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⸻「家族間の問題」と言うなら、その財産はどこへ向かうのか。⸻456 日



「家族間の問題」という整理の、その先にあるもの

裁判所は、ときに相続や財産の紛争を

「家族間の問題である。」

と整理する。

しかし、私は今回の事件を通して、一つの疑問を持つようになった。

「家族間の問題」という整理は、何を意味しているのだろうか。

それは、

家族の中で解決を促すための整理なのか。

それとも、

本来検討されるべき事実や制度上の論点に立ち入らないまま、事件を整理するための整理なのか。

私は、その違いを考えるようになった。

もし本当に家族間の問題なのであれば、

なぜ家族は本人と話すことができないのだろうか。

なぜ本人の意思を確認できないのだろうか。

なぜ第三者だけが窓口となり、

家族は状況を知ることすらできないのだろうか。

さらに疑問なのは、

家族間の問題として整理された財産が、

そのまま家族の外へ承継されようとしていることである。

もちろん、

法律は遺言を認めている。

本人が自由な意思で財産を誰に残すかを決めることは尊重されるべきである。

しかし、その前提となるのは、

本人の自由意思が適切な方法によって確認されていることである。

もし本人の意思を家族が確認できず、

第三者だけが本人を支え、

財産管理や判断能力まで問題となっているのであれば、

そこには別の問いが生まれる。

私は、

「家族へ財産を渡せ」

と言いたいのではない。

「第三者へ渡すな」

と言いたいのでもない。

私が問いたいのは、

家族間の問題として整理された以上、

その財産は、

どのような経緯で、

誰の意思に基づき、

家族の外へ承継されようとしているのか。

その過程において、

どのような事実確認が行われ、

どのような法的根拠に基づいて整理されているのか。

その説明が見えないことである。

裁判所が

「家族間の問題」

と整理するのであれば、

その整理に見合うだけの本人確認や意思確認は、

どこで、

誰が、

どのような方法によって行っていたのか。

本人保護が必要な状況であったのであれば、

その制度は適切に検討されていたのか。

そうした点について一定の説明があって初めて、

「家族間の問題」

という整理は、

制度として意味を持つのではないだろうか。

そうでなければ、

家族間の問題と言いながら、

家族は本人と話すこともできず、

本人の意思を確認することもできず、

財産だけが家族の外へ動いていく。

その状態を、

本当に

「家族間の問題」

という一言だけで整理することができるのだろうか。

私は今回の事件を通して、

「家族間の問題」

という言葉は、

単に事件を分類するための言葉ではないと考えるようになった。

それは、

制度がどのような手続を選択し、

誰の意思を確認し、

誰がどのような法的根拠で財産を管理し、

必要であれば本人保護をどのように実現しようとしたのか。

その一連の過程について、

説明責任を伴って初めて成立する整理ではないだろうか。

制度とは、

事件を分類して終わらせるために存在するものではない。

「家族間の問題」

と分類するのであれば、

その分類を支える事実確認と説明責任を最後まで果たさなければならない。

そうして初めて、「家族間の問題」という整理は制度としての整合性を持つのではないだろうか。

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