【イギリスを支配したドイツの貴族と商人】
イギリスのエリザベス女王がお亡くなりになられ色々と話題がつきませんが、そのイギリス王室を支配していたのは誰なのでしょうか?
"プロイセンゲート"よりイギリス王室に関わる部分を抜粋してみました🐸🍿
ロスチャイルド家
銀行家の中で最も有名なのは、ロスチャイルド家でしょう。

ロスチャイルド王朝の創始者であるマイヤー・アムシェルは、悪名高い発言をしました。
【私に一国の通貨発行権を与えよ。そうすればだれがどんな法律を作ろうとどうでもよい。】
これは力強い発言ですが、マイヤー・アムシェルは当時、どの国のお金もコントロールできる立場にはありませんでした。彼は、当時最も強力な権力者だったプロイセンのフリードリヒ大王が設立した王立メインバンクに感嘆していただけなのです。
【プロイセン銀行の最も重要な課題は、近隣の他の銀行に対抗して貨幣の発行独占権を確立することであった。1856年、ついに銀行は無制限の発行権を獲得した。1876年1月1日、新たに設立された帝国銀行に編入された。】
ロスチャイルド家は銀行業からではなく、貿易業から始まりました。
【マイヤー・ロスチャイルドは、幼い頃から商売を学んでいた。父親のアムシェル・モーゼス・ロスチャイルドは、絹織物の取引と両替を行っていた。マイヤーの最初の仕事のひとつは、フランクフルトで年に2回開催される見本市で入手したコインを仕分けることだった。】
ロスチャイルド家は貿易から徐々に帝国を築き上げ、後に外国為替も行うようになりました。貿易帝国が拡大するにつれ、銀行業へと進出していったのです。
ロスチャイルド一族の悪名はとどまるところを知りません。彼らは近代銀行史の主な焦点となっています。今日でも、リン・デ・ロスチャイルドは、ローマ法王フランシスと協力して「グローバル資本主義」の実現に取り組んでいます。
Q535
(リン・デ・ロスチャイルドのtweetを引用して)
君が思ってるよりも 僕らは迫っている
眠りなよ 眠れないだろうけどね
マイヤー・アムシェルの息子たちがヨーロッパ中に散らばった後、ネイサン・ロスチャイルドがロンドンに移住し、一族の富と権力を莫大に増大させました。マンチェスターで織物商としてスタートし、金塊、外国為替、証券の取引を行うようになるまで時間はかかりませんでした。
1817年に世界中の国家や王国に対して巨額の対外貸付を開始すると、彼らの急成長が始まりました。当然ながら、最初の主要顧客はプロイセンでした。
【早くも1817年2月5日には、ロスチャイルド兄弟はプロイセンへ150万グルデンを5パーセントで融資しており、翌年末にはロスチャイルド家はヨーロッパで最も裕福な企業であると報告されていた。彼らはベアリングス銀行の援助で発行された融資に投機し富を得たに違いないと考えられており、この作戦が成功したため、関係各国政府はロスチャイルド家に将来の融資への参加を認めざるを得なくなった。】

莫大な利益を得ていたハンザ同盟の商人たち
信用状の誕生と複式簿記による効率的な管理により、ヨーロッパは人類史上最大の経済発展を遂げました。交易路を発見・確保して世界中に多くの植民地を作ることに繋がっていきます。
ヨーロッパに持ち込まれた品物は、参加した商人たちに莫大な利益をもたらしました。

