父と「鬼平犯科帳」 私と「中村吉右衛門」
父は中村吉右衛門さん演じる「鬼平犯科帳」が大好きだ。
「鬼平犯科帳」の放送が始まったのは1989年7月。当時の父は58歳。その歳で父が鬼平に沼ってしまった。父は放送される毎週水曜日20時までには必ず帰宅し夕食を済ませ、寝室に籠もり必ず視聴していた。当時の私はまだ大学生で、アルバイトや就活で忙しく、父と一緒に鬼平を観ることはなかった。父は鬼平の放送開始の翌々年に定年退職し、同年に私は就職した。退職後も父の鬼平に沼っている状態は続いていて、母は「まったく、鬼平の日は夕飯早く作れとうるさいのよ…」とよくこぼしていた。
一方、就職し実家を離れた私は鬼平どころではなかった。残業もあったし、同僚との飲み会などもあり、かつテレビといえばトレンディ・ドラマやバラエティばかり観ており、鬼平とは全く縁がなかった。
数年後、私は結婚することになり、結納や結婚式の日取りをいろいろと決めていくのだが、父には常に鬼平の放送日が頭の中にあり、結局は父が鬼平をゆっくり観れる日程に落ち着いた。
その後、私達夫婦に子供が3人生まれ、実家とは別の場所に家を新築した。父は孫をとても可愛いがってくれた。いろいろな所に連れて行ってたり、やがて孫たちも大きくなると父母に逢いに実家へ遊びに行くようになった。
まさに孫のための余生。但し、それらは全て「鬼平犯科帳」を除いて…だ。鬼平の放送時間は孫も全て投げ出し鬼平に没頭した。父に「一緒に夕飯に行こうよ」や「誕生会やろうよ」と誘っても「その日は鬼平やるからダメだ」とこうだ。家族みんなが父の鬼平好きは知っていたので、喧嘩になったわけではないが、そこまでして父は鬼平に沼っていたわけである。
月日が経ち、父は80歳を過ぎた。その頃の鬼平はシリーズも終わり、スペシャル版の単発放送に変わった。もちろん父はそのスペシャル版も楽しみにしており、放送日は2時間(スペシャル版は2時間枠)たっぷり楽しんだ。そして2016年で「鬼平犯科帳」の放送は終了した。一方で私は「フジテレビNEXT F1グランプリ」を観るため、2017年からスカパー!に加入した。
2021年11月に中村吉右衛門さんが亡くなられた。父はとてもがっかりしていた。やがて体調を崩し、中村吉右衛門さんの後を追うように、翌年の9月に老衰で他界した。享年92だった。
父を送り、母を引き取り、その後の法要や諸手続きなどを経て、私の部屋に仏壇を置いた。3ヵ月があっという間に過ぎて年を越した。そしてやれやれという気持ちで正月を迎えた。するとスカパー!の「ホームドラマチャンネル」で「鬼平犯科帳第1シリーズ一挙無料放送」があった。まあ父の仏壇も私の部屋にあることだし、供養の気持ちで鬼平を観ることにした。すると「お、おもしろい!」と私も初めて思ってしまった。気がつけば1日中、鬼平を観ていた。
バブル期に就職し「失われた30年」の中で人並みに人生の艱難辛苦を味わって来た私に、中村吉右衛門さん演じる鬼平の言葉が身に沁みた。時代劇と現代に通じるものは「勧善懲悪」「因果応報」だということがわかった。父も人生で色々な辛いことがあったはずだ。きっと同じ想いで観ていたのだろう。
以来、私は「鬼平犯科帳」と「中村吉右衛門」に沼ってしまった。すでに鬼平は全話を観たし、中村吉右衛門さんの「斬捨て御免」や歌舞伎も観るようになった。中村吉右衛門さんのことを知れば知るほど沼るのだ。
果たして中村吉右衛門さんの魅力とは…。それは歌舞伎の鍛錬から生み出された「眼力」だ。普段は優しい眼をされているのに、演技となると鬼平にも弁慶にでもなる。あの「眼力」で台詞を語れば全てが腑に落ちるのだ。
中村吉右衛門さんも相当な苦労があったようだ。芸の道に悩み、酒と精神安定剤を一緒に飲んでいた時期があったという。やがて歌舞伎への功労が評価され人間国宝にまで到った。だから鬼平の台詞が痛快で納得がいくのだ。
今年の正月は「鬼平犯科帳第2シリーズ一挙無料放送」があり録画し保存した。スカパー!の他のチャンネルでもたまに鬼平の無料放送があり重宝している。
「ホームドラマチャンネル」や「時代劇専門チャンネル」などももっと見たいのだが、もう少し経済的なゆとりができたら加入したいと思う。そういえば子供に「最近おじいちゃんに似てきたね。」と言われるようになった。
今年に入り、私は仏壇に手を合わせるときに心の中で語っている。それは…
「父さんは天国にいないでしょう。きっと僕の中にいるでしょ!今年僕は58歳になります…」と。
