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笑いの理論 ~或いは、その体系化への試論~(3)


*本記事は「笑いの理論 ~或いは、その体系化への試論~(2)」の続きです。未読の方はそちらを先にご覧ください。

本記事は第5章のみの掲載です。





第5章 おかしさ・おかしみ以外による笑いの説明


この第5章では、おかしさ・おかしみ以外による笑いの説明をします。それらの分類は第4章で行なったので、それを基に、“警戒解除論” から説明していきます。本章の最後で扱うのは「挨拶の笑い」と「笑い顔の万国共通性」ですが、先述の通り、これらを説明するためには人類史を7~8年遡る必要があり、そこでの人類絶滅の危機(インドネシアのトバ火山噴火)とそれ以降の「出エジプト」が大きなテーマとなります。そして、そこから人類ホモ・サピエンスの “新世界進出性” と笑いを接続し、最終・第6章では、笑いは通常考えられているよりも創造的クリエイティブな活動であり、その精神イズムとしても手法としても十分に “芸術” に成り得る、ということを示したいと思います。そこまで辿り着けたら本稿は成功です。それでは、やってみましょう――


1・生理的な笑い

まずは「生理的な笑い」について説明していきます。これらは主に、食・睡眠・性等、身体に強く作用しているものです。ここまでに触れたものもありますが、改めて説明していきます。

1・食・睡眠・性的満足による笑い
これは第1章で触れましたが、もう一度確認します。そこではこう書きました――

お腹がいっぱいになったら「あぁ、よく食べた」と、たくさん寝た後には「よく眠った」と、性行為の後では(上手くいけば)「気持ち良かった」と、笑いが出ます。これらはすべて “快” ですが、どれも生命を維持・存続するために必要な行為であり、生命の存続の危機を脱する=前提としての不快が解消されることが “快” であるはずです。[…]生物にとっての “快”(または喜びも)とは、“前提としての不快の解消” だと思います。

そして、これ以降、 “快” を “前提としての不快の解消” として話を進めていきました。また、「前提としての不快」= “警戒” で、「解消」= “解除” とすることができ、食・睡眠・性的満足による笑いを “警戒解除” として説明することに成功しました。

以上が確認ですが、他にも、便秘の人が良く便が出た時にも同様の笑いとなるでしょうし、肩凝りでも腰痛でも他の病気が治った際には、このようにして笑い・喜びが現れるはずです。(ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第15番の第3楽章〈病から癒えた者の神への聖なる感謝の歌〉を聴いてみよ!)  特に身体面に関する笑いはこの “前提としての不快の解消” として説明でき、マッサージや温泉が気持ち良くて ほっこりと笑みが出るのもこの考え方です。美味しいものを食べた時にも笑いが出たりしますが、美味しいものは栄養価が高いため「生命の存続の危機を脱する」ことになるのだと思います。


2・滑り台・ブランコ等での笑い
これも第1章で触れましたが、確認します。そこでは、友定啓子先生が、子供が滑り台やブランコで遊んで笑うのは、自ら与えた高さや速さ等の緊張の解消によるものだと考えられていたことを紹介し、これも “前提としての不快の解消” でした。また、ジェットコースターやお化け屋敷で楽しむのも同様で、特に身体に関する笑いはどれもこのように説明できるはずです。他にも、「高い高い」や空中へ放り投げられて受け留められる遊びで赤ちゃんが喜んだり笑ったりするのも、同様です。


3・くすぐり による笑い
くすぐり による笑いは、雨宮先生が自論をここから始められていたので、まずはその箇所を引用します――

くすぐりによる笑いは身体の笑いの典型であり,ジョークの滑稽さによる笑いは精神の笑いの典型である。身体の笑いと精神の笑いに共通性があるのか,あるいは,まったく別のものなのか。意見は分かれている。

雨宮俊彦『笑いとユーモアの心理学 ――何が可笑しいの?――』前掲、p.53

「くすぐりによる笑いは身体の笑いの典型」とされていますが、「精神」と結び付いていくのか? これは子供の笑いから見てみましょう。友定先生は、子供達は「くすぐりっこ」が大好きだとして、「日本橋こちょこちょ」という手遊びを紹介されています――

この「日本橋こちょこちょ」という手遊びは、わらべ歌に合わせて、指先で相手の手のひらから腕へからだの表面を刺激していく遊びであるが、しだいに緊張が高まって、最後のわきの下のくすぐりでその緊張が最高潮に達し、それからの解放を求めるように身をよじり笑いだす。この緊張解消反応が快感としてとらえられるのだろう。

友定啓子『幼児の笑いと発達』前掲、pp.44-45

この文章から子供達がよっぽど喜んでいるのが伝わってきますが、最初は手の平の くすぐり だったのが、徐々に神経の集まる脇の下に近づくにつれて緊張が高まり、「それからの解放を求めるように身をよじり笑いだす。」  この笑いは「緊張反応」とされ、「感としてとらえられる」。僕は “快” を “前提としての不快の解消” としましたが、実はこの定式はこういったところからの影響があり、友定先生の研究がでさえあるのですが、友定先生のこの分析はまったく正しいと思います。

しかし、精神とは関係するのか? 友定先生はこう続けられます――

このくすぐられ体験を考えてみよう。人にくすぐられると笑い反応が起こる。しかし自分がくすぐったのでは笑いは生じない。おそらく自己のからだの連続性が、緊張感を減少させるからであろう。さらに人にくすぐられるといっても、だれでもよいわけではない。[…]大人でも、親しくない人にくすぐられたら、怒りだすであろう。少なくとも笑いは生じない。つまり、生理的に笑いを起こさせる状況であっても、それを受け入れようという構えのないところでは笑いは生じない。

同書 pp.45-46

このように、くすぐり という身体的な笑いでも、相手によって反応が変わるようです。「自分がくすぐったのでは笑いは生じない」とあり、その理由として「自己のからだの連続性が、緊張感を減少させるから」と言われていますが、これは、自分は自分のすることをほとんど把握していて、その くすぐり は予期・予測の内であり、そのために “警戒” 度が弱まる= “解除” 度も弱まる、という風に考えられます。いくら親しくとも本当は何を考えているか・何を仕出かすか分からない他者だからこそ “警戒” し、また、その分だけ
“解除” も大きくなります。同じ くすぐりの刺激でも相手によって反応が変わることについては、女性が自分の秘部を誰に くすぐられる かということを考えてみたら分かりやすいかと思います。その相手が恋人なら許容・肯定し「気持ち良い」となり、痴漢なら「気持ち悪い」と防御・反撃します。くすぐり という身体の笑いでも認知・認識(知的要素)が関わっていて、「身体の笑いと精神の笑い」は「まったく別のもの」というわけではなさそうです。談志師匠は「性愛と痴漢の違いは、相手の承諾があるかないかだ」というようなことを言っていましたが……。


4・猥談・ポルノグラフィでの笑い
性的な話である猥談や、同種の本・画像・映像等のポルノグラフィでの笑い(等)も生理的な笑いに含めることにしました。理由は、これらの笑いが主に性的満足によるものであろうからです。言葉や疑似的体験でのものだとしても、猥談・ポルノグラフィでは性的欲求が満たされます。そして、(疑似的なものではあるが)生命・種の存続に繋がり、自身の滅亡の危機が解消される、はずです。

これはかなり身体面からの考察ですが、社会的・精神的なものでは、性的なものはタブーという「常識」(「窮屈な枠」)から精神を解放する、というものもあります。「常識」は狭苦しく不快ですが、それを一時でも解消するのが猥談・ポルノグラフィです。なお、僕は卑猥なものなんて大嫌いです。


2・嬉しさ・喜び・楽しさによる笑い

ここから、常識とのズレ(おかしさ)とは違う、「嬉しさ・喜び・楽しさによる笑い」の説明をしていきます。以下の分類は大まかなものですが、これらを説明することができたら ほどんどの嬉しさ・喜び・楽しさによる笑いを説明できると思いますので、やってみます。

1・宝くじが当たった時の笑い
まずは宝くじが当たった時の笑いです。これも第1章で触れましたが、確認します。そこでは「宝くじで何億円も当たったらそれ以降はお金の心配が無くなるため、喜び笑います」と書きました。そして、これも “前提としての不快の解消” と説明することができました。人間にとっては(どういうわけか)お金があった方が生存に有利なので、宝くじで何億円も当たったことにより生命存続の危機という不快が解消される=笑う、となるはずです。宝くじが当たって怒る、ということにはならないと思います。


2・成功時の笑い

この成功時の笑いは、何かが上手くいった時のものです。例えば、試験に合格した時や仕事の取引が成立した時やプロポーズが成功した時の笑いです。まず、プロポーズが成功した時の笑いですが、これは配偶者を得て子孫を残すことに繋がるので、先と同様に、生命存続の危機という不快が解消される=笑う(喜ぶ)、となるはずです。試験に合格した時の笑いは、これもどういうわけか人間社会では学があった方が生存に有利なため、生命存続の危機が減り、笑いになります。仕事の取引が成立した時に笑うのも、これはお金を得ることになるので、同様です。

ここでは3つの例でしたが、成功のすべては生存の有利に繋がっていくはずなので、他の成功時の笑いも上の仕方で説明できるはずです。


3・勝利の笑い

第3章でマルセル・パニョルの「勝利の歌」理論を批判しましたが、それは笑いのすべてを説明するものではないという点についてであり、一部においては正しいです。スポーツの試合で勝った時には笑い・喜びとなりますし、他の一切の競技や競争・試合・戦いでの勝利はすべて笑い・喜びとなります。しかし、それがなぜか?

