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【第7回】BESSの家と13年「北海道に移住するきっかけ」

私は仙台で結婚し、念願のマイホームを建て、子育てに仕事にと忙しくも安定した日々を過ごしていました。
「このまま一生、仙台で暮らしていく」――そう信じて疑わなかった私たち家族に、転機が訪れたのは2019年のことです。

家族旅行で訪れた鹿追町・然別湖。
そこで出会ったネイチャーセンターの職員さんから「自然体験留学」という制度を教えていただいたのです。

そのとき娘は小学校6年生。
地元の中学に進むつもりでいた彼女の前に、まったく新しい道が現れました。


◆ 「普通」って何だろう?

私たち夫婦は、“普通”という言葉にずっと違和感を抱いていました。
普通の中学に進み、普通に高校・大学・就職へと進む――。
果たしてそれは「自分の人生」なのか。

学校も「教科書にあることを覚えれば頭が良くなる」という前提に立っています。
でも、子どもは生まれながらに個性豊かで、たくさんの才能を持っているはず。
平均化する教育に、どこか疑問が拭えませんでした。


◆ 自然と社会と、これからの幸せ

日本はすでに十分に便利で、安全で、暮らしやすい国です。
それでも都会では、若者の自殺率の高さ、将来への不安、同調圧力による息苦しさが目立ちます。

これ以上“自然から離れる”ことに幸せはあるのだろうか?
私たちはむしろ、自然の循環にもう一度戻るべきだと感じていました。

子どもたちが思い切り遊ぶ中で、自由な発想や知恵を育み、
「大好きな遊びがそのまま仕事になる」――そんな社会が、本当の豊かさではないかと。

娘の名前にも、自然との調和への願いを込めています。
でも、押し付けることはしませんでした。
資料をそっとリビングに置き、期限だけを伝え、あとは本人の決断を待ちました。


◆ 小6の決断

娘は最後の最後まで悩みました。
友達と一緒に地元の中学へ進む日常と、親元を離れて知らない土地で暮らす非日常。
その狭間で心はシーソーのように揺れ続けていました。

不安も大きかったでしょう。
けれども最後に彼女は、山村留学を選びました。
まだまだ甘えたい年頃に、自分で勇気を出して決断した姿は、本当に尊敬に値します。

父親としては……正直、寂しかった。
かわいい娘が翌年から家にいなくなる。
そう考えるだけで、胸がぎゅっと締め付けられる思いでした。


◆ コロナ禍のスタート

決断して受け入れが決まった矢先、世の中に「新型コロナウイルス」が広がりました。
そして国内では、ダイヤモンド・プリンセス号の来航により一気にリスクがが膨れ上がり、ついに北海道で感染拡大が広がった。
2020年4月――世界が分断と不安に包まれる中で、娘は北海道での寮生活を始めることになったのです。

都会から来た私たちを温かく迎えてくれた鹿追町の人々。
大自然に囲まれたこの町の人の心は、本当に広くて、深くて、温かい。
「ここなら大丈夫」
都会の学校に通うより、よほど自由に子どもらしく過ごせると確信しました。


◆ 瓜幕という町との出会い

愛情をたっぷり受け取った子どもたちが羽ばたく場所として、私たちが選んだのは瓜幕。
留学センターの職員、学校の先生、地域の方々……みんなが笑顔で子どもと関わり、**「子どもと一緒に笑う大人」**がたくさんいる町でした。

センターでは学年を超えて子どもたちが関わり合い、プロジェクトに挑みます。
畑づくり、川釣り、筏で川下り、サマーキャンプ……。
そのたびに話し合いが行われ、自分の意見を言い、相手の意見を聞き、決めていく。
そこに学年も上下関係もなく、ただ“人と人”の関わりがありました。

学校でも、人数が少ないからこそ 役割 が次々に回ってきます。
都会では誰かの後ろに隠れてしまうことも、ここでは一人ひとりが自然と取り組む事になる。
その経験が視野を広げ、発想や自信につながっていくのです。


◆ 子どもの幸せから始まる未来

これからの時代、同じことを繰り返すのはAIやロボットに任せればいい。
子どもたちに必要なのは、感受性を豊かに育て、個性を生かし、自由な発想と創造力で未来をつないでいく力です。

『世の中を良くするには、まず子どもを幸せにすることである』
――教育者 A.S.ニイルの言葉。
映画『夢見る小学校』で出会ったこの言葉が、私たちの思いを代弁してくれています。


👉 次回は「移住を本格的に決めた理由』へ続きます。


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