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⸻裁判の構造が見えたとき⸻審理は機能していたのか ⸻ 364日
ある時、ひとつの違和感に気づいた。
それは結論ではなく、審理の構造そのものである。
今回の事案では、次の事実が並んでいた。
・長期にわたる反論不在
・争点整理が行われていない
・そのまま棄却
これらは、それぞれ単体では制度上起こり得る。
反論がない事件も存在する。
争点整理が十分に行われないまま手続が進むこともある。
証拠不足によって請求が棄却されることも当然あり得る。
しかし、これらが同時に成立した場合、
それを単なる制度運用として説明することは困難となる。
通常の裁判では、
主張が提示され
↓
それに対する反論が現れ
↓
争点が整理され
↓
その上で判断が示される。
この過程のいずれかが弱い場合でも、
他の要素によって審理の構造は補われる。
しかし本件では、
反論は存在せず、
争点整理も見えず、
そのまま棄却という結論が示された。
この三つが同時に成立したとき、
👉 それは単なる結論の問題ではない。
👉 裁判手続がどの段階で、どのように機能したのか、
その過程自体に疑問が生じる。
⸻
ここで重要なのは、
本稿が
「裁判が間違っている」と断定するものではない
という点である。
ただ、
通常の審理構造から見たとき、
説明が困難な組み合わせが存在している。
そして、その疑問は一つの問いに行き着く。
裁判とは、
事実を審理する制度なのか。
それとも、
手続として処理される制度なのか。
👉 この違いは、裁判という制度の性質そのものに関わる。