本稿はすべて笑いを “警戒解除” から説明しようとしているのですが、では、勝利した際の “警戒解除” とは何か? これも原始・サバイバル時代に戻ってみると簡単で、外敵(や恋のライバルや群れのボス等)と戦っている際中には、強いパンチを放たねばならないので身体中に酸素を蓄えます。そして、その戦いに勝ったなら、その時に蓄えた酸素が不要になったので放出する=笑う、ということです。なんと簡単なことでしょう! 

また、スポーツの試合には勝利パフォーマンスがよくあり、サッカーでは勝ったり点を取ったりすると、雄叫びを上げたりド派手なダンスをしたりユニフォームを脱いだり芝生を何メートルも滑ったりしますが、これは仲間(異性も含め)への勝利の信号・伝達です。後の「笑いの感染性」でも触れますが、人間ヒトは弱かったため群れで生きていかねばならなかったのですが、勝利(外敵が去ったこと)を仲間達に伝えることは非常に重要でした(警戒・緊張の放しはかなりの負荷です)。それが現代でもほとんど変わらずに残っているのでしょう。また、雄叫びだけでなく、ユニフォームを脱いで腹筋や胸筋を見せることは雌へのアピールにもなります(雄へも?)。あと、「論破」等の肉体的でない戦いの勝利もこの笑いです。


4・攻撃的な笑い
中村先生は「働きかけの笑い」として揶揄や嘲笑や自嘲の系統の攻撃的な笑いを挙げられていましたが、僕の「攻撃的な笑い」も ほとんど それと同じで、主には悪口や嘲笑です。そして、勝利の笑いに近いものです。理由は、悪口や嘲笑等(これらが言葉だったとしても)によって、相手を傷付け、また、地位を下げることになるからです。アメリカの大統領選挙には欠かせない笑いです。


5・遊びの笑い
遊びの笑いについては かなり説明が大変になります。それというのも、1930年代にヨハン・ホイジンガが『ホモ・ルーデンス(遊ぶ人間)』を発表して以来、遊びというものが本格的に学術として研究され始め、現在では非常に大きなジャンルの一つになっており、膨大な量の研究があります。そして、遊びは生物学的にも非常に重要だとされています。ここでは ほんの一部しか触れられないのですが、それでも いくらか長くなります。しかし、なるべく簡潔に済ませたいと思います。

さて、遊びの笑いは第1章でも触れましたが、改めて確認します。まず、遊びの表情についてはこう言われています――

この表情は、主として子どものサルの遊びの場面で見られるもので、一見攻撃的な場面でありながら実際は相手をかむなどの行動はとらない。つまり相手を攻撃しないが、何か相互にじゃれあうことを求めて「これは遊びだよ」ということをしめす表情であり、口は大きくひらかれ、口の周囲はリラックスし、発声はないが「ハッハッ」という激しい呼気をともなう。

志水彰・角辻豊・中村真『人はなぜ笑うのか 笑いの精神生理学』前掲、p.31

「口は大きくひらかれ、口の周囲はリラックスし、発声はないが「ハッハッ」という激しい呼気をともなう」とありますが、ボクサーが強いパンチを打つ時には、口を締め、歯を食いしばり、息を止めて酸素を逃がさないようにしますが、これとは反対のこと(=笑い)で、この時点での攻撃にはなり得ず、そのため、この笑いが本気ではないことのシグナル(=「これは遊びだよ」)になっているはずである、ということは第1章で書きました。これで遊びの笑いの一つの面についての説明は完了するのですが、他にもいくつかの面の説明をしなければなりません。その内の一つは、走ることに代表されるような「身体的技能の習得」です。それを以下で見ていきます。

ここで参照するのは友定先生の名著『幼児の笑いと発達』ですが、その「第2章 からだと笑い」の「7 走り回る」には、子供達が嬉々として走り回っている様子が記録されています。子供達は馬鹿みたいに走ることが好きですが(走らせないようにする方が大変)、なぜでしょうか? 友定先生はこう分析されています――

二歳前後の子どもたちが走ることを嬉々として楽しむのは、今まで自由にならなかった自分のからだを、自由にコントロールできるようになったこともその理由であろう。

同書 p.67

こうあるように、身体を動かすこともならなかった赤ちゃんが身体それをコントロールできるようになったことに喜びを感じているようです。しかし、これと遊びがどう関係するのか?

先に、生物の遊びには「身体的技能の習得」という重要な機能がある、と書きましたが、なぜ人間ヒトは走ることを獲得したのか? また、それが喜びになるのか? 

直立する人ホモ・エレクトス」が誕生したのが大体180万年前と言われていますが、彼等の登場が、その後に現生人類ホモ・サピエンスが生まれるために非常に重要だったそうです。それは、ホモ・エレクトスが肉食を始め、脳が拡大・発達したことによります。ホモ・エレクトス以前の人類も肉食はしていたそうなのですが、それは主に死んだ動物のものだったそうです。しかし、ホモ・エレクトスは狩りをして獲物を捕らえ(積極的に)肉食をしていました。その狩りに必要だったのが(彼等以前にはあまりできなかった)「走ること」です。彼等は獲物を狩っていたそうで、彼等は優れたでした。(参考:NHK  BS『人類誕生・未来編 第一集「こうしてヒトが生まれた」』初回放送2018年9月8日)  もちろん、走ることは狩りだけではなく、「逃げる」ためにも重要になります。というより、人類がチンパンジーから分化しそれまで生活していた樹上から、肉食獣がしている地上へ降りた時点で、走ることはできた方が良かった。そのため、子供達は「追いかけっこ」をして遊び、その練習をするのでしょう。

このように、遊びには身体的技能の習得という大きな機能がありますが、特に走ることについては(原始・サバイバル世界において)生存に直結したため、できるようになると、生命存続の危機という不快が解消される=笑う・喜ぶ、ということになるのだと思います。

この他にも、遊びには知的な能力の「学習」という面もあります。これも友定先生の『幼児の笑いと発達』の「第3章 知的認識と笑い」や第1章の「3・知的な笑い」に詳しいですが(そして、絶対に読んでみてほしいのですが)、生後数ヶ月の赤ちゃんでも知的認識を始めていることが記録されています。また、もう少し大きくなった5歳くらいまでを観察されていて、シールの貼り方や踊り方や一週間に曜日があるということが分かると、皆、喜び笑うようです。(僕もいまだに曜日というものが分かりませんが。)  T子という生後8ヶ月の女の子の観察では、食事時に空の茶碗を転がして遊んでいるのだが、それをテーブルの上に放り投げ、カタカタ揺れて止まるのをT子が見て嬉しそうに笑っている、とあります。(p.28)  それについて、友定先生はこう書かれています――

 T子は自分が茶わんを放るとテーブルの上に落ちて、反動でカタカタゆれることを発見していたのだ。自分の投げた茶わんの動きに予測をつけ、それを真剣に見つめ、何度も確かめている。思わず、この子は科学者のようだと思ってしまった。
 この記録は、ワトソンの「随伴関係の発見」に相当するものである。「○○すれば○○○になる」という関係性の発見である。ワトソンは、わずか二ヶ月の乳児に対して様々な実験をして、乳児が自分のからだの動きと環境との間に関連性を見出したときに、喜びの声を発することを報告している。
 バウアーはワトソンやパポーゼックの実験を主な論拠として、「学習状況では随伴関係の発見そのものが報酬価をもち、本来的に愉快な事象となる」と論断し、成功報酬がなくても、知的な発見そのものが乳児にとっての喜びであると指摘している。これが、それまで茫漠としていた外界の中にも一定の秩序があることを発見し、またそれをコントロールできる自分という自己のりんかくの発見にもつながっていくのである。