後日、商品の代金を受け取ることができる信用状があったからこそ、輸入の需要が高水準で維持されたのです。これはヨーロッパに輸入品が殺到しても、その価格が高止まりすることを保証するものでした。裕福な商人や貿易商は、"商品を買いたいがすぐには支払えないという客"に信用を与えることで巨額の富を築くことができたのです。まさに「人の借金が人の富に」なっていたのです。
ヨーロッパが世界進出を始めると、ヨーロッパにも借金が殺到するようになりました。成功した商人や商社はすべての信用状を平然と管理するようになり、それが銀行業への道筋を示すことになるのです。
ヨーロッパの富が彼らの手に集中する一方で、負債の負担は社会全体に広がることになります。貿易商は商人銀行家になっていきました。
1666年のロンドンの大火によりハンザ同盟は消滅したと言われていますが、この時、メディチ家、ベレンベルク家、ヴァールブルク家、ロスチャイルド家、シュヴァーベン家といった銀行家たちが台頭していたにもかかわらず、12世紀から17世紀にかけて最も強力だったハンザ同盟がただ消えていったのしょうか?
ハンザ同盟の商人 銀行家へ変貌
・ハンザ同盟のメンバーは愚かで、信用状と複式簿記がもたらす莫大な経済的チャンスに気づくことができなかったのか?
・30年戦争は、彼らの貿易帝国のあらゆる面を本当に破壊したのか?
・1666年のロンドンの大火は、ハンザ同盟の本部を焼き尽くし、500年にわたる貿易の支配に終わりを告げたのか。
まず第一に、ハンザ同盟のメンバーは決して愚かではありませんでした。もし、自分たちのシステムより優れたものがあれば、すぐにそれを採用するでしょう。実際、彼らはすでに「高度な決済システム」を模索していました。
ハンザ同盟は革新性と洗練性で知られていました。ハンザ同盟が時代についていけなかったという主張はでたらめです。
世界最古の商銀行であるベレンベルク銀行がハンザ同盟を起源とすることは、すでに知られています。彼らが富と権力を得たのは、かつて「ヨーロッパ第6の大国」と呼ばれた独英のベアリングス銀行との協力関係によるものでした。
ベレンベルク家が事業を銀行業に転換し、ロンドン銀行を設立したのなら、他のハンザ同盟商社もそれに倣ったのではないでしょうか。
イギリスに潜入したドイツ商人集団
ハンザ同盟の終焉(1699)からナポレオン戦争の終結までの間にロンドンで活躍したドイツ商人「忘れられた多数派」は18世紀最大の移民集団でした。
【本書は、これまで無視され、ほとんど利用されてこなかった証拠を用いて、彼らの移住の原因、首都における事業の確立、企業の世界的な広がりについて評価したものである。イギリス国籍の取得がイギリスの商業帝国への入場券であったことから、近世におけるイギリスの帰化政策の商業的機能を調査している。より多くのドイツ商人がイギリスの商業社会に溶け込むことで、ロンドンがヨーロッパ大陸、ロシア、新世界の主要な交流の場となることに貢献した。】
( 2014/10/1 Margrit Schulte Beerbühl 著 )
https://www.amazon.com/Forgotten-Majority-Merchants-Naturalization-1660-1815/dp/1782384472
もし、ドイツ人一家のイギリスへの帰化を概説したこの魅力的な本がなければ、ハンザ同盟の終焉という従来のストーリーには信憑性があります。しかし、『忘れられた多数派』は、まったく異なる可能性を照らし出す事実と数字を提供してくれているのです。
500年近くにわたり、ヨーロッパの経済を支配してきたハンザ同盟の商人一族は消滅したわけではありません。
彼らはロンドンに移住したのです。
ドイツからロンドンへの移動は、裕福でコネクションのある人々によってのみ達成されました。ドイツの裕福な商人一家は何世代にもわたる移住のシステムを構築していたのです。
ドイツ商人一家がイギリスに行って貿易事業を拡大し、最終的にイギリスに帰化したという記録はたくさんあります。ラッカー家は英国で最も成功した商社のひとつでした。

帰化したドイツ人の多くは目立たないようにするために、自分の姓を「イギリス化」して、イギリス社会に消えていきました。
”忘れられた多数派”とは、よりよい生活を求めた貧しいドイツ人移民たちのことではありません。最も裕福な商人たちによる、最も洗練された革新的な国家への潜入でした。ハンザ同盟は滅びることなく、ただ変容していったのです。彼らの富と貿易・金融における革新性により、ロンドンは世界でも傑出した貿易の中心地となったのです。
ドイツ商人たちはどこまで英国に浸透していたのでしょうか。
"忘れられた多数派 "では、1660年からのドイツ人のイギリスへの移民記録がまとめられています。それ以前のドイツ人の移民の規模を把握することは難しいですが、ハンザ同盟の裕福なドイツ商人の一族が1660年以前に商館があったイングランドにもいたと考えるのが妥当だと思います。
このドイツ商人たちの移住は、イギリスの将来にどのような影響を与えたのでしょうか。
1688年 オレンジ公ウィリアム3世がイングランド王に
17世紀を通じてイギリスを覆っていた混乱は、1688年の無血革命(名誉革命)に繋がり、結果的にオレンジ公ウィリアム3世がイギリス王位に就きましたた。
注目すべきは、その約40年前にプロイセンのホーエンツォレルン家がオレンジ家と婚姻により統合されていたことです。
「ホーエンツォレルン家とオレンジ家の王家は、1646年以来、婚姻によってつながっていたのである。そのため、プロイセン大王ヴィルヘルム2世はオレンジ公という称号を許された。フリードリッヒ・ヴィルヘルム・フォン・ブランデンブルクはホーエンツォレルン家として初めてオラニエ公妃と結婚した。時が経つにつれて、これら 2 つの王室のつながりは、さらなる結婚によって強化されました…」
オレンジ公ウィリアム3世の治世は1702年まで続き、その間にイギリス史上最も重要な機関の一つであるイングランド銀行を設立しました。
銀行に資本を提供した株主の何人がドイツ商人の子孫であったかわからないが、イングランド銀行が設立されると、大英帝国が新たな活力を帯びてきたことは確かです。
1702年にオレンジ公ウィリアム3世が死去すると、権力の座はアン女王に移ることになります。しかし、アン女王が到着する前にオレンジ公の治世が完成したのです。
ドイツがイギリスを支配した方法
【ドイツ・ハノーファー家が英国を200年間支配した方法
ハノーファー家は、イギリスを支配するようになったドイツの王家である。ハノーファー家は18世紀にイギリスの王位を獲得し、20世紀初頭までその地位を維持した。この間、合計6人のハノーヴァー家の君主がイギリスを統治したが、最も有名なのはヴィクトリア女王であろう。】
ハノーファー家は、ハンザ同盟の交易拠点であったブランズウィックとルネブルグの両都市を統括していたドイツでは極めて強力な貴族でした。
18世紀から19世紀にかけて、イギリスはこの時代で最も強力な経済、海洋、植民地の大国へと変貌を遂げました。これらはすべて、ハンザ同盟とオレンジ公ウィリアムが設立したイングランド銀行の遺産を持つ君主の監視の下で達成されたものです。

