をちりばめる。」 その結果、「変奏の百科全書」と呼ばれるに至りました。彼はこの曲で、変奏技法の限界に挑もうとしていたのかもしれません。可能な限りの変奏とその方法を追求していたのかもしれません。
よく指摘されることですが、彼は即興演奏の名手でした。20代の頃に故郷からウィーンに出て、貴族達を前にして即興演奏を繰り広げ、人気と収入を得ていたそうです。その時主題になっていたのは当時流行していた歌だそうですが、「その数限りない即興的変奏曲のうち、出来のよいものをつぎつぎと楽譜にして出版していくことになる。」(横原千史、前掲書、p.204) ベートーヴェンは《変奏曲》の天才でした。
しかし、彼の人生で最初に出版されたのは《ドレスラーの行進曲による9つの変奏曲》で、当時10歳でした(!)。また、彼のライフワークであり、指揮者H・ビューローに「音楽の “新約聖書”」とも言われたピアノ・ソナタ32曲の多くに、《変奏曲》という形式が取り入れられています。特に第32番では、終楽章(この曲では第2楽章)が《変奏曲》となっており、ピアノ・ソナタという「ソナタ形式」よりもウェイトが大きくなっています(楽章の長さも)。また、彼の最後の交響曲第9番の有名な《歓喜の歌》は第4楽章ですが、この楽章も《変奏曲》のようであり、彼はその人生で、最初から最後まで《変奏》を行なっていたのかもしれません。
そんな彼が晩年に挑んだ――「あらんかぎりの変奏の手法をちりばめ」た――《ディアベリ変奏曲》は、“究極の変奏曲” と言えるかもしれません。
《ディアベリ変奏曲》の聴き方(完全に私論)
それでは、この難曲をどう聴けばいいのか? ここから、完全なる私論を述べたいと思います。(完全なる私論のため、一切のご批判はご容赦頂きたく思います。)
最初に述べた通り、メロディーは良くないので(!?)、いわゆる美しい音楽というものは諦めてください(!?)。(もちろん、良いメロディーはあります!)
ならば、何を聴くのか? 「あらんかぎりの変奏の手法を」。この曲は彼の変奏技法の集大成なので、それを味わいましょう、と僕は勝手に思っています。
そこで大変な助けになってくれるのが、楽曲分析です。我らが note にはこの《ディアベリ変奏曲》の詳細な分析記事があるので、それを紹介します。書かれたのは伊澤 悠さんという方で、ピアニストです。伊澤さんは自身のリサイタル(2020年)でこの曲を演奏することになり、鑑賞者への一助になればとのことで、解説記事を書かれたそうです。タイトルは「解説:ディアベリ変奏曲 ①~⑩」で、全10記事あります(!)。僕は全部読ませて頂き大変参考にさせて頂いたのですが、皆さんもぜひ読んでみてください。以下には、楽譜(主題)が色分けして構造化されている「解説 ③」のリンクを貼ります――
僕は全然音楽の専門家ではないため、楽曲分析についてプロのピアニスト以上に書けるはずもないのですが、「《ディアベリ変奏曲》の聴き方」と銘打った本章で「伊澤さんの記事を読んでください」だけで終わるのもどうかと思うので、以下に、ベートーヴェン独自の主題・素材の扱い方について、簡単に書きます。
この《ディアベリ変奏曲》が聴きやすいものではない理由の一つに、主題と各変奏との関係が分かりにくい、というのがあると思います。例えば、《キラキラ星変奏曲》では、ずっと〈キラキラ光る ~〉というメロディーラインがあり、その主題と各変奏の関係が明確です。しかし、ベートーヴェンはこの曲でそういった変奏はほとんどしません。この曲では、多くの変奏が一聴だけでは主題と無関係のように思えます。しかし、無関係な変奏は一つも無く、すべての変奏が主題と結び付けられています(全然そんな風には聴こえなくても)。
それを伊澤さんは、楽譜を使い、主題を a ~ g の7つの部分に分けて、それらの部分が各変奏で使用されている、と書かれています。例えば、第1変奏ではその b, c, e, f が使われ、第2変奏では c, f が、第3変奏では a, b, f, g が使われているそうです。(「解説 ⑥」) そして、最終第33変奏まで、この a ~ g の7つの部分のどれかが含まれています。(「解説 ⑨」) 或いは、ベートーヴェンは、「この巨大な変奏曲で主題のもつあらゆる要素を汲みつくしている。」 そうして、主題とはかけ離れているように聴こえても、きちんと主題から生成されている、33もの変奏が作られています。