同書 pp.28-29

このように、生まれて数ヶ月の赤ちゃんでも「科学者のよう」な認識をしていて、それも「随伴関係の発見」に繋がり、「喜びの声を発する」。そして、それは「成功報酬がなくても、知的な発見そのものが乳児にとっての喜びである」。また、「本来的に愉快な事象となる」。要するに、知的な発見は “快” である、と。他にも、生後6ヶ月のW夫はベッドで頭上のメリーが回るのを見て楽しそうにしていたそうですが、友定先生はこう書かれています――

W夫はメリーのゆっくりした動きの中に、何か法則性をみつけたのだろう。[…]このメリーは動物が四つついているだけの単純なものである。それがゆっくり回るのである。もし、W夫がそれらのうち、どれかひとつでも識別できたなら、おもしろいと感じると思う。しばらく待っていれば、そのひとつが必ずやってくるという予測がつくからである。[…]いずれにしても、くりかえしの中に含まれる予期と合致という知的な活動をしていることは確かである。それが乳児にはこの上ない喜びなのである。

同書 pp.27-28

ここでも「法則性」の発見と「予期と合致という知的な活動をしている」とあり、「それが乳児にはこの上ない喜び」であり、笑いとなっているようです。そして、もっと簡単にこう書かれています――

わかること、期待できることがほんとうにうれしいのである。

同書 p.82

その「理解」そのものが子どもたちにとって喜びなのである。

同書 p.91

要するに、子供達にとって知的認識は、喜び・笑いとなるようです。しかし――

私たち大人も何かがわかったときうれしい。「わかった!」と感じたとき、きっと笑顔が出ているのだろうと思う。

同書 p.78

これは ここまでずっと見てきたものですが、「?」→「あ!」です。この「?」→「あ!」は、早くも生後数ヶ月の頃から始まっているようです。

しかし、知的認識・学習は生物にとってどう有利になるのか? これは簡単なことで、食べ物を確実に得ることができたり、危険を避けたり、生殖の相手を見極めることに繋がります。ある生物達がある時期に集まるということが分かっていれば、その時期に狩りをすると大量に獲れることになりますし、毒があるものを食べないようにしたり猛獣からは離れたりして危険を避けることができますし、雌と間違えて雄と交尾することを避けることができます。また、そもそも地面が固いということが分かっていなければ、次に足を着いた時に地面が崩れ去るという恐怖を持ち続けるかもしれませんし(階段を「次の段は崩れるかもしれない」と思いながら上るのは恐怖でしかありません)、太陽が空から落ちてこないことを認識できなかったら永遠に怯え続けねばなりません。友定先生はこう書かれています――

一歳児はこの世に出てきてまだ間もない。さまざまなことがらが自分の前に立ち現われてくるけれども、わからないこと、未知のことだらけである。

同書 p.78

しかし、「それまで茫漠としていた外界の中にも一定の秩序があることを発見し」、全くの未知・混沌・茫漠とし “警戒” すべきであった世界は “解消” された。そして、新たに得た予期・予測・推測・シュミレーション能力によって、世界に立ち向かっていけるようになるはずです。

この学習や先の身体的技能の獲得は主に個体(個人)レベルですが、遊びには「集団・社会性」の獲得という重要な役割もあります。動物は遊びを通じて、他者との関係性・コミュニケーション能力・社会的絆・思いやりの心等を身につけます。また、人為的に隔絶され遊ぶ相手のいない状況で育ったラットは、仲間と共同で行動する社会的スキルの発達に遅れが見られ、脳に悪影響が出るという研究結果もあります。(参考:NHK  BS『BS 世界のドキュメンタリー 』「遊びの科学The Power of Play」初回放送2019年11月26日)  人間ヒトの場合にも、テキサスの刑務所の凶悪殺人犯を対象にした研究では、彼・彼女等の子供の頃の遊びの経歴が一般の人と大きく異なっていたことが判明していますが(同前)、僕の子供向けの言葉遊び集《だだぁ・ぐぅす》は仲間達と言って遊ぶことによって子供達が凶悪殺人犯になることを防ぐことができ、非常に教育によろしいです。

集団・社会性が必要なのは、ここまで何度か書きましたが、人類ヒトは弱かったからであり(野獣と1対1で戦ったら負けます)、群れで生きていかねばならなかったからです(ヒトが生き残るためには「数が勝負」だったそうです)。人間ホモ・サピエンスの集団性の起源はここにあるのですが、子供達は他者(兄弟・姉妹や友達や家族)と遊ぶことによって、その他者との関係性を築き、他者と生きる能力を培います。そして、群れでいることができれば、生命存続の危機が減ります。そうして、人間ヒトは誰かと一緒にいることが “快”(または幸福)となるでしょう。

長くなってしまいましたが、遊びの笑いの説明は以上です。簡単にまとめると、遊びによって「身体的技能」「知的能力」「集団性」を獲得し、それらはすべて生存の有利に繋がります。そのために、遊びは笑い・喜びとなります。「笑いの統一理論」はこういったことも説明できねばならないため、非常に大変だということを分かって頂けましたでしょうか?(友定啓子先生の『幼児の笑いと発達』が名著だということも。) しかし、アリストテレス以来2000年以上も解けなかった難問を僕が解きますので、ご期待ください!


6・楽しさによる笑い
最後に取り上げるのが楽しさによる笑いです。ここには、ゲームをしたりスポーツをしたり本を読んだり料理をしたり買い物をしたり旅行をしたり飲み会やパーティー等、諸々の楽しさを含めます。しかし、一つ一つ検討していったらキリが無いので、概要だけに留めます。が、これも今の遊びの笑いとほとんど同じように考えることができます。

まず、スポーツでの楽しさについてですが、これも身体的技能の習得や集団性の獲得として、遊びの笑いとほぼ同様です。料理も食という生に繋がるものですし、買い物(特にファッション)も性的魅力の向上と捉えることができます。飲み会やパーティーで仲間と騒ぎ尽くすのも集団・社会性へ繋がりますし、本は知的能力の向上です。しかし、本(特にフィクション)での作品世界への没入や旅行は “新世界への進出” として捉えることができるのですが、これは最終章で説明します。


嬉しさ・喜び・楽しさによる笑いの説明は以上です。


3・おかしさ・おかしみ による笑い

ここから、第1章で扱えなかった おかしさ・おかしみ による笑いの説明をします。

1・モノマネでの笑い
まずは、モノマネでの笑いです。これは笑いの芸能でよくあるものですが、なぜ似ていると笑うのか?

最初に織田正吉先生の分析を引用します――

似ているものをおかしく思うのは多分に先験的なもので、特別の理由は思いつかない。パスカルもその理由に触れていない。似ているものをなぜおかしいと感じるのか、その理由について仮説を立てることはできるが、それを証明する方法はおそらくないだろう。似ていることが、おかしいからおかしいとしか言いようがない。

織田正吉『笑いのこころ ユーモアのセンス』前掲、p.123

まったく分析になっておらず、さすがの織田先生でもこれは戴けません。引用の最後に「似ていることが、おかしいからおかしいとしか言いようがない」とありますが、これは言ってはいけないと思います。それを説明しなければならないので。しかし、では、どう説明すればいいのか?

