そうして、誰かの一冊に。
丸太のような太い脚がゆさゆさと雪をかきわけて進む。外国産の馬と比べると子馬かと思うほど小柄なのに、成人男子を一人乗せ、雪をものともせず軽がると歩みを進めるのはさすが道産子だと思わせた。時々小雪がちらつくぼんやりと薄いグレーの空と、ぐるりと見渡しても山はなく、民家も遠く雪に覆われたどこまでも平らの大地は、空と大地の境目がないライトグレーの世界を形作っており、自分が別世界にいる気分にさせられた。広い牧場の脇には道路があるはずなのに車も通らない。札幌からそれほど離れていないはずだと首をかしげながらも僕は二頭の馬と二人の人間だけの音のない世界に呆然と、しばらくして恍惚とした気分になった。
友人の訃報を聞いたのは昨年の秋の事で、翌年の三月、僕は彼の故郷である北海道にいた。
友人とは京都にある社会人向けの英会話サークルで出会った。当時京都に住み英語教師をしていた彼は博識で、常に笑顔を絶やさず相手の年齢やステータスで態度を変えない人だったので老若男女問わず人気があった。友人になりたいと思いつつ、いつも人に取り囲まれていて近づけないほどだったが、サークルの運営スタッフを一緒にした事が縁で話をするようになり、趣味や価値観が似ていると分かってやがて行動を共にするほど仲良くなった。年齢は彼が八つほど年上だったが歳の差を感じさせないほど気は合った。人として、同性として社会人として彼は尊敬できる人で、彼を友人に持っている事は大きな誇りだった。
ある時友人が本を貸してくれた。彼が住むマンションでどうすれば英語が上達するかと言う英語学習者の間で何度も繰り返される議論中に、彼がペーパーブックを読む事が上達に繋がると言い、比較的簡単な英語だからと一冊本棚から引っ張り出してきた。タイトルも作者も聞いた事がないがお気に入りの本だと言う。
後ろを見なよと言うので裏表紙をめくると、何行かに渡って文字が書いてある。なんだと思う?と友人にいたずらっぽく聞かれ、文字を何度も目で追ったがEngland→から始まり次はSpain→U.S.A→Mexicoとあるかと思えばいきなりSwedenと書いてあり規則性がない。しりとりではない事はわかるがいたずら書きにしても筆跡が全てばらばらで僕はすぐに降参を申し出た。
「想像だけどこの本は国を移動してるんじゃないかと思う」弾んだ声で彼が言う。海外では旅先で知り合った旅行者同士が読み終わった本を交換し合ったり、宿で持ち出し無料の本をもらう代わりに自分の持っていた本を置いていく事などがよくあるらしい。そうやって渡った本を新しく手にした旅行者が、その本を連れて行った旅先を書いているのではないかと言うのだ。友人は旅先の香港の古本屋で偶然この本を手に取り、裏の落書きに夢を感じて購入したらしい。確かに一番最後は友人の文字で「→China」と書いてある。そこまで上手い話があるかなと正直疑ったが、友人の嬉しそうな顔を見て余計な事を言うのはやめた。思えば、あれが蜜月だった。
数年後の冬に乾いた咳を友人がし始め、風邪には気をつけないとなと言い合ううちに春が過ぎて夏が来、サークルを友人がよく休み始め、たまに出席してもまだ咳をしている事を不振に思い始めた頃、突然彼から癌になった事をメールで告げられた。嫌な予感がして彼の家へ行くと、昔手術した肺癌が再発した事、やりがいだと言っていた英語教師も辞め通院しながら自宅療養に専念すると静かな表情で言われ、彼の寿命は長くないと直感した。
それから二年間がん治療を続け、彼は一時は快復したように見えたが再び体調を崩し、三年目にはマンションを引き払って実家のある北海道へ転院した。
気付くと僕が乗っている白い道産子が首を上下に激しく振りながら歩いている。別の道産子に乗り先導する友人の兄に、ずっと首を振っているが何か問題があるのかと聞くと、手綱を強く引きすぎていると言われた。しかしゆるめると馬は自由だとばかりに途端に駆け足になって走り出そうとする。振り落とされそうになり慌てて手綱を引くとしぶしぶ歩き出すが首は不満げに上下に揺れたままだ。なめられている、と苦笑した。
まだ雪深い三月の時期をなぜ選んだのかと言えば、単純に会社を休めるのがこの時期しかなかった事とホテルや飛行機代が安かったからだ。旅行や出張の折に焼香をしに寄ってくれる関西時代の友達は多いと、電話をした時に友人の母親は言っていた。その後友人の実家に着くと彼の兄が出てきて、申し訳ないが先の弔問客がいるので良ければ乗馬をしていかないかと言ってきたのだった。生前の友人の話から、彼の実家が牧場を営んでいる事、十数頭道産子を飼っている事、観光客向けに乗馬体験をしている事は知っていた。
そうして僕は今、雪一面に覆われ境目がなくなった、どこまでが彼らの牧場なのか分からない広大な土地の中を道産子に乗ってしずしずと歩いている。