noter の Logophile さんは「ウクライナのモーツァルト」という記事で、この変奏曲が「[…]どう変化するかに着目して聴くならば、こんなに楽しい変奏曲は他にありません。」と書かれています。これには僕も大賛成で、次はどんな変奏になるかと予想しながら聴いてみると、とっても楽しいと思います(絶対当たらないと思いますが……)。
或いは、ベートーヴェンの “変奏への意志・執念” そのものを感じてみようとするのもいいかもしれません。ぜひ、彼の《変奏曲》の最高到達点に触れてみてください。
ちなみに、この曲の変奏数の「33」という数についてですが、伊澤さんは「解説 ②」で以下のように書かれています――
アルフレッド・ブレンデル[ピアニスト]は、自身の著書でベートーヴェンがこの変奏曲において「33」の変奏を書いたのは意図的だったという興味深い見解を示している。
そして、その理由の一つとして、最後のピアノ・ソナタ「32」の続き、というものが挙げられています。また、M・ビュトール『ディアベリ変奏曲との対話』(筑摩書房、1996年)の訳者・工藤庸子さんはその「訳者あとがき」で、「[…]ベートーヴェン自身が32のソナタを書いたのち『33変奏曲』にとりくんだのだった。」(p.220)と書かれています。この「33」という数には、やはり何か意味がある……?
演奏(音源)について
冒頭にこの曲の演奏を挙げました。一つ目は髙橋孝輔さんの演奏です。二つ目はCDで、イゴール・レヴィットの演奏です。これらについて、以下に簡単に書いてみます。
まず、二つ目のイゴール・レヴィットのCDですが、これは僕が初めて《ディアベリ変奏曲》を聴いてみようと思い、BOOKOFF を探していたら見つけたものです。後で調べたら名盤だったようですが、その時はとりあえず聴けるものがあればいいと思っていました。そして、その後ずっと聴いていたのですが、この演奏が僕のスタンダードになり、変な感想になりますが、良いとか悪いとか云々で、僕の《ディアベリ変奏曲》はこれだ、といったようなものです。第9変奏はふざけ尽くしていて最高です。
次に、一つ目の髙橋孝輔さんの動画ですが、こちらも動画で探し始めてかなり早くに見つけたもので、この演奏を聴いてから「もう他の動画は探さなくていいか」と思ったくらい、僕にとっては素敵な演奏です。髙橋さんは一音一音がかなり力強く、トリルが爆速で爆発しちゃっています。脱いだら凄い身体をしているんだと思います。また、先に kazyasuda さんの「2)第1変奏もダサい」という言葉に同意しましたが、髙橋さんの第1変奏は格好良いです。大変堂々とされています。M・ビュトールは前掲書でこの第1変奏について、「この威風堂々たる曲に、モーツァルトの交響曲にちなんでジュピターという名をあたえることにいたしましょう。」(p.11)と書いていますが、髙橋さんはこの言葉を6000回読んだのだと思います。
あと、絶対に聴いてほしいのが、第21変奏です。ここでは、変奏の前半と後半とで最強度の対照が作られています。即ち、「速・強」⇔「遅・弱」。この「速・強」と「遅・弱」が交互に4回繰り返されるのですが、髙橋さんはかなり苛烈にこの対照を強められています。僕は芸術の真理なるものを勝手に “対照性” としているのですが(絵画ではカラヴァッジョのように)、もしかしたらこの変奏は、クラシック音楽史上最大級の対照……?
大変ありがたいことに、この動画はチャプター分けがされているので、各変奏へ飛ぶことができます。ぜひお好きな変奏からご覧ください! 髙橋さんはこの難曲を完全にコントロールして、手中に収めていらっしゃいます。
しかし、『笑芸』なる「笑いの文学」を書いている人間が、なぜこの曲についてこんなに書かねばならないのか? それを以下に書いていきます。
『る魚け溶』
僕が最初に《ディアベリ変奏曲》を知ったのは、前掲の横原千史先生の『ベートーヴェン ピアノ・ソナタ全作品解説』においてです。しかし、では、なぜこんなものを読んだのか?