モノマネをする演者は大体「誰々のモノマネをします」と言ってやり始めますが、これの言い方を変えてみましょう。例えば、「次のモノマネは誰に似ているでしょう?」と。そして、モノマネをするのだが、最初は誰の真似をしているか分からず、「?」となるはずです。しかし、しばらく考え(すぐにでも?)、誰の真似か分かったら「あ!」となるはずです。普通、人は他人と(他動物や他物とも)あまり似ていないのですが、その違っているはずのものの間に何か共通点を発見した、というのがモノマネでの笑いの本質だと思います。(ダリやマグリットは似ている物同士をよく並べていますが。)  しかし、その共通点を見つけられない場合、「?」が解消されず、笑いには至りません。落語家としても活躍されている大島希巳江先生はこう書かれています――

モノマネが面白いのは、マネされている当人のことをその場にいる人が知っていたり有名人であったりするからである。[…]知らない人のモノマネは面白いと感じられない。

大島希巳江『日本の笑いと世界のユーモア――異文化コミュニケーションの観点から』前掲、p.152

だから、あまりマニアックな人のモノマネはウケません。のは賭けです(「?」が大きい分、リターン「あ!」も大きいかもしれませんが)。「サクソ・グラマティクス」のモノマネとかは止めた方が良いです。なお、この人は中世デンマークの歴史家だそうです。今、適当に本を開いたら見つけた名前です。

ちなみに、街で旧友に会った時の笑いもこれと同じです。この笑いについては志水彰先生が少し触れていたのですが、解明は無かったように思います。その説明をしてみますが、ここでは、旧友なので10~20年振りに会ったとしましょう。しかし、そのくらいの時間が経つと見た目はどの程度か変わっています。そして、道の向こうから近づいて来ても最初は誰か分からないのだが(「?」)、やはり変わっていないところもあるので、その変わっていない部分と若かった頃のその人との共通点を発見し、「あ! お前かぁ!」となるのだと思います。

しかし、その時に笑えるのは「それが好ましく、たいして重大ではなく、別の緊張を要求しない場合」であり、例えば、街中で偶然会った相手が、自分の愛する者を殺した敵国の王に似ていた場合は笑えません。襲い掛からねばならないので。


2・可愛いものを見た時の笑い
動物の赤ちゃんの可愛い画像・動画は最高に人気が出ますが、笑いの研究書には「可愛いものを見るとなぜ笑うのか?」ということはほとんど取り上げられていません。中村先生は少し話題にされていましたが(一行くらい)、その理由については触れていなかったと思います。僕はこの笑いを(意外にも)おかしさ・おかしみ による笑いに分類したのですが、なぜ可愛いものを見ると笑うのか? 

これも状況シチュエーションを変えてみましょう。
草むらから飛び出して来るのがヒョウではなくて、ヒョウの赤ちゃんだったら、どうでしょう?(ミッキーマウスの赤ちゃんでもいいですが。)  大人のヒョウだった場合には戦闘をしなければなりませんが、ヒョウの赤ちゃんであった場合は戦う必要が無いので、“解除” しても大丈夫です。ところで、可愛いものというのはすべて、自分より弱いものです。特に赤ちゃんがそうですが、戦ったら勝てます。(本当に戦ったら鬼畜ですが。)  そのため、草むらから飛び出して来たものが最初は何か分からず(大人のヒョウかもしれず)“警戒” するのだが、可愛いもの=自分より弱いものであった場合は “解除” となります。

現代ではそんなサバイバルな状況は ほとんどありませんが、街中でも家の中でも本でもスマホ・パソコンの画面でも、本当は何が飛び出して来るか分かりません。そのため、対象認識の前には常に “警戒” があります。しかし、画面に現れたのが動物や人間の赤ちゃんであったなら、「ほっという言葉のとおり少し息をはく。」  そして、永遠に続けるでしょう。

ちなみに、僕は ひよこ が大好きなのですが、世界のすべてが ひよこ になってほしいと思っています。素粒子とかニュートリノとかも全部ひよこ になってほしいです。ひよこ さえ居れば笑いの作品など要らないので、僕はそのうち養ひよこ業者になって、世界中を ひよこ で埋め尽くす結社を開きます。

引用:石井養鶏農業協同組合 ヒナ事業本部HP



3・「いない いない ばぁ」での幼児の笑い
幼い子供が「いない いない ばぁ」で笑うのはなぜか? この笑いも おかしさ・おかしみ による笑いに分類したのですが、これまでと考え方は似ています。

「いない いない ばぁ」は、親や親しい人が赤ちゃんに対して「いない いない」と言って手で自分の顔を隠し(①)、少ししてからその手を「ばぁ」と開いて赤ちゃんに顔を見せる(②)、というものです。幼い子供は一人だと不安になるので①の段階で “警戒” 状態になりますが、②で親が戻って来たことによりその不安が解消される=笑う、となります。

これは「安心・安堵の笑い」ともできますが、おかしさ・おかしみ による笑いとの違いは、常識からズレているかいないか、です。常識からズレている場合は多くが「非現実」的な事象になります。(例えば、〈焼きたてのパンに靴下を塗る。〉)  しかし、安心・安堵の笑いの場合は、手術が上手くいったり敵の飛行機が去ったりと、事象としては現実的(おかしくない)ものです。が、は同じです。


4・感動による笑い 
この感動による笑いには、音楽や美術や文学・映画等の芸術での感動やスポーツのスーパープレーや人の善行等、あらゆる感動を含めます。そして、その感動には笑いも一緒になっていることが多いですが、なぜでしょうか?

スポーツのスーパープレーが一番説明しやすいので、先に挙げます。
たまに、スーパープレーを観た客が目や口をポカーンと開けてフリーズしているのを見かけます(特に外国人)。また、スーパープレーに対して「信じられないUnbelievable!」と叫ぶこともあります。これらは「驚き」と捉えることができます。先に引用したものに、「最初は刺激をしっかり受けとめるために目をかなり大きく見ひらき驚きに似た表情をしめす」とありましたが、目や口をポカーンと開けてフリーズしているのはこの状態です。そして、時間を掛けて彼・彼女は「その刺激に害がなく、むしろ愉快なものとわかった瞬間から、「愉快」を表現するほおの筋肉が強く収縮し、さらにもはや刺激に害がないということがわかりそれほど注意しなくてもよいので、目を細めるための目のまわりの筋肉も収縮する。」  こうして、彼・彼女は意識を取り戻した後には笑っていることでしょう。

音楽や美術や文学・映画等の芸術での感動も基本的には驚きがあります。予期・予想していたよりずっと素晴らしい作品であった場合に感動しますが(想定内の作品など つまらなさ すぎます)、その予期・予想が外れて一旦驚くのだが、それを許容・肯定できた場合、身体・顔を弛緩させ、蓄えた酸素を放出する=笑う、となります。(つまらなかった場合には怒って暴れ出し、暴動と革命を起こします。)

人の善行についても、基本的には誰も善い行いなどしないので、それに驚き(「信じられないUnbelievable!」)、許容・肯定できた場合、身体・顔を弛緩させ、蓄えた酸素を放出する=笑う、となるはずです。しかし、「アッハッハッハ」とは別の笑い方となり、微笑みに近いと思いますが、後述します。


5・失敗による笑い
誰かが何かに失敗するというのは笑劇の基本で、だからこそ西欧では笑いの優越理論が信じられているのですが(また、梅原先生の分析する日本の笑いの精神・社会構造もこれといくらか近いです)、僕は “警戒解除” から説明しなければならないので、やってみます。

ここでは、モーツァルトのふざけた音楽を例に出します。彼の曲には、音程や調性を外したり楽器の選択を間違えたりフーガが成立していなかったりと、わざと下手で失敗したものがあるそうで、それを聴いて貴族達は笑っていたそうです。ここでの “警戒” とは、クラシック音楽という厳粛なものが始まることであり、それに対して まずは身構えます。しかし、曲は下手下手で失敗する。先の可愛いものの時もそうでしたが、この場合には戦うまでもないので “解除” しても構わないということで笑う、となります。(ベートーヴェンはあまりこういうことはしない……? いや、してるかも……?)


4・病気・極限状態等での笑い

ここから、病気・薬物による笑いや戦争・災害時の極限状態での笑い等、異常な状態での笑いについて書いていきますが、先述の通り、医学的領域には一切手が出せませんので、それらは簡単に済ませます。

1・病的な笑い
ここで触れるのは うつ病です。うつ病患者は笑いの量・回数がかなり少なくなるそうですが、これは精神的に落ち込み、また塞ぎ込み、“解除” の無い状態です。しかし、うつ病が改善するにつれて笑いの量は正常に戻るそうです。(志水彰『笑い/その異常と正常』前掲、pp.138-142)  反対に、躁うつ病の場合は、正常人よりも笑いの量が相当増えるようです。(pp.145-151)  躁うつ病の原因には、遺伝的なものや脳内環境によるものがあるとされていますが、それについては僕は分かりません。


2・薬物による笑い
LSDといった薬物を使用した時にも笑い表情が出る場合があるそうですが、笑い茸と笑気ガスも(名前の通り)笑いを引き起こすそうです。そういう成分が含まれているそうです。また、脳へ影響を与えるそうです。

苧阪先生の『笑い脳 ~』によれば、笑いのとも言うべき脳領野が見つかっているそうです。アメリカの神経外科医達がある てんかん患者の治療のために脳へ電気刺激を与えて調べていたところ――