時々こちらに気を使ってぽつぽつと話しかけてくる友人の兄を見た。初めて会った兄は友人に似ているようにも似ていないようにも見えた。しかし彼の声は、何気ない相槌やふとした瞬間にぎくりとするほど友人に似ていてその度に心がざわりとかき乱された。乗馬をして少し気分転換ができた感情が再びじわじわと不安なものへと傾いていく。
友人の遺影を前にした時に強い後悔と共に泣き伏さない自信がなかったのだ。
友人が北海道へ帰ってからは彼と僕はずっとメールで連絡を取り合っていた。癌の事や治療の事はわざと触れなかったが、彼からの返信がだんだん間が開いてきて、友人の状態がきついものであるのだろうと思い、メールの頻度は控えるようにしていた。
ある時自分が送ったメールに対して友人からの返信が途絶えた事があった。たった一週間だったが、この頃は自分も神経が過敏になり彼がいつ倒れてもおかしくないと思い込むようになっていた。そうして八日目に、返事がないので心配している事、体調不良ならゆっくりでいいがまた返事が欲しい旨を押し付けがましくならないよう言葉は慎重に選んでメールした。しかしそのメールは友人の逆鱗に触れた。彼も病魔と闘い疲れ切っていた時だったのだろう。温厚な彼が僕の短慮を攻め立てるメールを送ってきた。その時気付かされたのだ。絶対に自分はするまいと思っていた過ちを犯してしまった事に。
友人から癌だと告げられてから間もなかったある時、かなり個人的な話、お互いの恋愛遍歴や恋人の話をした事があった。その時に彼が最近別れた恋人の話をした。彼が癌だと告げた時、恋人はあれこれと世話をやいた。癌について徹底的に調べ、これで癌が治ったと言う食事療法を始め様々な本や、無農薬野菜がいいらしいと大量の野菜や玄米を送ってきた事もある。週末は泊り込んで抗がん剤の副作用で辛い彼を看病もした。励ましや助言、安否確認のメールや電話も頻繁にあった。
「彼女はいい人だし実際献身的に尽くしてくれたけれど辛かった」と友人はつぶやいた。恋人の自分に対する看病が、患者本人のためにする看病ではなく、彼女が安心したいためにする看病だというのが透けて見えたのだと。彼は度々そこまでしなくていいと伝えても、「あなたのためだから」と彼女は譲らなかったと言う。「あれは僕のためじゃなく彼女のためだった」とさびしそうに彼は言った。
それを聞いた時僕は彼の気持ちに同調し、彼女のような事はしない、自分がする筈がないと心の中でひそかに思っていたのに。
病気で動くことも辛い相手の事を考慮して連絡を取らない事もまた思いやりだ。結局君は僕の心配よりも君自身が心配なのだ。自分が不安でしかたなくて、自分が安心したいだけなのだ。君は彼女と同じ事をしたと、そういう趣旨の事が書かれていた。人間図星をさされると激怒すると言う。すぐにメールで謝罪し反省としてしばらく連絡はしないし会わないと形だけは殊勝な文章を送り、友人からも理解してくれてありがとうとすぐに返信は来たものの、実のところ僕の腸は煮えくり返っていた。死に行く人に嫌な思い出を与えたくないと耐えたが、反論したくてたまらなかった。自分の厚意を批判されこんなに心配しているのにどうして説教されなければいけないのか理解不能だった。
「思いやり」と「自分が安心したい」の間。痛烈な批判で最後の人生勉強を教えてくれた事を肯定できないまま、僕は意地もあり二度と彼にメールをする事はなかった。彼からも連絡は途絶えた。それから半年後に、共通の知人から彼が亡くなった事を知らされた。享年四十五歳だった。
僕は過ちを二つ犯したのだ。思いやりのはき違いと、その後二度と彼と連絡を取らなかった事。友人が亡くなったと聞いた時、すぐに行かなかったのは距離もあったが後悔の気持ちが強すぎて動けなかったのだ。
先の弔問客が帰り、僕の知らない健康的な顔色とふっくらとした顔立ちの友人の遺影の前に座った僕は、すまなかったと心の中で何度も詫びた。しかしそれでも苦しさは取れず、その場にいた彼の母親と兄とでしばらく友人の思い出話をし、母親が退出した後で友人の兄に洗いざらい打ち明け「彼に誤解されたままだったかもしれない」と頭をたれた。
「だいじょうぶです。わかっていますよ」
友人の兄が、思わず僕が顔を上げるほど友人とそっくりな声で言った時、限界だった。
僕は声を上げて泣いた。友人の兄も泣いていた。
目が腫れるほど泣き友人の家を辞去した。返すつもりで持参していた友人の本は結局渡さなかった。
もう動けない彼のためにふと連れて行ってあげようと思ったのだ。遠くへ、できるだけ遠くへ。
いつか彼が好きだったスイスへ行こう。そこで旅行者にこの本を渡そう。
誰かに読まれ、あるいは連れられて彼の本はこの青空の下を行くだろう。そうして別の誰かの手に渡り、様々な国の空を見るのだろう。
僕は帰りの電車の中で、本の裏表紙をめくり彼の文字の隣に「JAPAN→」と書き加えた。
了
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