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番外編・栃木県 日光東照宮

日光東照宮に行く機会を得ました。
ここに来るのは小学校5年生の遠足以来です。(私は栃木県出身)
当時は、陽明門=ひぐらし門、猿や猫の彫刻がある場所、徳川家康のお墓があるんだなくらいの認識でした。

東京時層地図や大江戸今昔めぐりで見ていると、江戸は徳川家康の入府以降に大規模な土木開発が行われ、外堀や水路といった都市構造はこのときに設計されたことがわかります。

そう考えると、徳川家康を祀るこの日光東照宮は単なる観光地ではありませんね。

その墓所を訪れるという行為は、東京の始祖に触れる旅になりますね。

ということで、写真付きでいこうと思います。

日光東照宮について・・・

家康は1616年に亡くなり、当初は久能山に葬られましたが、
翌1617年に日光へ改葬され、東照大権現として祀られました。
創建は2代将軍・徳川秀忠の時代ですが、現在のような豪華な姿になったのは、1636年に3代将軍・徳川家光が行った大規模な造営によるものです。

この工事には全国の大名が動員され、幕府の権力を象徴する事業でもありました。極彩色の社殿や精緻な彫刻は、信仰の対象であると同時に、権威を視覚的に示す役割を担っていました。

また、日光という立地も、江戸の北を守る位置として選ばれたとする説が一般的に知られています。

まあよくこんな山奥に造ったなというのが単純な感想です。

いまは高速道路でぴゅーっといけますが、僕の子供の頃は渋滞しまくりの日光街道を通らないといけない場所でした。江戸時代なら一生に一度いけるかどうかの距離ではないでしょうか。
当時の人は超健脚だから案外近いっていう感じだったかもしれません。

ではでは写真でみていきましょう

東照宮 葵の御門が光り輝いています。
左側の建物は御朱印などを扱っています。東照宮という名称から神社なのかなと思っていましたが、鳴竜のところでお墓だから拍手はしないでといわれましたが、僕は家康の墓の前で二礼二拍手一礼してしまいました・・・東照大権現は神様だけど、墓はちがうのかな。
この石鳥居は黒田長政が贈ったもので重要文化財 もうこの鳥居だけで400年前のものなんですね 東日本大震災でよく崩れなかったですね。それだけ地盤が頑健だということだとおもいます。
読める場所だと東照大権現石鳥居筑前国石造と彫られていました 筑前国の初代藩主が黒田長政です。
娘がガチャガチャで当たった五重塔のキーホルダーと。五重塔は地震による倒壊例が少ないそうで、それは心柱が宙ぶらりんになっているからだそうです。(何言っているかわからないとおもいますが・・・)
入館料1600円となかなかです。
仁王像は大分劣化しています。そろそろ塗り替え時期なのでしょうか。文化財って塗りなおしは基本的にはNGみたいですけれど、東照宮は陽明門筆頭に修繕が定期的におこなわれているのでこちらも行われることでしょう。
江戸時代初期のものだそうです。明治の神仏分離によって移動されていましたが、後に戻ってきました。
2017年に塗りなおされた 聞かザル 言わザル 見ザル (左から見たままで)40年ぶりに塗りなおされたそうで、塗りなおすたびに顔が変わるそうですが、多少はしょうがないんじゃないかなとおもいます。こちらの原典は論語の非礼勿視・非礼勿聴・非礼勿言・非礼勿動からきており、非礼=道徳に反するものは見ない、聞かない、言わない、ということで、とくに幼少期の教育のことをさしているのだそうです。倫理的に正しいものを選び取る自己統制が大切なんだということのようです。倫理的にっていうと人との関係を保つためのルールということになりますが、幼少期のみならず、大人にも言えますね。

三猿の他にも猿はいました 由縁はまだ調べていないので、調べたら書き足します。動画の画像なのと、ほとんど気に留めていなかったので画質は荒いです?