2024年
当書を読んでいたのは去年2024年です。この年は、西欧の社会・文化・思想・芸術革命であるシュルレアリスムが誕生してから、ちょうど100年の年でした。『笑芸』なる「笑いの文学」はこのシュルレアリスムから決定的な影響を受けているので、この記念年にあらん限りの力を込めてシュルレアリスム讃美をしよう、と思い、オマージュ作品を作ることにしました。
『笑芸』の “新約聖書”
先述の通り、指揮者H・ビューローはベートーヴェンの《ピアノ・ソナタ32曲》を「音楽の “新約聖書”」と言ったそうですが、彼はまた、バッハの《平均律クラヴィーア曲集》を「音楽の “旧約聖書”」とも言いました。その言い方に倣ってみますと、『笑芸』の “新約聖書” は、アンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』です。そして、『笑芸』の “旧約聖書” は、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』です。シュルレアリスムの公式の開始は、1924年に書かれたこのアンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』によってなので、当書によるオマージュをしよう、と画策しました。
『る魚け溶』
そこで書いたのが、『る魚け溶』なる奇書(?)です。このタイトルは、お気づきの方もいるかと思いますが、『溶ける魚』のアナグラム(語の入れ替え)です。そして、当書の試みもアナグラムです。何の? 文章の。
『る魚け溶』は、『溶ける魚』の各篇を文章単位でアナグラムする=入れ替える、そして新たな小話・イメージを創り出す、というものです。文章自体は『溶ける魚』のものをそのまま使い、アナグラム=入れ替えのみによって新しい作品にしよう、という試みです。(本作の名義は〈んとるぶ・A〉です。) また、『溶ける魚』は全部で32篇あるので、そのすべてをアナグラムし、作品全体としても組み替えてみよう、と思い立ちました。
しかし、全32篇をどう組み替えるか? 何か指針・参考になるものはないか? と思い、ベートーヴェンに助けを求めることにしました。特に、彼の《ピアノ・ソナタ32曲》。それまでに聞いていたところによると、彼のピアノ・ソナタには、一曲として焼き直しがなく、すべての曲でそれぞれ別の試み・新しい挑戦をし、32番を以って彼はピアノ・ソナタを完成・終結させたそうです。それならばそれがどういったものかを見てみよう、と思い、横原先生の『ベートーヴェン ピアノ・ソナタ全作品解説』を読み漁っていた次第です。また、ピアニストの仲道郁代師匠(!)が編著された『CDでわかる ベートーヴェン 鍵盤の宇宙』(ナツメ社、2012年)も大変参考にさせて頂きました。そして、「ベートーヴェン《ピアノ・ソナタ》全32曲の実験・革新性について」なる表を作ってみたので、以下に載せます。表の上段がソナタ番号で、その下段が大体の演奏時間です。音楽の専門家ではない僕が勝手に作ったものなので、当否のほどは大目に見て頂きたく思います――

こんなものを作ってみたのですが、ベートーヴェン様(!)に倣い、『る魚け溶』では、32篇すべて別の組み替え方をしました。全パターン・全アナグラム法を開発したと思います。そうして、本作には一つとして同じ組み替え方・試みはありませんし、全篇読み味・読み心地が違うものになったはずです。全部同じ組み方では飽きてしまうので、最大限にバラエティ豊富にするべく、各 “技” を捻り出しました。
音楽の “新約聖書” に倣い、A・ブルトン『溶ける魚』の32篇はこちらの “新約聖書” となり、その100周年を記念して、このようなオマージュ作品を作っておりました。
