LE SSERAFIMの新曲「CELEBRATION」が意味する「祝い」とはなにか?を考えていたら昔よく通った池袋駅前に深夜出ていた屋台のラーメンの味を思い出してノスタルジックな気分になった件
2026年4月の深夜。部屋は空気清浄機が微かに唸るだけの、まるで無菌室のような静けさだ。私は耳の穴にぴったりと収まった最新のワイヤレスイヤホンをタップし、LE SSERAFIMの新曲『CELEBRATION』を再生した。
なぜ深夜にK-POPなのかって? まあ、深い理由なんてない。ただ、静寂というやつが時としてひどく耳障りに感じられる夜がある、というだけのことだ(老化現象の一種かもしれないが)。
しかし、イントロが流れた瞬間、私の脳内シナプスは妙なバグを起こしたのである。
鼓膜を叩いたのは、1980年代を席巻したYamaha DX7系を彷彿とさせる、あの特有の硬質なアナログ・シンセのベル音だった。そこに現代的な、腹の底に響くような重厚なサブベースがレイヤーされている。この特定の周波数の組み合わせが、まるで精巧なピッキングツールのように、私の脳の奥底に施錠されていた記憶の扉をこじ開けたのだ。
脳神経学的に言えば、プルースト効果の聴覚版とでも呼ぶべき「周波数のシンクロニシティ」である。
気づけば、2026年の無菌室にいるはずの私の鼻腔に、むせ返るような排気ガスの匂いが漂っていた。そして頬には、湿り気を帯びた春の夜風の冷たさが、確かな感触としてフラッシュバックしたのである。まるでVRゴーグルを無理やり被せられたかのように。それは間違いなく40年前――1986年の空気の震えだった。
1986年。男女雇用機会均等法が施行され、日本中が「もっと上へ、もっと豊かに」という上昇志向の熱病にうなされかけていた、バブル前夜である。
当時19歳の大学生だった私は、学費と日々の生活費(大半は酒代とバイクのガソリン代に消えていたが)を稼ぐため、新宿・歌舞伎町のスナックで深夜のアルバイトに精を出していた。
そこは、夜な夜な他人の欲望と虚栄が交錯する、吹き溜まりのような場所だった。私は、酔客の理不尽な要求や愚痴に対して、決して剥がれることのない「接客用の笑顔」という仮面を貼り付け続けていた。
今にして思えば、あれは立派な「感情労働」だった。自分の本心を殺し、他人の欲望の形に合わせて自らの感情を鋳型に流し込む、なんとも馬鹿げた作業。毎晩毎晩、記号としての自分を演じ続けることで、私の内面はまるで安物のタイヤみたいに確実に摩耗していったのだ。
イヤホンから流れるLE SSERAFIMの歌声を引き合いに出すのもおこがましいが(世界的なトップアイドルと歌舞伎町で働くチンピラ大学生を比べるな、というツッコミは甘んじて受ける)、彼女たちがデビュー以来掲げてきた「FEARLESS(無敵)」というブランドコンセプトは、当時の私が歌舞伎町という過酷な都市のジャングルで生き抜くためにまとっていた「武装」であり「鎧」と同じだったのではないかと思う。
弱みを見せれば食い物にされる。だから、隙のない完璧な仮面を被る。社会が求める(そして歌舞伎町の深夜スナックにやってくる客が求める)「無敵で物わかりの良い若者」を演じることの緊張と重圧は、トップアイドルだろうと、80年代のチンケな大学生だろうと、根底にある息苦しさは案外似たようなものなのだ。
深夜のバイト明け。午前2時の歌舞伎町は、這いずり回るような疲労感を抱えた私にとって、もはや一秒たりとも留まりたくない場所だった。
私は仕事終わりのママや店の女の子たちからの「ご飯食べに行こうよ」というお誘いを笑顔で断り、そそくさとさよならの挨拶を交わして店を出て、裏路地に停めてあった愛車、ヤマハ・SR400の重いキックペダルを、親の仇のように力任せに蹴り下ろした(こいつがまた、機嫌が悪いとなかなかエンジンがかからない厄介な代物だった)。
エンジンが目覚めると同時に、単気筒特有の「ドッドッドッ」という骨伝導めいた低い振動が、シート越しに全身へと伝わってくる。不思議なことに、そのSR400の振動(パルス)は、今まさに私の耳元で鳴っている『CELEBRATION』の四つ打ちのキック(バスドラム)の一定のビートと、狂いなくシンクロしていたのである。
私はクラッチを繋ぎ、明治通りを北へと急いだ。
欲望の権化のような不夜城・新宿から逃れるように。目指すは、ハイカルチャーと土着的な生活の匂いと別の種類の欲望が奇妙に混在する街、池袋だ。
春の夜風は冷たく、容赦なくライダースジャケットの隙間から入り込んでくる。だが、それが心地よかった。風圧に顔を歪める間だけは、あの作り物の笑顔を忘れることができたからだ。