三猿の向かって左
三猿の向かって右1番目
三猿の向かって右2番目
三猿の向かって右3番目
こちらが陽明門となります。別名ひぐらしもんです。極彩色の彩色と彫刻が施されています。
陽明門は508体の彫刻で覆われており、いつまでみていてもあきないことから「ひぐらしの門」とよばれる。軒下には後水尾天皇の扁額がかかげられる。麒麟、龍、唐獅子の知恵遊び、君子の姿などの彫刻があり、背面の逆さ柱は物事が完璧だとかえって魔が差すから故意に形を崩したもの。国宝です。
陽明門もさることながらこちらの塀もすごいんですよね。こちらも国宝です。
ビカビカで圧巻です。
改めてみると情報量が多すぎて混乱します。
この柱が逆さ柱ということのようなのですが・・・なんだかよくわかりませんでした。
こちらが眠り猫 家康墓のある奥宮にいくまでの坂下門の手前の通路にあります。裏にスズメの彫刻があり猫とスズメが一緒にいるようすから天下泰平を表しているのだとか。正直思った以上に小さい彫刻なのでインパクトはあまりないです。
200段以上の急な階段を上って奥宮に到着しました。
こちらが東照宮350年祭を機会に昭和40年から公開された奥社宝塔(御墓所)観光客一杯で感慨に浸る間もないのですが、これが江戸東京の始祖たる徳川家康の墓なんだと、画像を振り返ってみると感慨深いものがあります。高野山の奥之院で数多く見た大名墓(結城秀康や紀伊徳川家、記念塔のようなものですが)の始祖がここにあると考えると感慨深いですね。
墓所はぐるりと一周回れるようになっています。後ろ側からみた図。
東照宮はお土産屋さんが盛んで、各所に「ここ限定」のお守りやらグッズなどが売っています。インバウンド効果もあって大変潤っていることとおもいます。僕も思わず眠り猫の土鈴を買ってしまいました。栃木県人なのに商売が上手い(偏見)これはおそらく上手い人が後ろにいるな
奥宮の唐門です。写真を撮ろうとしたら絶えず外国人観光客が記念撮影していてまともにはとれませんでした(笑)お賽銭箱?も葵の御紋です。
さようなら陽明門、次に会うのはいつのことか。
気が付きませんでしたが、石鳥居にも葵の御紋がついています。江戸時代は大変な権威だったのでしょうね。
数多くある石段の殆どが手すりが無いですので、歩行には注意です。鳴龍があるお堂もあるのですが、撮影禁止だったのでそもそも写真はとっておりません。御本社についても同じです。
いまさらですがこのビカビカの御水屋も重要文化財です。
今回は親子孫連れである程度駆け足でしたので、次回は1人でじっくりと来てみたいですね。実は東京からだと実家に帰るよりも早く到着できたりします(笑)
帰りはこちらの「明治の館」で昼食 明治末期に建てられた石造洋館。日本蓄音機商会、のちの日本コロムビアの創設者であるアメリカ人F.W.ホーンの別荘だった建物で、地元・稲荷川の安山岩を用いた石積みが特徴。太平洋戦争終戦時の外務大臣・重光葵が、東京大空襲で家を失った際に疎開し、ここから降伏文書の調印式に向かったとのこと。
ハンバーグ2200円くらいだったとおもうのですが、ボリュームがスゴイ。お客さんはご婦人の集まりばかりだったけれどこれにセットでサラダとかデザートとか付けたら食べきれない量ですよ。
私は日和ってカツカレーだけにしましたがこれで充分です。娘がカスタードプリンを頼んでこれが実に4人分くらいの量で驚きました。
帰りは東武鉄道スペーシアにて帰宅。車体は古かったですが広さは新幹線のグリーン席並にゆっくりできます。ありがとう東武鉄道、ありがとう根津財閥!!

東京時層地図や大江戸今昔巡りなどの古地図アプリで東京の昔の地図をみていますが、その原形をつくった徳川家康公のお墓に行けて良かったです。
いきなり「東照宮にいこう」言い出した母親に感謝。外出嫌いなのになにか乗り移っていたのかな??
両親、私、娘という3世代の思い出作りにもなりました。

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