そして、出版するにあたり、日本語訳(巖谷國士先生訳)の版元の岩波書店に、このようなものは出版して大丈夫でしょうか、と問い合わせたところ、諸事情により「No」、といったお返事を戴き、『る魚け溶』は出版不可になりました(!)。せっかくベートーヴェンのピアノ・ソナタを研究したというのに、出版不可になるとは! せっかく全パターン・全アナグラム法を開発したというのに、出版不可になるとは! せっかくその32のアナグラム法の解説も詳細に書いたというのに、出版不可になるとは! 2024年の1月~3月の間中ずっと書いていたというのに、『笑芸』の “新約聖書” への100周年記念オマージュは失敗に終わりました。
『変奏集』
もう一つのオマージュ
『る魚け溶』は出版不可になったのですが、もう一つオマージュ作品があります。それが『変奏集』です。この二つは姉妹編なのですが、こちらは “文学における《変奏》” です。この試みの説明の前に、まずは当書の目次を以下に挙げます(長いので読み飛ばして頂いて大丈夫です)――
Ⅰ
A・ブルトンの主題による七つの変奏Ⅰ
A・ブルトンの主題による七つの変奏Ⅱ
A・ブルトンの主題による七つの変奏Ⅲ
P・エリュアールの主題による七つの変奏Ⅰ
P・エリュアールの主題による七つの変奏Ⅱ
P・エリュアールの主題による七つの変奏Ⅲ
ナジャの主題による七つの変奏Ⅰ
ナジャの主題による七つの変奏Ⅱ
R・デスノスの主題による七つの変奏Ⅰ
R・ヴィトラックの主題による七つの変奏
P・スーポーの主題による七つの変奏
A・ブルトンの主題による装飾変奏Ⅰ
A・ブルトンの主題による装飾変奏Ⅱ
ロートレアモンの主題による(S+7法による)七つの変奏
M・アイヴァスの主題による(S+7法による)七つの変奏
M・エルンストの主題による(M±?法による)七つの変奏Ⅰ
M・エルンストの主題による(M±?法による)七つの変奏Ⅱ
A・ブルトンの主題による(M±?法による)七つの変奏
R・ルーセルの主題による七つの変奏 ~或いは、我が「手法・方法」~
Ⅱ
R・アラゴンの主題による(アナグラムによる)七つの変奏
T・ツァラの主題による(「帽子の中の言葉」による)三つの変奏
T・ツァラの主題による五つの変奏
T・ツァラの主題による七つの変奏
G・マリノの主題による(“形而上的綺想” 的)七つの変奏
R・デスノスの主題による七つの変奏Ⅱ
D・ハルムスの主題による(ズドヴィークによる)七つの変奏
V・フレーブニコフの主題による(“超意味” 的)三つの変奏
R・クノーの主題による七つの変奏 ~或いは、我が「文体練習」~
G・バタイユの主題による変奏
Ⅲ
三声のP・エリュアールの主題による変奏
四声のナジャとA・ブルトンの主題による二重フーガ
四声の戯曲『すみませんが』の主題による二重フーガ
六声の戯曲『私なんか忘れますよ』の主題による三重フーガ ~或いは、「小フーガⅠ」~
六声の戯曲『すみませんが』の主題による三重フーガ ~或いは、「小フーガⅡ」~
八声のR・クルヴェルとS・ダリとP・エリュアールとA・ブルトンの主題による四重フーガ ~或いは、「大フーガ」~
八声のA・クルチョーヌィフとH・バルとK・シュヴィッタースとI・イズーの主題による四重フーガ ~或いは、「前衛達への捧げ物」~
Ⅳ
加藤郁乎の主題による七つの変奏Ⅰ
加藤郁乎の主題による七つの変奏Ⅱ
加藤郁乎の主題による七つの変奏Ⅲ
鈴木志郎康の主題による七つの変奏
立川談志の主題による五つの変奏
立川談志の主題による(“イリュージョン” 的)自由フーガ
椎名林檎の主題による変奏Ⅰ
椎名林檎の主題による変奏Ⅱ
椎名林檎の主題による変奏Ⅲ
J・ケージの主題による七つの変奏
四分三十三秒 ~或いは、笑芸的 “白の絶対主義” 、或いは、“始源の詩” ~
三九一兆年 ~或いは、笑芸的 “白の絶対主義” 、或いは、“始源の詩” ~
Ⅴ
A・ブルトン『溶ける魚』の主題による四声のカノン
『易土一磁』「冊木」
オマージュ・コラージュ ~「一九二八年の対話 ブルトンとアルトー」より、ブルトンに代えて~
解説・人物紹介(と謝辞)
以上が『変奏集』の目次と作品タイトルです。これらのタイトルの付け方も音楽から頂戴したもので、特にブラームスの《ハイドンの主題による変奏曲》からパクってきています。