[…]前部補足運動野への電気刺激が、微笑みやバカ笑いを誘発させることを偶然に見出した。刺激がこの位置にくると、患者は周りに立っている人々を見るだけでおかしいと感じて笑ったという。刺激する電流が少ないと微笑みが、増加するにつれて活性化の領域は広がりバカ笑いになったという[…]。

苧阪直行『笑い脳 社会脳へのアプローチ』前掲、pp.86-87

このように、前部補足運動野へ電気刺激を与えると笑いが起こるそうです。だから、笑劇家は頑張って作品など作らなくても前部補足運動野ここへ電気を流せばいいわけで、その電気ショッカーが未来の笑劇家です。僕はそのうち、ひよこ結社と脳電気ショック・サロンを開きます。


3・飲酒による笑い
飲酒も特に身体面へ影響を与えるものとして「病気・極限状態等での笑い」に分類しました。しかし、精神面へも影響を与え、「笑い上戸」となり大笑いを続ける人もいますが――

これは日頃、その人がもっている「このように笑ってはならない」との社会的配慮からの抑制がとれ、大笑いとなったと考えられる。

志水彰『笑い/その異常と正常』前掲、p.160

また、飲酒時に心が大きくなって普段言わないようなことを言ったりしますが、これも「常識」という社会的配慮・たがが外れたものです。フロイトやシュルレアリスムなら「無意識の解放」と言うかもしれませんが、「常識」という「窮屈な枠」の解消です。


4・極限状態での笑い
戦争や災害等の極限状態での笑いですが、例えば、阪神大震災の時、ある人が自宅は無事かと思って帰ったら辺り一面が崩れ落ちていて、なぜか笑ってしまった、というものがあるそうです。(雨宮俊彦『笑いとユーモア ~』前掲、p.160)  また、中村先生の『笑いのセンス ~』には――

空爆の爆裂音で鼓膜が破れ、精神に変調をきたした幼児が、「たえず全身を痙攣けいれんさせながら」、「血も凍るような光景を瞳に残したまま、これ以上はない恐怖のまなざしで、頬と声だけがへらへら笑っている」と辺見庸はアフガンの現実を伝えている。

中村明『笑いのセンス――日本語レトリックの発想と表現』前掲、p.20

と紹介されています。織田先生の『笑いのこころ ~』には、当時小学4年生だった女優の扇千景さんが太平洋戦争中に、疎開先で自分や他の生徒の家が焼かれたことを伝えられ、また、その空襲の恐ろしさを想像し――

教室は深い水の中に沈んだような静けさに包まれた。そのとき誰かが「ははは」と笑い始めた。それを合図に瞬く間に旅館の広間は笑い声で満ちていく。(略)得体の知れない恐怖から逃げ出したくて、おかしくもないのに笑ってしまったのだと思う。

織田正吉『笑いのこころ ユーモアのセンス』前掲、pp.56-57

このように、戦争や災害時には おかしくもないのに笑ってしまうという奇妙なことが起きるようです。これらの笑いの正体は何なのでしょうか?

僕の答えを先に言ってしまうと、これらは「強制解除」です。極限状態であまりにも精神・身体への負荷が大きいため、無理やり “解除” して心と身体の平安を取り戻そうとしているのだと思います。最初の阪神大震災のエピソードでは、街全体が壊れてしまったショックに耐えきれず、“解除” せざるを得なかったのだと思います。扇千景さんや辺見庸さんのエピソードも、子供達はそれ以上 “警戒” したら心と身体が壊れてしまうので、強制的に “解除” するしかなかったのだと思います。また、扇さんの方には「恐怖から逃げ出したくて」とあるように、笑うことによって問題が解決したと思い込みたかったのだと思います。

物理学者の寺田寅彦先生はこういったものを「理由のない笑い」として紹介していたそうです。寺田先生は子供の頃、医者の診察を受けている時や親戚の家に不幸があった時や真面目な音楽の演奏を聴く時等に、なぜか笑いがこみ上げてきたそうです。そして、こういった笑いに共通していることは精神と身体の緊張だとし、緊張の持続に耐えられなくなると無意識に緊張が緩もうとする、と分析されています。(織田正吉『笑いのこころ ~』前掲、pp.54-56)  これには僕もまったく同意見で、寺田先生が先に答えを出しておいてくれたようです。

なお、寺田先生の場合は「笑ってはならない状況」とも言え、その禁止・緊張・“警戒” が強ければ強いほど “解除” をしたくなるのかもしれません。また、そういった状況で「吹き出す」ことがあるのは、それ以上 酸素を蓄えられなくなったからであり、放出せざるを得なくなるからです。ずっと息を吸い込み続けるわけにはいきません。 


5・戦争・災害時の笑いの封禁について
戦争中や災害時には笑いは不謹慎とされます。第二次世界大戦中は笑いの芸能の統制が行われ、2011年の東日本大震災後の数ヶ月間はバラエティー番組は封禁されました。なぜ笑いは禁じられたのか?

ここまで繰り返してきたように、笑いは “解除” だからです。特に戦争がそうですが、戦わねばならないので、息を吐いて「ほっと」している場合ではありません。また、災害時には「警報」が出ますが、勝手に “解除” してはなりません。逃げるために力を蓄えねばなりません。

現在、日本は戦争でやられてしまうという危機はそこまで無さそうですが、自然災害は毎年起きて、その被害の程度も大きくなり続けています。日本は自然災害にやられてしまうのでしょう。ひよこ でなんとかできないものでしょうか?


5・動物は笑うか?

「動物は笑うか?」というのは多くの笑いの研究書に取り上げられる難問ですが、少しだけ考えてみましょう。

1・サルの場合
まず、人間ヒトに最も近いサルですが、笑うことが確認されています。先に子供のサルの遊びで見た通り、遊びの際には「口は大きくひらかれ、口の周囲はリラックスし、発声はないが「ハッハッ」という激しい呼気をともなう」。また、第2章で引用しておきましたが、人間ヒトの挨拶の笑いや微笑みの元になった「劣位の表情」があり、現代のサルでもこの笑いで仲間とコミュニケーションを取っているそうです。人間ヒトの笑いの起源を探る際にはサルは常に参照されるのですが、サルは笑う、とのことで意見が一致しています。


2・ネズミの場合
ネズミは笑うか? 雨宮先生の『笑いとユーモア ~』(前掲、pp.62-63)には「笑うネズミ」という項があり、ネズミの笑い声についての研究が紹介されています。実験していたのはパンクセップという学者で、くすぐるとネズミは喜ぶそうで、くすぐられるために人間の手に近寄って来さえするそうです。そして、くすぐられるとネズミは50kHz以上の高音の鳴き声を出すようですが、それは人間ヒトの笑い声に相当するそうです。そのパンクセップがネズミと じゃれている動画をこちらで観ることができますが(2007年のもので画質・音質は良くありませんが)、ネズミ達も笑うようです。ミッキーマウスも笑っていますし。


3・イヌの場合
では、イヌは笑うか? 愛犬家なら即「イエス」と答えると思いますが、果たしてそれでいいのか?

このことを考える前に確認しておきますが、笑いとは、「ハッハッ」といった発声や目・口・顔・身体全体の弛緩でした。そのため、これらが認められたらイヌや動物は笑うと言ってよいはずです。では、イヌにこれらが現れるか? じゃれて遊んでいる時などはイヌ達は「ハッハッ」と息を吐いていますし、久しぶりに会った時には目を細め口を横に開き、あたかも「にっこり」しています。つまり、笑って

しかし、本当にそう言っていいのか? イヌは本当は笑っていず、ただの人間の感情移入ではないのか? これについては、「感情移入で」です。人間の場合で考えたら簡単で、プレゼントをもらった人が本当はそのプレゼントを嬉しくないと思っていても「嬉しい」と言って喜ぶフリをしているが、プレゼントを贈った人は相手が本当に喜んでいると思うこともあります(大半がそうでしょう)。しかし、実のところ、他者の心の中を見る・感じることはできないので、相手の心はで判断するしかありません。反対に、本当に心の中で大笑いしているのに顔・表情や身体に一切出さない(無表情な)人がいたとしたら、その人は他の人から笑っているとは思われません(そういうコントが出来そうですが)。長くなるので哲学の難問「他我問題」は出しませんが、人間でも動物でも、相手の心を判断するのはです。そして、動物やイヌが笑っていると思ったら、笑って