やがて、暗闇の先に煌々と輝く西武百貨店の巨大な建物が見えてくる。それは当時の最先端たるセゾン文化の象徴であり、私にとっては都会の夜にそびえ立つ、資本主義の「セゾンの城壁」であった。私はそのピカピカの城壁の足元に広がる、名もなきサードプレイスへとバイクを滑り込ませた。
池袋駅東口、グリーン大通りの一角。深夜2時過ぎの街灯の下に、それはあった。
赤い提灯と、薄暗い裸電球。古びた木造のリヤカーからもうもうと湯気を上げる、ラーメンの屋台である。
私はバイクのエンジンを切り、ヘルメットを脱いでパイプ椅子に腰を下ろした。隣には、夜勤明けらしい作業着の男や、くたびれたスーツ姿のサラリーマンや、仕事帰りのホステスが、無言で肩を並べている。ここには「接客用の笑顔」も、虚勢を張るための「鎧」も必要なかった。ただの疲労しきった動物として、匿名性の海に身を委ねられる心地よさがあったのである。
「お待ち」
無愛想な親父が差し出したラーメンの丼を受け取る。バイクの振動でひどく悴んだ指先に、陶器越しの熱がじんわりと伝わってくる。
スープを一口啜る。鶏ガラ醤油のチープな味わいと、舌を直接殴りつけるような化学調味料の暴力的な刺激。だが、それがいい。すり減った脳髄と冷え切った内臓に、その「化学調味料の祝祭」とでも呼ぶべきジャンクな旨味が、劇薬のように染み渡っていくのだ。
イヤホンの中の『CELEBRATION』はサビのクライマックスに差し掛かっていた。
彼女たちは歌う。完璧な無敵の仮面を脱ぎ捨て、傷ついた素手(scarred hands)を隠すことなく晒しながら。歌詞にある「painful time that bloomed into faith(苦しみが信頼に咲いた)」というフレーズが、私の脳内で、あの夜のラーメンの湯気と見事にオーバーラップしたのである。
彼女たちが提示した「FEARLESS 2.0」――つまり、自らの脆弱性を認め、傷跡を肯定する勇気。それは、当時の私が屋台の片隅で、無防備にラーメンのジャンクなスープを飲み干していた姿そのものではなかったか。
この一杯は、決して贅沢な美食ではない。成功に対する華々しい祝杯でもない。今日というろくでもない、しかし過酷な一日をなんとか生き延び、こうして温かいものを腹に入れている自分自身への、切実な生存確認。それこそが、究極の「CELEBRATION(祝祭)」の儀式だったのだ。
それにしても、時代というやつは皮肉なものである。
1986年の私たちが抱えていたのは、「果てしなく上昇し続ける社会から、自分だけが振り落とされるのではないか」という恐怖――いわば「インフレ的焦燥」であった。
対して、2026年を生きる現代の若者たち(そしてすっかりジジイになった私)を覆っているのは、「正解が完全に消滅し、停滞して沈みゆく世界の中で、自分自身を見失ってしまうのではないか」という恐怖――すなわち「デフレ的焦燥」である。
不安のベクトルは真逆だ。しかし、「不確実性」という得体の知れない怪物の前に立たされ、足がすくんでいるという本質においては、なんの変わりもないのである。
だからこそ、LE SSERAFIMが楽曲の中で呼びかける「Sisters」という言葉は、単なる女性同士の連帯という意味を超えて響く。それは、性別や世代の壁すらも飛び越えた、孤独を抱えながらも今日という日を這いつくばって生き延びる、すべての者たちへの連帯の証なのだ。
私たちは、何か偉大なことを成し遂げたから祝うのではない。この理不尽で不確実な世界において、ただ息をし、存在している。そのこと自体がすでに奇跡であり、盛大に祝われるべきことなのである。
楽曲が突然カットアウトし、私は再び2026年の、無菌室のような自室へと帰還した。
鼓膜を叩いていたビートは消え去った。しかし、口の中には微かにあの夜の暴力的なスープの熱が残り、掌にはSR400の無骨な振動の残滓が確かに刻み込まれている。ただのノスタルジーではない。過去の私が、今の私を力強く励ましているような、そんな不思議な感覚だった。
「It’s time to say goodbye to when I was fearless」
楽曲の中で彼女たちが宣言したこの言葉を、私は声に出して呟いてみた。
そう、もう無敵である必要なんてないのだ。傷だらけの手のひらを隠さず、不格好に生き延びてきた40年前の自分、そして今の自分に対して、私は「よくやった」と静かな肯定を与えたい。
あの夜の屋台の熱と、今を生きる彼女たちの歌声を胸の奥にしまい込みながら、私は永遠の現在地とも言えるこの場所で、小さく息を吐いた。
さあ、次の不確実な一日を始めようじゃないか。
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