文学における《変奏》
こういった変奏をやり始めたのは何年か前ですが、最初にやったのは、目次中の「A・ブルトンの主題による七つの変奏Ⅰ」で、これが当書の冒頭の作品になっています。主題は彼の『溶ける魚』中の以下の文です――
彼女にむかって、「この遮光ガラスになった僕の手を、両手でつかんでごらん、ほら、日食だろ」といったとき、彼女はにっこり笑い、血の珊瑚の枝をとってくるために海にもぐる。
僕はこのシュルレアリスティックな一節がどうにも好きで、文中の〈彼女〉が〈彼〉になったり、〈僕の手〉が〈僕の眼〉になったり、〈日食〉が〈冥王星食〉や〈ベガ食〉になったりと、自然に変奏していってしまいました。その時にはタイトルや形式は無かったのですが、ブラームスからパクって「A・ブルトンの主題による七つの変奏」と名付けたことにより、文学における《変奏》になりました。
20世紀前衛文学の継承 ~文学における “変奏の百科全書” ~
当書では主題を、ブルトンだけでなく、シュルレアリスム全体やその周辺のダダやロシア未来派といった20世紀前衛文学から多く取っています。目次中の第Ⅰ部~Ⅲ部の人達がそれです。『笑芸』なる「笑いの文学」は20世紀前衛文学が無ければ成立していないので、彼等へのオマージュでもあります。しかし、ただ変奏するだけではなく、当書では、彼等の技・流儀を以って彼等に対する、ということをしています。即ち、その人が開発した技法でその人の主題を変奏する。例えば、「P・スーポーの主題による七つの変奏」では、彼はシュルレアリスム独自の「自動記述」という方法を開発したので、彼の主題(=文章)を自動記述的に変奏しました。また、「T・ツァラの主題による(「帽子の中の言葉」による)三つの変奏」では、ツァラは「帽子の中の言葉」という悪名高い詩法を開発したので、彼が「帽子の中の言葉」で作った詩を、僕が「帽子の中の言葉」によって変奏しました。そのようにして、彼等の技・流儀を以って彼等に対する、ということをしました。そして、20世紀前衛文学のすべての技法を戴き、考え得る限りの変奏の方法を追求・開発しました。それが目次の数になっているのですが、当書『変奏集』は、文学における “変奏の百科全書” になっている……? 或いは、「笑いの文学」における「ディアベリ変奏曲」に……?
文学遺産を継承した、はずだった……
当書を書き始めたのが2024年の3月くらいからです。そこから全体構成や変奏法を考え、もちろん各文献にあたり、主題=文章も選び(ベートーヴェンと肩を並べるほどの変奏曲の大家であったブラームス流に言うと、主題選びの時点から《変奏》は始まっている)、そしてそれぞれ変奏をしていき、その作品自体が完成したら今度は各解説を書き、また、ダダ・シュルレアリスム・ロシア未来派等の運動についても書き、実作を通じた「20世紀前衛文学入門」として完成したのが、6月の始めでした。ブルトンが『溶ける魚』を書いていたのが1924年の3月~5月なので、ちょうどその100年後でした。そして、この記念すべきオマージュ作品を世に放つべく、各出版社(20社くらい?)に、このようなものは出版して大丈夫でしょうか、と問い合わせたところ、いくつかの出版社から、諸事情により「No」、といったお返事を戴き、『変奏集』は出版不可になりました(!)。文学における《主題と変奏》は「引用と改変」になるのですが、引用はよくても「改変」がまずいと言う出版社があり、その変奏は収録できなくなったので、全部ボツになりました。全体構成が完璧だったので、一つ崩れると全部崩れるのです……。もちろん、許可してくださったり快諾(!)してくださった出版社さんもあったのですが、「No」と言われてしまってはどうすることもできず(もっと別の言葉を使われていましたが。岩波書店さんも。)、また、そもそも返信自体がこない出版社もあったので、『変奏集』は出版不可になりました(!)。