ところで、イヌは喜ぶと尻尾を振りますが、あれはいわゆる「余剰エネルギーの放出」です(多分)。


4・ネコの場合
ネコが笑うかについては、イヌが笑うと言う人よりも少なくなるのではないかと思いますが、ネコは笑うでしょうか? 楽しそうにボールや毛玉で遊んではいますが、笑いとまでは言えるでしょうか? もちろん、「イエス」と言う人がいればそれで「笑っている」ということになりますが、個人的にはネコはその表情を読み取りにくいような気がします。これに無理やり理由を付けてみます。

それは、ネコの生態にあると思います。ネコは基本的には単独行動なので、対他的な表情はあまり発達していないのかもしれません。サルやイヌは群れで行動するので、他者に対しての表情は非常に重要になります。また、特にイヌは何万年も前から人間ヒトと暮らしてきたので(ネアンデルタール人が絶滅したのは人間ホモ・サピエンスとその連れていたイヌのためであるという説もある)、イヌは人間にもその表情が読み取りやすく進化しているのだと思います。しかし、ネコは人間と付かず離れずくらいの距離だったので、未だに人間にとって彼等はミステリアスなのでしょう。

ちなみに、僕は犬派でも猫派でもなく、サクソ・グラマティクス派です(この名前、覚えてます……?)。


5・ウマやヒツジやウサギの場合
ウマやヒツジやウサギ達は笑うでしょうか? もちろん、飼い主達が「イエス」と言えば笑うことになるのですが、志水先生によれば――

馬については、上唇を上げて歯をあらわす特別な表情が馬の笑顔と呼ばれることがあるが、これは成熟した雄馬が異性の分泌物を嗅いだ場合のフレーメンと呼ばれる求愛行動の一部をさしている場合が多い。また同じ表情はアルコールなどの匂いをかいだときにも見られるが、いずれにしろ笑いとは異なるもののようである。

志水彰『笑い/その異常と正常』前掲、p.6

このように、馬には、笑い顔に近いが別の理由でそうなっている場合があるそうです。要するに、紛らわしいこともある、と。

ヒツジやウサギの場合は、分かりません。僕の守備範囲外です。


6・魚・カエル・アリの場合
哺乳類と違い、魚やカエルやアリが笑うと主張するのはかなり難しくなるかもしれません。というのも――

 表情が発達するためには、顔面の筋肉を中心とする表情をつくるのに必要な器官の発達が前提となる。
 魚類では目の開閉と口の開閉だけしかおこなえず、顔の表情といったものはまずない。いくら魚の好きな人でも、金魚鉢のなかのデメ金が自分に笑いかけていると思ったことはないだろう。

志水彰・角辻豊・中村真『人はなぜ笑うのか 笑いの精神生理学』前掲、p.18

ここまで、笑いを大きく声と表情の二つとしてきましたが、その表情には そもそも筋肉が必要であり、それが発達しなければ表情も薄いものです。魚は目と口しか動かせず、特に口は上下しか開けられない(人間ヒトは横にも開けられる)ため、笑い顔を認識するのは難しいようです。

両生類のカエルは、魚よりは表情(顔の筋肉)が豊かになり、口を大きく開けている時は あくび をしているようにも見えます。が、まだ目の周りの筋肉は発達しておらず、いくら他の部分を動かしても「目は笑っていない」ように見えます。

アリの顔は鋼鉄です。基本的には筋肉が無く、表情の変化はないので、笑うとするのは難しいと思います。しかし、ユーモラスな顔をしているアリもいるので、笑っていると思う人は自信を持ってそう主張してください。


7・石は笑うか?
ここまでは動物でしたが、鉱物のは笑うでしょうか? 笑う? 笑うわけがない? それとも、中間? 皆さんはどう思いますか?

答えは、笑う、です。石は笑い。なぜか? これはちょっとした引っ掛けなのですが、筆やペンで石に「😊」と描けば、それはもう笑っています。こう描いた石を蹴ったり水切りすることはできません(したら鬼畜です)。表情さえあれば、それはもう「生命」です。

もっと大きく言うと、大仏も岩を彫って作られたものがありますが、その大仏が生命でない、また、心を持たないということなどありません(それどころか超人間的である)。化学的にはただの岩石ですが、顔・表情さえあれば人間はそこに心を読み取ります。無生物だと分かっていても、また、本当は心があるのか分からなくとも、外面が笑っていたら、笑っています。(だから、AIも笑います。)


8・動物もギャグをする
なんと、動物はギャグをするそうです。また、ジョークも言うそうです。
エヴァ・メイヤーの『言葉を使う動物たち』(前掲)によれば、「ココ」という名前のゴリラはかなり賢く、人間の言葉を2000以上理解し、ゴリラのを1000以上も使いこなしたそうですが、ココはジョークを手話で言っていたそうです(それがどんなものかは書いてありませんでしたが)。(p.36)  また、ココと一緒に暮らしたことのある「マイケル」という名前のゴリラは、自分の感情や夢や記憶を伝えることができ、幼い頃に自分の母親が密猟者に殺されたことも話せたそうです。さらに、マイケルは嘘もつけたそうです。(同前)  

同書には、「アレックス」というオウムが人間の言葉を良く理解することも書いてあり――

たとえば、彼は鍵が何のためのものかを理解した。新しい鍵でも、それが違う形をしていても、鍵として理解した。彼は概念も理解して、「オナジ」「チガウ」「オオキイ」「チイサイ」「ハイ」「イイエ」などを示すことができた。アレックスは飽きると、ときどき故意に間違った答えを返した。

同書 p.28

このように、オウムも物覚えが良く、物や概念をきちんと理解できるようです。そして、それだからこそ故意に間違えることもでき、笑劇家への一歩目を踏み出しています。

イヌもギャグをするそうで、「ソルティ」というポインターに飼い主がダンベルを取って来ることを教えて遊んでいたところ、ある時、ソルティはダンベルではなく、ゴミ箱の蓋を取って来たそうです。(p.106)  また、ダンベルを取って来たとしても、飼い主ではなくて別の人に渡したりすることもあったそうで(同前)、イヌもギャグをするようです。

それなら、もっと進化してもらって、色々ギャグをやってもらいたいものですね。僕も豆柴マメシバを進化させたり遺伝子を組み換えたりして、1発ギャグとかをさせようと思います。最高に人気が出ると思います。


6・笑い方と笑い声について

さて、ここから、笑い方と笑い声について考察していきます。ここまで「笑い」と一口に言ってきたのですが、それをいくらか詳細に見ていきます。

1・笑い(laugh)と微笑み(smile)の違い
まず、笑い方は大きく二分されるようで、「笑い(laugh)」と「微笑み(smile)」となるようです。そして、主には声が出るか出ないか(有声か無声か)の違いだそうですが、これには僕も賛成です。また、笑い(laugh)では、身体を動かしたり涙を流したりすることがあり、顔以外も使います。しかし、微笑み(smile)の場合はほとんど顔の表情のみであり、その動きも小さいです。要するに、両者の違いは、笑いの程度・表出量の違いです。(そのグラデーションは無数にありますが。)

なお、念のための確認ですが、笑劇での笑いは前者(laugh)です。ギャグを言って微笑まれたら困ります。反対に、母親が赤ちゃんをのに微笑まないで爆笑していたら おかしいです。仏像も微笑みですが、爆笑していたら ふざけています。

しかし、この二つの笑い方の違いが有声か無声かだとすると、なぜ声が出る場合と出ない場合があるのか? ここまで何度も書いた通り、笑い声とは、戦闘等のために蓄えたが不要になった酸素の放出です。「アッハッハッハ」という笑い(laugh)声には、その直前に生死が懸かるほどの “警戒” があり、その時にそれに対処できるほどの酸素を蓄えました。そのため、“解除” 時には大量に吐き出すので声が出る、ということです。そして、これが おかしさ・おかしみ による笑い方なのですが、微笑み(smile)の場合、その直前にはそのような大きな危機は無く(赤ちゃんを時等)、そのため、蓄える酸素の量が少なく、放出時には声が出ない、ということになります。そして、目や口も、“警戒”・緊張が少ないので弛緩も少なく、笑い方も小さいものとなります(身体全体で “警戒” するまでもない)。要するに、「笑い(laugh)=有声」と「微笑み(smile)=無声」の違いは、“警戒” 度=酸素の蓄え量の違いです。

また、微笑み(smile)は社交的な笑いであり、意図的・意識的なものだという指摘もあります。その理由も、元々大きな(または突発的な)危機が無いためで、あまり外界に影響を受けず自分でコントロールできるからです。先に引用した通り、微笑みはサルの「劣位の表情」に近く、これが挨拶の笑いや親和の表情(「社会的な笑い」)になっていったそうで、愛想笑いをするためには笑い方をコントロールできねばなりません。


2・笑い声の違いについて
ここでは主に、「アハハ」「イヒヒ」「ウフフ」「エヘヘ」「オホホ」という笑い声の[aiueo]について考察します。笑い声はどれも同じ母音であり、例えば「ッ」とは笑いません。笑い声の[aiueo]の違いは何なのか?

