【第0回】震災と「BESSの家」
2011年3月11日。
東日本大震災が、私たちの暮らしを根底から揺さぶりました。
当時は妻と、2歳と0歳の子どもと4人暮らし。
スーパーが近く子育てには”便利”な、市街のアパートに住んでいました。
長く、大きな揺れ――
その日までの“当たり前”は、音を立てて崩れ落ちたのです。
あの瞬間、家の中はまるで荒れた海を漂う大型船のよう。
机の上も、棚の上も、
日常の中でそこにあるのが”当たり前”だったものたちが、
一斉に重力を失ったかのように飛び出し、砕け散りました。
床に激しく叩きつけられて原型を失い、破片となって四方に散らばる。
片付けよう
元の”当たり前”に戻そう・・・
そんな想は
遠くから近づいてくる次の波に掻き消され
どうすればいいのか分からず、
ただ過ぎ去るのを待つばかり
あのときの無力感、
家の中なのに安心できる場所がないという憤り。
それは、心のどこかに深く刻まれたまま、今も残っています。
余震の感覚が広がり、平静を取り戻す。
飛び散った食器の破片を片付けてはみるが
薄暗い部屋での手作業
カーペットの隙間に入り込んだ破片を取り除くのに手間取る。
ハイハイする息子の横に、取り損ねたガラス片を見つけては
ヒヤリする事が何度もありました。
そして、つくづく──
子供達がリビングの棚の前にいるタイミングでなかった事に、感謝しました。
夜になり、部屋だけではなく町全体が真っ暗に。
不安ばかりが立ち込めていた心に
そっと映し出された満点の星空
息をのむほど美しかった。
電気も音もない、真っ暗な世界の中で輝く星たち。
「人間がつくってきた“当たり前”って、
こんなにも脆いものなんだな」
そんな事をつくづく思いながら、家族四人で眠りについた事を
今でも覚えています。
電気が止まれば冷蔵庫はただの箱
賞味期限や状態を確認しながら、食べられそうなものを探す。
でも、0歳と2歳の子どもがそのまま食べられるものなんて、
殆どないんです。
小さなベランダに出て、七輪に火をつける。
土鍋でご飯を炊き、冷凍の肉や魚を焼く。
煙と火の粉を気にしながらの手探り料理。
腹が満たされ一息つくも
”水が出ない”
カピカピ、ヌメヌメのお皿や調理器具を眺めながら
不自由に嫌気がさす
そして食べれば、トイレがしたくなるのだが
”水が出ない”
近所のスーパーも同じであり
避難所トイレは長蛇の列
”水が出ない”───
致命的である
子供を抱えたまま、“今”をしのぐことすら出来ない
幸いにして、少し離れた場所に住む母の家では、
比較的早く電気と水道が復旧。
私たちは家族4人で母の元へ避難しました。
明るい部屋で”水が出る”――
そのことが、どれほど安心できることだったか。
衣装ケースにぬるま湯を張って、
子どもたちの体を丁寧に洗った時、
“ただの生活”がどれほど有難いものか、心から実感しました。
子どもたちはまるでおばあちゃん家に泊まりに来たような気分で、
楽しそうにしていたけれど、
私たち夫婦の胸の中には、消えない何かが残ったままでした。
やがてインフラは戻り、
暮らしは少しずつ”当たり前”に戻ってきました。
でも――
私たちの心の中は、もう”当たり前”には戻れませんでした。
この経験がきっかけで、
私は“暮らし方”そのものを、考え直すようになったのです。
便利って、
実はとても特殊な状態に成り立つ、不安定なモノなのです。
スイッチひとつで明かりが灯り、
蛇口をひねれば水が出る。
それが止まるだけで、崩れる世界。
だからこそ思ったのです。
「依存ではなく、“自立”できる暮らしがしたい」
「自然に寄り添いながら、暮らしをつくっていきたい」
そして、子どもたちに、
「そういう暮らしが“当たり前”という経験をさせたい」
そんな想いを抱えていた時に出会ったのが「程々の家」だったのです。
無垢の木のぬくもりがやさしくて、
家中が木の香りに包まれて、
裸足で過ごしたくなる温もり。
選んだ土地は森の近く
小動物が住み、虫が飛び、自然がある。
森は夏の厳しさを和らげ、冬の雪化粧で心を温めてくれる。
もちろん電気とガスは分け、薪ストーブを導入。
広い土地には畑も作れて
食べもののありがたさを、子どもと一緒に学ぶ
とは言え、子供の通学や仕事の通勤も大切
都会過ぎず、田舎過ぎない
便利すぎず、不便すぎない。
自然と人、暮らしと命の“ちょうどいい距離”を感じられる。
それが、私達の「程々の家」でした。
子育てにちょうどいい家って、
最新設備や広い間取りだけでは決まらない。
近年の流行りは、オール電化でクロス張りのピカピカな家
24時間換気が施され、年中過ごしやすい
でもね、電気が止まる事を想定してみて欲しい
あっという間に湿度が溜まり壁は水滴だらけ。
カビが広がり、アレルゲン物質が舞う。
高気密高断熱だから、自然換気では間に合わず
もちろん灯油ストーブを使う事も出来ない
場合によっては、トレイの水も出ない可能性があります。
何かあった時に、
「この家なら、家族を守れる」
それが、”本当の家”なんじゃないかと思うのです。
これが、私たちの「暮らし」の原点
いや、正確には”分岐点”ですね。
これは、すでに投稿してる”BESSの家”の始まりのお話。
