創作昔話 『人食い鳥のこと』
昔々、とは言っても皆さんのひいおじいさんのそのまたおじいさんが若かった頃のお話です。都から3日ばかりも歩いたところに、人食い鳥が住むという里山がありました。
その鳥は広げれば三尺ほどにもなるという大きな翼を持ち、そればかりか八方睨みのぎょろりとした目と、瑪瑙石によく似た色の嘴と、鉄のように頑丈な鋭い爪も持っていました。
夕方、子供がひとりで歩いていると、後ろから肩をたたく者があります。何かと思って振り返れば人食い鳥がゲッゲッとそれは気味の悪い声で、脅すように鳴いているのだそうです。あっと気づいた時にはもう遅く、がっしり体を掴まれて、子供は空に舞い上がります。そうして攫われてしまったあとは子供は決して帰ってこず、あれは鳥に食べられてしまったのだと村人は口々に噂しました。
そんな恐ろしい人食い鳥ではありますが、それでも弱いところはございました。邪なものの常なのか、神社の鳥居の内には決して入って来なかったのです。どうやらここなら安全らしいと気づいた村人は こぞって鳥居の内に家を立てました。そうして狭い境内で、押し合いへし合い身を寄せ合って暮らしていました。
ある日のこと、人食い鳥の里を旅の法師が通りました。村人は鳥居の内に入るように法師にすすめましたが、法師は神社を断って、朽ちた古寺に宿を取りました。仏様に請願を立てていたので、神様に助けを乞うわけにはいかなかったのです。
さて夕暮れ時、夕餉の支度を始めた法師の耳にばさぁばさぁと風を切る音が聞こえてきました。 振り返ると、果たしてそこには件の怪、人食い鳥が舞い降りるところでした。法師は思わず怯みましたがすぐに気を取り直し、独鈷をしっかりと握って鳥に話しかけました。
「こんばんは、いい夜だな」
「こんばんは、いい夜だな」
鳥はそっくりそのまま返してきます。
ふうむ、と唸って法師は鳥を眺めました。確かに大きく恐ろしい姿をしています。しかし八方睨みのその目には、どことなく心のようなものが感じられました。
「人食い鳥というのはお前かね」
法師はためしに尋ねました。鳥は大きく頭を振って。
「いえいえ人など口にしたことはありません。あたしのこの姿を見て、誰かがそう名付けただけなのでございましょう。人食いなど、ほんとうに身に覚えのないことでございます」
いかにも哀れな声色で、鳥は言いました。どうにも嘘とは思われず、法師は重ねて尋ねました。
「では、子供を攫ったというのは真かね」
「いいえ、決して。川に落ちかけたのを帯を引いて岸に戻したことはございますが、攫うなどとは滅相もない」
「では、なぜ神社を避けている」
「そこはそれ、お坊様と同じ理由でございます」
「なに?仏の道に帰依するか」
そう尋ねると鳥はほろほろと大粒の涙を流しました。 「こんな姿である限り、あたしは人には信じてもらえません。いっそ仏門に入り、衆生のために働きたく思います。そうでもなければ極楽浄土に参ることはかないません」
法師は考え込みました。鳥の言うことが本当なら、生まれた姿のせいで疎まれるとはまことに哀れな話です。しかし嘘であるならば、背中を見せたが最後、ぱくりとやられてしまうかもしれません。
少しの思案の末、そうだ、と思いついて法師は手を打ちました。矢立を取り出し、おもむろにひとつの書付をしたためます。
このとき、法師は書付にそっと、不動様の御真言を添えました。御真言には魔除けの力がございます。悪鬼を諌める不動様なら、真偽を見極めてくれようと考えたのです。
「お前の言うことはあいわかった。その上でここに書付を用意した。これをもって西に三十里も行ったところにある修行場を訪ねなさい。腰衣姿の小僧がたくさんおるからすぐにわかろう。私の縁の寺だ。きっと良くしてくれるだろう」
鳥は畏まって書付を受け取りました。御真言を受けても変わった様子はありません。それで法師は鳥が真の心を持っていることを知りました。
「気をつけてゆくのだぞ。そのように哀れな姿でも真面目に尽くせば極楽浄土の道は拓かれよう」
鳥は何度も礼を言いながら、夕闇の中へ飛び去ってゆきました。
あくる朝、法師は村に赴き、鳥のことを聞いて周りました。するとどうでしょう。攫われたという子供がどこの誰なのか、知っている者はいなかったのです。元を正せばなんのことはなく、ただただ遊びが過ぎて帰りが遅くなった子供らを戒めるために誰かが始めた作り話に、尾ひれがついただけのことでございました。人食い鳥、いや唯の鳥にしてみればまったくひどいとばっちりなのでした。
せめて、と法師は村人を集め、仏門に入りたいという鳥のりっぱな志を説きました。もちろん信じぬ者もありましたが、それは悪いことをしたものだと涙を流す者もおりました。以来、この村ではあやまちを忘れぬように、古寺を直して塚を立て、鳥が望みどおりに極楽浄土に迎えられるよう、朝な夕なに仏様に願ったといいます。
このように、見かけをたよりに善悪を判じることは、まことによくありません。そしてあやまちに気づいた時には素直に詫びる心ばえが大事なのでございます。
今は昔、西国でのお話でした。
