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⸻🔍遺言の陰に隠された“抵当権”──制度が黙認した「見なかったことにされた負債」──159日


2025年、日本の裁判制度はひとつの事実から目を背けた。

それは、「遺言書で贈与された不動産に、すでに抵当権が設定されていた」という構造だ。

しかも、その抵当権の存在は財産目録から“ごっそり抜け落ちていた”。



📜遺言とは「自由」なのか?

確かに、遺言書は個人の自由な意思表示だとされる。
しかし──それは、すべての情報が正確に開示された上での“自由”でなければならない。

祖母が遺した遺言書には、「三男に不動産を与える」と記されていた。
けれど、その不動産にはすでに三男自身が抵当権を設定していた。
その意味するところは単純ではない。

● 他の相続人には一切知らせず、
● 公正証書にすることで内容を絶対化し、
● しかも「財産目録」にすら負債を記載しなかった。

これは、**裁判所が見逃すべきではない“説明義務違反の構造”**だった。



💰抵当権とは何か?──「誰が借り、誰が返すのか」

祖母名義の土地に三男が抵当権を設定していたという事実は、以下のような重い疑義を投げかける。
1. 三男が勝手に借りたのか?
2. 祖母は了承していたのか?
3. 返済は誰が行っていたのか?

もし、祖母が三男の債務を実際に返済していたとすれば、それは「金銭の貸し付け」に近い構造であり、三男に対する求償権が発生する。

ところが──遺言では三男に有利な財産配分がなされていた。

これは「債務免除的贈与」の形をとりながら、他の相続人の遺留分を侵害していた可能性も否定できない。



🧾財産目録に書かれなかった“抵当”──これは過失か、意図か

通常、相続では「財産目録」がすべての出発点になる。
そこに抵当権付きの不動産が記載されていないことは、制度的にはこう解釈されうる:

✅ 相続人を誤認させた可能性
✅ 説明義務違反
✅ 意図的な情報隠蔽による制度の信頼性毀損

しかも、この財産目録は被相続人の死亡翌日に作成されたものであり、
第三者機関である「信託会社」によって作成された。

それでもなお、抵当権は「なかったこと」にされていた。



⚖️ 裁判所は、見たのか・見なかったのか

司法はすでにこの構造を把握していた可能性が高い。
にもかかわらず、第一審では財産目録の正当性に踏み込みすらしなかった。

「遺言書があるから」
「家族間の問題だから」

──そう言って、構造的な疑義をすべて「なかったこと」にした。

だが本質は違う。

これは、「抵当権の陰に隠された相続支配構造」であり、
「遺言の名を借りた不動産の事実上の簒奪」だったのだ。



🗝️ 富国共創と制度整合

この事実は、個人の相続を超えた、制度信頼の根幹に関わる問題である。

いま、日本には「地方創生」という言葉が躍るが、
制度がこの程度の矛盾すら修正できないなら、
“創生”どころか“制度崩壊”が始まっているのではないか?

私たちは今、制度が黙殺してきた「不都合な抵当権」に
真正面から向き合わねばならない。



📘結びに──note連載「制度が応答しなかった日」より

「相続」とは、単なる家族の問題ではない。
それは国家制度の信頼を、最も個人的な現場で試す行為だ。
裁判所がこの構造を見てなお“黙認”するならば、
その沈黙が、制度全体の信頼を失わせる時代に入っている。



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