まず、これらの笑い方がそれぞれ どんなものかは大体分かると思いますが、中村先生はこう分析されています――

「ハッハッハ」は[…]明るく豪快な笑いだが、同じハ行で笑っても、母音によって印象はみな違う。「ヒッヒッヒ」は不気味な笑い、「フッフッフ」は口のなかにこもらせるふくみ笑い、「ヘッヘッヘ」はへつらった感じのげびた笑い、そして、「ホッホッホ」は上品な婦人の口をすぼめるひかえめな笑い[…]。

中村明『笑いのセンス――日本語レトリックの発想と表現』前掲、p.8

こういった笑い方は特に漫画やアニメ等ではお馴染みのもので、中村先生の分析は正しいはずです。しかし、なぜ[aiueo]の違いで今のように印象が変わってくるのか? これも “警戒解除” =蓄えた酸素の放出の仕方から考えていきます。

まずは、簡単な実験をしてみます。プロレスラーのアントニオ猪木は「1、2、3、ダァーッ!」と叫びますが、この〈ダァー〉をそれぞれ[aiueo]にしてみましょう――

  a:1、2、3、ダァーッ!
  i:1、2、3、ディーッ!
  u:1、2、3、ドゥーッ!
  e:1、2、3、デェーッ!
  o:1、2、3、ドォーッ!

それぞれ〈ダァ〉〈ディ〉〈ドゥ〉〈デェ〉〈ドォ〉にしてみましたが、どれが一番強そうでしょうか? 或いは、どれが一番勢いがあるでしょうか? ぜひ口に出して試してください。いかがでしょうか? 勢いが強い順に並べてみると、以下のようになると思います――

  1・a(ダァ)
  2・o(ドォ)
  3・u(ドゥ)
  4・e(デェ)
  5・i(ディ)

大体はこうなるかと思います。そして、これらの順は、の順です。ここまで笑い声を酸素・息の放出としていたのですが、その強さの順は[aouei]となります。([アイウエオ]の〈イ〉と〈オ〉を入れ替えただけになりました。)  そして、これをハ行に当てはめてみると――
 
  1・a(アハハ)
  2・o(オホホ)
  3・u(ウフフ)
  4・e(エヘヘ)
  5・i(イヒヒ)

となり、以下では、笑い声についてこの順で考えていきます。

[ハ(a)]
笑い声([aiueo])の分析で一番詳しいのは、僕が見たところによると、深作光貞先生の『日本人の笑い』(前掲、pp.20-26)だったので、深作先生の分析をお借りさせて頂きます。1の[ハ(a)]については、「音声学的に言うと、口を大きく開き、舌を低く下げ、声帯を振動させて発する明るく大らかな音。」(p.22)とあります。そして、「笑いの音声として、最上の快さがある。」(同前)  このように、[ハ(a)]には(ハ長調のような?)最上の明るさがあるのですが、それは、酸素を吐き出しきっているからです。そのため、戦うための力は抜けきり、相手にその意思が伝わり、「快さ」の印象を与えます。

[ホ(o)]
次に2の[ホ(o)]ですが、深作先生によれば、「Aに較べれば、少し抑えた音であるが、やはり明るく感じのいい音、このHOの「ホッ・ホッ・ホ」は、つつましやかに明るく笑う場合、女性にもっとも適している。」(p.24)  中村先生も「上品な婦人の口をすぼめるひかえめな笑い」と書かれていましたが、では、なぜ上品な女性は[ハ(a)]ではなく[ホ(o)]で笑うのか? これは、[ハ(a)]が一番吐き出せるのは分かっているが、文化的に女性は感情を出しすぎてはいけないとされていたので、仕方なく2番目に吐き出しの強い[ホ(o)]で間に合わせているのではないでしょうか?(ホ長調も明るい調ですし。)

[フ(u)]
3番目の[フ(u)]については、「舌の先を下の歯の歯ぐきにかすかにふれるようにひき下げ、後舌面を高くして、唇を少しとがらせながら発する音で、重くて鈍く暗い音。」(p.23)  ここくらいから、やや暗い印象が現れ始めます。「物陰での笑い、ひとりでの笑い、ひそかな笑い」(同前)とされ、漫画等で財宝を独占して喜ぶ者や何かで優位に立って勝ち誇っている者が「フッフッフ」と笑うとされています。しかし、女性や子供が「ウフフフ」と明るく・優しく笑うこともあり、[フ(u)]は明暗の両方の側面があるようです。これも酸素の吐き出し具合によるもので、[ハ(a)][ホ(o)]のように強く吐き出してはいない分、まだ酸素=戦う力を残しており、その相手には気が抜けず、「重くて鈍く暗い」印象になるのだと思います。女性や子供の「ウフフフ」という笑いが明るさや優しさの印象を与えるのは、元々の蓄える量が少ない=“警戒” 度が低いためで、穏やかなものになり、微笑みに近いものです。(長調もこんな調です(!?))

[ヘ(e)]
4番目の[ヘ(e)]ですが、「この音は、前舌を平らにして歯ぐきのうしろに近づけ、舌の先をややひっこめ、声を口腔内にひびかせながら発するものである。」(p.24)  そして、「下心のある者のする笑い方」「なにか底に隠された感じである。」(同前)  中村先生も「へつらった感じのげびた笑い」とされています。このように、「ヘッヘッヘ」はかなりネガティブな色調になっています。そして、この「ヘッヘッヘ」に続いて、「ざまぁ見やがれ」や「俺にも出来た」と言った場合、前者が復讐的な笑い方で、後者が劣等感を持つ者の笑い方とされています。(同前)  しかし、照れ笑い等で「エヘヘヘ」と笑うこともあり、いくらかのポジティブ性は残っています。が、やはり暗さの方が強い笑い方です。これも息の吐き出しの弱さによるもので、このように吐いても酸素=力は大量に残っているので、そんな相手は油断なりません。まだどこか戦う気を残しています。それが「下心」や「なにか底に隠された感じ」に繋がるのだと思います。(ベートーヴェンはヘ短調が大好きでしたが……。)

[ヒ(i)]
最後の[ヒ(i)]については、「唇を平たく開き、舌の先を下の方に向け、前舌面を緊張させながらもちあげつつ硬口蓋に接近させ、声帯を振動させて発する鋭い音。」(p.22)  また、憎まれっ子が「イーだ」と言う際の[]ともされ、「ヒッヒッヒ」は「マンガや劇などで、悪者や悪徳商人が、人をひっかけようとするとき、あるいはあざむきひっかけ終わったときに発するあざ笑い的笑い声に、用いられている。鬼婆も、この笑いである。」(p.23)  中村先生も「不気味な笑い」とされていましたが、相当卑屈で、完全に(最も)ネガティブな笑い方です。正義のヒーローがこの笑い方をしたら番組打ち切りになります。しかし、理由はここまでと同様に、酸素=力の吐き出しが弱いためで、まだまだ身体に酸素=力を残しています。いつ襲い掛かってくるか分からず、まったく信用なりません。そして、“解除” しているのにまだ酸素=力を残しているという矛盾・不信感が「不気味」に繋がるのだと思います。(シベリウスは長調を愛していましたが。いや、そんな調はありません。長調も。)


]の考察は以上ですが、笑い声には行もあり、それを最後に簡単に見てみます。

[k]音での笑い方には、〈カラカラ〉〈カッカッカ〉〈キャッキャ〉〈クックック〉〈クスクス〉〈ケラケラ〉〈ケケケ〉等があります。ついでに、[g]音では〈ガハハハハ〉〈ギャハハハ〉〈ゲラゲラ〉等があります。

[k]音
[k]音は、金属音がそうですが、かなり高い音のため よく響きます。最もよく響く音です。〈カッカッカ〉はお殿様や悪のボスが使いますが、笑いを響かせて他者にアピールしているのだと思います。〈キャッキャ〉は子供や女性が使いますが、元々の声が高いためです。しかし、これもよく響き、海水浴場で聴こえたら振り向いてしまいます(が、これもアピールだと思います)。[k]音はまた、最も軽い音でもあるため、〈ケラケラ〉は明るさを、〈カラカラ〉は空虚感を伴うことがあります。

[g]音
[g]音はかなり重く強い音なので(怪獣の名前には常に入っています)、意識的にも無意識的にも笑いの強度を上げているのでしょう。


以上、天才的な分析でした! 笑いにおいて、論理ロジックが書ける・組めるというのは才能だということも理解わかってくださいね!