せっかく「あらんかぎりの変奏の手法をちりばめ」たというのに、出版不可になるとは! せっかく「笑いの文学」における「ディアベリ変奏曲」を書いたというのに、出版不可になるとは! せっかく「小フーガ」と「大フーガ」と「前衛達への捧げ物」を書いたというのに(第Ⅲ部)、出版不可になるとは! シュルレアリスム100周年記念オマージュは完全に失敗に終わりました。これらが出せていたら僕はシュルレアリスム界でスターになっていたというのに……。これから僕は、著作権を恨んで生きていきます(!?)。それと、著作権撲滅運動を開始します(!?)。ただ、少なくともこの二作は、原著者と日本語訳者の著作権が消滅したら(百年後くらいに?)出版します。
『もし君に脳の電荷を神に手渡し、あなたはどう?』
練習・実験
野本由紀夫先生は、ベートーヴェンにとってのピアノ・ソナタは交響曲の実験台だった、という風に言われています。ピアノ一台で作れるピアノ・ソナタで実験して、その成果を最大規模の交響曲へ持って行った、と。(横原千史『ベートーヴェン ピアノ・ソナタ全作品解説』前掲、pp.127-128) また、ブラームスの《ハイドンの主題による変奏曲》もそういう風に言われています。志鳥栄八郎先生の『大作曲家とそのCD名曲名盤(下)』にはこうあります――
一八七三年(四十歳)の夏に作曲されたこの作品は、当時ブラームスが長年の構想のもとに筆を進めていた「交響曲第一番」の、いわば筆ならし的な意味で書かれたものである。
また、セザール・フランクも《交響的変奏曲》を、《交響曲 ニ短調》を書く直前に作曲したそうです。
クラシック音楽に倣い、僕の「ピアノ・ソナタ」は『る魚け溶』であり、僕の「変奏曲」は『変奏集』です。そして、これらは実は、「交響曲」のための練習・実験でした。大変良い練習・実験になりました。そうして、挑んだのが、僕の「交響曲」第四番『もし君に脳の電荷を神に手渡し、あなたはどう?』です。
『もし君に脳の電荷を神に手渡し、あなたはどう?』
先述の通り、『笑芸』なる「笑いの文学」の “新約聖書” はA・ブルトンの『溶ける魚』なのですが、僕はいつかこのような作品を書きたいと思っていました。しかし、なんやかやと取り組めずにいたのですが、これらの練習・実験を終え、去年2024年の8月あたりからようやく挑めました。そして、今年2025年の3~4月に完成しました。
当書は No.0 ~ No.33 の全34篇構成です。しかし、No.0 と No.33 はそれぞれ序とコーダなので、実際は「32」篇です。或いは、当書は、“21世紀版『溶ける魚』” ……? そして、「No.33 ~四重奏曲、或いは、大カノン~」で締めました。
この作品のリンクは以下です――
内容については、意味不明を極めているので、誰も理解できないと思います。読むのはオススメしません(!?)。読まない方がいいです(!?)。
文学における《変奏》
ここまで文学における《変奏》の例をろくに挙げられなかったので、最後に挙げることにします。「《だだぁ・ぐぅす》について」という記事に書いたもので、子供向けのものですが、簡単で分かりやすいと思うので、それを載せたいと思います。主題は[橋の端を走る箸。]です。これはダジャレで、『だだぁ・ぐぅす① パロノマジー ~芸術的なダジャレ~』に載せているのですが、もっとダジャレを見たい方はそちらをご覧ください。それでは、やってみます――
主題
橋の端を走る箸。
第1変奏
箸の端を走る橋。
第2変奏
割り箸の右端を駆け抜ける歩道橋。
第3変奏
デザートスプーンの左上で眠る地下トンネル。
第4変奏
女王様のデザートスプーンの左斜め45度上で、ミイラのように眠る出口の無い地下トンネル。
第5変奏
女王様とデザートスプーンとミイラと出口の無い地下トンネルは、左斜め45度上を向いて眠る。
ほんの小品ですが、こういったものが文学における《変奏》です。初見で分かった方もいるかと思いますが、念のため、以下に簡単な解説・変奏法を、「《だだぁ・ぐぅす》について」から引用します――
まず、第1変奏では、主題中の〈橋〉と〈箸〉を入れ替えただけです。これはもはや基本ですね!
次の第2変奏では、その文の語にそれぞれ意味を付加しています。即ち、〈箸〉は〈割り箸〉に、〈端〉は〈右端〉に、〈走る〉は〈駆け抜ける〉に、〈橋〉は〈歩道橋〉にと、似ていつつ強い意味へ移行していきました。
第3変奏は、どのくらい分かった人がいるかと思うのですが、第2変奏の「反転形」です。即ち、意味をひっくり返す。〈割り箸〉が〈デザートスプーン〉に、〈右端〉が〈左上〉に、〈駆け抜ける〉が〈眠る〉に、〈歩道橋〉が〈地下トンネル〉にと、反対の語へ変奏されています。ちなみに、〈割り箸〉が〈デザートスプーン〉になるのは、最初は〈スプーン〉だけだったのですが、それでは〈箸〉の場合でも同じだと思ったので、「割り箸」という安さに対して、「デザート」というゴージャス感を加えました。また、〈歩道橋〉が〈地下トンネル〉になるのは、前者が上・空向きのアーチであるのに対して、後者は下向きのアーチだからです。なお、この意味の「反転形」は、先述のモーツァルトのフーガが元になっています。
第4変奏は「装飾変奏」です。これも音楽の変奏でよく使われる技法です。文学・言葉の場合では、各語に新しい語を加えていきます。今回は、第3変奏の語にそれぞれ〈女王様の〉〈斜め45度〉〈ミイラのように〉〈出口の無い〉を加え、「装飾」しました。
最後の第5変奏では、文前半にアナグラム的に登場人物達を集め、全員〈左斜め45度上を向いて眠る〉ことになりました。〈女王様とデザートスプーンとミイラと出口の無い地下トンネル〉が一緒に眠っている、ということですね! 「とっても不思議」ですね!
このようなことで、主題の〈橋の端を走る箸。〉が、5回変奏されて〈女王様とデザートスプーンとミイラと出口の無い地下トンネルは、左斜め45度上を向いて眠る。〉になりました。この二文だけを見たら全然別物ですが、すべて主題から生成されています。
しかし、変奏数は5回だけでなく、7回でも10回でも100回でも1000回でもいいですし、変奏法ももっとあるので、子供達に教えてあげたいと思います。また、主題もほとんどを《だだぁ・ぐぅす》という言葉遊び集から取ろうと思います。現在は100以上のパロノマジー(ダジャレ)作品があるので、それも全部変奏するかもしれません。そして、パロノマジーは将来的には1000作以上にはなると思うので、これも全部《変奏》の主題になります。そしたら僕は、一生《変奏》をやっていくことになるかもしれません。
『変奏集Ⅱ』と『VariationⅠ』
『変奏集Ⅱ』
先述の通り、『変奏集』はボツになったので、これから『変奏集Ⅱ』を書こうと思っています。理由は簡単で、「笑いの文学」における「ディアベリ変奏曲」を創り損なったから、です。「笑いの文学」における「ディアベリ変奏曲」を創らねばなりません。或いは、文学における《変奏》というジャンルを。
執筆時期は未定ですが、現在構想中の『新しい諺』・『新・四字熟語』・『Fatrasie ~綺想詩~』を書いてからになります。これらがいつ終わるか……。
『VariationⅠ』
それらは小品・番外編(WoO.)ですが、「交響曲」としても《変奏》を書こうと思います。そして、僕の「交響曲」第5番は、『VariationⅠ』です。
『変奏集Ⅰ・Ⅱ』では、主題が基本的に1~数行なのですが、『VariationⅠ』ではもっと長い、例えば、一変奏が1~数ページくらいの規模で考えています。そして、長編的になります。
しかし、文学・笑芸的には『四番』で完成しており、これ以上追求する領域はほとんど無いのですが、この『五番』を書いたら、本当に「笑いの文学」は終了です。そしたら僕は文学を辞めて、ずっと子供達と《だだぁ・ぐぅす》をやっていきます。
R・クノー『文体練習』
この『VariationⅠ』と近いものに、シュルレアリスムの影響を受けた作家レーモン・クノーの『文体練習』という作品があります。これは、バスの中や駅前で起きたなんてことのないエピソード(「1・メモ」)を、99通りの文体に書き分け、変奏しています。紙本では1~数ページの変奏で、全部で130ページほどです。大体はこのような規模で構想しています。参考のため、宮崎慎也 / 編集者 さんと【文学ナビ】さんの記事のリンクを貼らせて頂きます――