7・社会的な笑い

この「社会的な笑い」が本章で最後のものになります。
ここには特に、対他的な・他者に向けての笑いが含まれます。しかし、笑いはかなりの度合いが対他的なものであり、ハーレー達の本には以下のようなアメリカの諺が紹介されています――

一人っきりで笑ってると、世間は「バカがいる」と思う。

マシュー・M・ハーレー、ダニエル・C・デネット、レジナルド・B・アダムズJr.『ヒトはなぜ笑うのか ユーモアが存在する理由』前掲、p.425

独り笑いというのは おかしい ですね。だから、本屋や電車の中ではギャグ漫画を読んで笑うのを堪えねばなりません。現代では本やテレビやパソコン・スマホが普及し、一人で笑うことも多くなっていますが、人類の歴史では これはほんの「さっき」始まったことです。何百万年(或いは、何千万年、または何億年)も前から人間ヒトは群れで暮らしていたのであって、笑い(や他の感情)はその中で発達してきました。そして、笑いは常に誰かとするものであって――

たとえば、ほほえみはたんなる幸せの記号ではなく、幸せの伝達コミュニケーションなのが明らかになっている――ほほえみが生じるのは、そのシグナルを受け取れる相手と対面しているときに限られるというのは確実なことだ(Fridlund 1991, 1994; Kraut and Johnston 1979; Fernandez-Dols and Ruiz-Belda 1995; Provine 2000)。

同書 p.418

このように、微笑みも「そのシグナルを受け取れる相手と対面しているときに限られる」そうで、やはり他者を意識しています。しかし、この対他性や感染性の起源・発生も “警戒解除” から説明することができ、それは本章の後半で書きます。そして、先述の通り、挨拶の笑いと笑い顔の万国共通性については、人類史を7~8万年遡って行きます。

それでは、一つ一つ検討していきます――


1・微笑み
微笑みについては何度も取り上げましたが、ここでは特に、赤ちゃんを際の微笑みについて考えてみます。

ジャズのスタンダード・ナンバー《Summertimeサマータイム》には、泣いている赤ちゃんに対して、パパはお金持ちでママは美人だから安心して、と言ってうとする歌詞シーンがありますが、これは「 “警戒” することは無いから “解除” していいんだよ」(=「安心して」)ということです。そして、その際に微笑むのも、実際に外敵・危険は無く「安全だ」という「シグナル」です。

なお、仏像の悟りの微笑みについては、悟りの境地にあるわけなので、すべてを理解し、すべてが予期・予測の内であり、すべてを手中に治めているため、“警戒” することなど一切無く、常に “解除” の状態です。その微笑みによって癒され救済されもしますが、大人も仏像にれているのでしょう。


2・余裕の笑い・余裕を装う笑い
この二つの笑いの名付けは中村先生によるものですが、「余裕の笑い」は「余裕のあるときに笑みをたたえて悠然としている」もので、「余裕を装う笑い」は、「追いつめられて、笑っている場合でないのに[…]笑うことで、大した問題ではないと余裕を見せる演技とも解せる。」(中村明『笑いのセンス ~』前掲、p.48)  例えば、前者が7億円札を団扇にして扇いでいる時の笑いで、後者が700億円の借金を抱えている時の笑いです。これらの笑いも「勝利の笑い」に近く、前者では大金持ちで社会的には勝利しているので笑いとなり(また他者にアピールし)、後者では「追いつめられて、笑っている場合でないのに」、「笑うことで、大した問題ではないと余裕を見せる」=勝利していると他者に見せかける。そして、社会的には負けていない(失敗していない)ことをアピールしていると考えられます。


3・謙遜の笑い
謙遜の笑いは主に、自分を控えめに見せるための笑いであり、サクソ・グラマティクスのモノマネをして上司に「上手いね」と褒められた時に「いえいえ」と返す際の笑いです。かなり謙譲的になり、自分が相手より立場・実力等が上にならないようにし、社会的関係を保とうとするもので、勝利の笑いとは反対です。が、勝利的ではあるので笑ってはいるが、笑いすぎてはいけない=勝利の喜びを全面に出してはいけないので、笑いの程度も小さくなり、控えめになります。褒められることによる「照れ笑い」もこれと近しいです。


4・照れ笑い
今、謙遜の笑いでも触れましたが、褒められて嬉しい時にも照れ笑いとなりますし、失敗した時や恥ずかしい時にも照れ笑いとなりますが(これは余裕を装う笑いと同じように考えることができます)、恋愛で気になる相手と目が合った時等にも照れ笑いをします。例えば、授業中に偶然 大仏と目が合ったミニーマウスは恥ずかしそうに顔を伏せて笑います。嬉しい(恋愛成就=配偶者獲得)のだが、奥手だったり異性との関わりに不慣れだった場合にはそれを隠そうとし、笑い(声・顔)としては程度の小さなものになります。ミニーマウスは純情なので。


5・苦笑い・困惑の笑い
まず、苦笑いは、不快感や苦々しさ等を感じながらも仕方なく笑うことで、上司であるサクソ・グラマティクスから営業に行ってくるよう命じられたミッキーマウスがする笑い方です。本心では嫌なのだが、関係を壊さないでその社会にいるためには(人間ホモ・サピエンスには)重要なので、表向きには “快” としての笑いを見せようとします。が、本当は嫌( “警戒” )なので、全開の笑いにはなりません。

困惑の笑いは、突然 大仏から愛の告白をされたミニーマウスがどう反応したらいいか分からない時にする笑いです。これも余裕を装う笑いと近いですが、戸惑いや嫌悪などは感じていないということを相手に伝え、関係を悪化させないようにします。何度も書きましたが、人類ホモ・サピエンスは弱いため群れで生きていかねばならず、社会的関係を保つことは非常に重要です。


6・呆れ笑い
これは、何度も断ったのだが、しつこく大仏が告白してくることに諦めを感じたミニーマウスがする笑い方です。怒りとも近く、その場合は戦闘=“警戒” となるのだが、戦うまでもなく戦う気力も起きないため、「はぁ~……」や「ふぅ~……」というような息を吐きます。そのため、ビンタはされないので、それは大仏には安心です。


7・へつらい笑い
これは相手に気に入られようとして媚びるような仕方でする笑いで、ミッキーマウスが上司のサクソ・グラマティクスによくしています。先に、笑い声の[ヘ(e)]について中村先生は「へつらった感じのげびた笑い」とされていましたが、卑屈で打算的な笑いです。そのため、相手をよく見極め対応していく必要があるので、目の弛緩は少なく、息もほとんど吐かず、“解除” が少なめになっています。笑いをここまでコントロールできるようになるとは、人類ホモ・サピエンスも進化したものです(いや、ネズミ……?)。


8・愛想笑い
笑劇家にとって おかしさ・おかしみ による笑い以上に重要なのが、愛想笑いです。笑劇はこれで成り立っていると言っても過言ではなく、非常に有り難い笑いです。サクソ・グラマティクスもミッキーマウスがよく愛想笑いをしてくれると言って喜んでいます。しかし、やはり愛想笑いというのはその社会にいるためには重要で、人間ホモ・サピエンスは群れで生きていかねばなりません。相手や周りに合わせて笑う能力も必要なのですが、それは次の「笑いの感染性」で書きます。

もちろん、僕は愛想笑いを推奨していて、愛想笑いをしてもらえたら最高です。note でなら「愛想スキ」も大歓迎なので、たくさん愛想スキしてください!



9・笑いの感染性
10・挨拶の笑い
11・笑い顔の万国共通性

これらについては長くなるため、記事を改めます。そして、次の記事で本稿は終了です。
先述の通り、これらの説明には人類ホモ・サピエンスの “新世界進出性” が関わってきて、最終・第6章では、それが笑いの “芸術” としての根拠になっていきますので、お楽しみに!






*本稿は長くなるため、記事を4つに分けての投稿になります。本記事は一旦ここで終えます。続きは「笑いの理論 ~或いは、その体系化への試論~(4)」をご覧ください。



note 運営様へ

本作の続編を以下に載せますので、よろしくお願い致します――

「笑いの理論 ~或いは、その体系化への試論~(4)」




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