なお、もちろん、僕は『変奏集Ⅰ』でこの主題「1・メモ」の変奏をしております。目次中の第Ⅱ部「R・クノーの主題による七つの変奏 ~或いは、我が「文体練習」~」というタイトルです。
この『文体練習』については、もはや古典的地位を確立しているので、思いきって批判してみたいと思います。もちろん、そもそもの発想や99もの変奏数や各変奏(とその日本語訳)は素晴らしいのですが、全体の構成感があまりありません。と言うのは、例えば、第10変奏と第77変奏の位置を入れ替えても成立してしまいます。また、第23変奏と第53変奏も入れ替えることができてしまいます。M・ビュトールは『ディアベリ変奏曲との対話』(前掲)の中で――
変奏曲の順列は、彼が経験をつむにしたがって、最後のソナタのアリアにいたるまで、ますます重要な、そして変更不可能なものになってゆく。
と書いています。 また、「いくつかの変奏曲群は、ばらばらにすることがとても難しい[…]」(p.67)と書いたうえで――
[…]作曲者が各変奏のつながり具合にどれほど気を配ったか、またつながる順番をどれほど重視していたか[…]
と書いています。《変奏曲》の天才は各変奏の配列をも気にしていたそうです。
僕の『文体練習』の初読は『変奏集Ⅰ』を書き始める前だったのですが(その存在は知っていましたが)、全99変奏中の第7・8・9変奏くらいで、各変奏に関連性が無いのに気づき、それが嫌だったので、各変奏を整理し並べ替えながら読んでいきました。そして、全99変奏(+3付録)をきっちり並べ直しました。題して、『体習練文』(〈ーノRク・〉名義)。『る魚け溶』式のアナグラムです。その写真がこちらです――

これは各変奏のタイトルとその小文を紙に書いて、それぞれの類似変奏群としてまとめていったものです。(文字は見づらいかもしれません……。) 詳細には触れられませんが、大体このように並べると、全体で連続性(と各変奏群間のコントラストとクライマックス)が生まれると思います。(こんなことを言えるのは世界で僕だけだと思います。) これも原著者と日本語訳者の著作権が消滅したら、きっちり製本して出版しようと思います(百年後くらいに?)。
クノーも音楽が好きで、この『文体練習』の着想も、バッハの《フーガの技法》から得たそうですが……。
マラルメの言葉
最後に、すべての前衛文学の祖S・マラルメの言葉を挙げて終わりたいと思います――
[…]交響曲を『書物』へと転換する技術、換言すれば我々の富を再び[音楽から]奪い返す技術を追求すべきところまで来ているのだ。
マラルメにとっても「[…]音楽こそは詩がその富を奪い返すべき目標であった。」(同前)そうですが、「奪い返す」などと声を荒げずに、『笑芸』は音楽と結婚しようと思います。音楽が『笑芸』と結婚してくれるかは分かりませんが……。
おわりに
長くなってしまいましたが、本稿は以上です。お題は「#知られざる名曲」で、ベートーヴェンの《ディアベリ変奏曲》について書いてきました。この曲は聴きやすい曲ではないのですが、50分近くもあるのにも関わらずすべて構築されています。《変奏曲》の天才が晩年に書いた名曲なので、ぜひ聴いてみてください。
また、音楽だけでなく、文学についても書いたのですが、ベートーヴェン様(!)に倣って僕も《変奏》を書いていこうと思います。興味を持ってくださった方は、ぜひご覧ください。
最後に、この企画者の山根あきらさん、お忙しいところ、長文を失礼致しました。また、良いお題をありがとうございました。ここ一年ほどの僕の活動の流れをまとめることができたと思います。それと、前回と前々回の投稿で書きそびれてしまっていたダジャレがあるので、それを載せさせてください。青ブラ文学部にぴったりなのではないかと勝手に思っているのですが、ご判断は皆様にお任せ致します。こんなものです――
ラブラブ ぶらぶら ブラ(ジャー)部。
意味はよく分かりませんが、とにもかくにも[ブ・ラ]という音を重ねてみただけです。([ブ・ラ]だけで出来ています!) ぷらぷら歩いていた時に思いついたものですが(ベートーヴェンも散歩しながら曲を考えていたそうですが)、気に入って頂けましたらぜひお使いください!(声に出して言って頂いた方が面白いです。)
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