血統的にドイツが濃いゴータ家・ウィンザー家
ハノーファー王朝がイギリス王室の支配権を失うと、サックス・コーブルク・ゴータ家に取って代わられました。
【ザクセン=コーブルク=ゴータ家は、その名の通り、血統的にドイツ色の強い家であった。
ドイツ人のザクセン=コーブルク=ゴータ公アルバートが、この家の名付け親であった。ジョージ5世の妻、メアリー王妃もドイツ系のハーフである。驚くべきことにジョージ5世はドイツとデンマークのハーフで、イギリスの血は一滴も入っていないのだ。
第一次世界大戦時、英国の平民がドイツ領のゴータ公国で殺傷される中、ゴータ家を名乗り続けるわけにはいかなかった。
そこで1917年、ジョージ5世は「ウィンザー家」に姓を変えたのである。】
王室が静かにウィンザー家に改名したことよりも、プロイセン王、ドイツ皇帝、オレンジ皇太子といった、ホーエンツォレルン家とのつながりの方が重要です。
【イギリス王国のトップはジョージ5世で、その従兄弟のヴィルヘルム2世がドイツ皇帝でプロイセン王であった。】
昭和天皇とも関係の深いジョージ5世
(少し話がそれますが、日本の皇室と関係が深くなったのはこの頃のようですね。)


最初の貴族 ホーエンツォレルン家
12世紀、神聖ローマ帝国は世界を一変させるような特権と権利を与えました。ハンザ同盟とホーエンツォレルン同盟がその代表です。
神聖ローマ皇帝から貿易に関する免除と特権を受けたハンザ同盟が結成され、1226年には皇帝フリードリヒ2世から「帝国自由都市」の地位を与えられました。フリードリヒ2世の父である皇帝ヘンリー6世は、1192年にホーエンツォレルン家に"最初の貴族としての称号"を与えています。
ハンザ同盟の台頭はかつてないものでした。バルト海貿易の独占は、彼らに帝国のような力を与えたのです。
彼らの貿易条件に反対する王国は、交易網から切り離され、不況と飢饉に陥り、ハンザ同盟軍に攻撃されることになりました。同盟は、貿易を支配するものが権力を握っていることを証明していました。
ドイツで最も成功した商社は、最終的に銀行界の寡頭勢力となりました。ラッカー家、ロスチャイルド家、ベアリングス家、シュローダー家、その他多くの一族がイギリスの銀行界を支配しました。
大英帝国 最盛期
イギリス王室、イングランド銀行、重商主義的な東インド会社と連携し、イギリスは貿易ブームを経験し、世界中で軍事的、経済的優位を獲得しました。

大英帝国の重商主義的なやり方は、何世紀も前のハンザ同盟を彷彿とさせるものでした。これまで紹介してきた潜入の度合いを考えれば、これは驚くことではないでしょう。
西欧諸国の貿易の大部分は、民間の銀行や中央銀行が資金を提供し、管理する大英帝国とオランダ帝国の手に委ねられていました。
これらの企業のほとんどは、ドイツ貴族の家に由来し、忠実であったようです。


ホーエンツォレルン家はやがてドイツ全貴族の頂点に立つことになります。
ハンザ同盟が消滅したのと同じ頃、ホーエンツォレルン家は急速に勢力を拡大し、プロイセンはドイツ統一に乗り出し1871年にヴィルヘルム1世がドイツ皇帝に即位しました。
イギリスとオランダの君主、民間銀行の寡頭体制、そして特に世界の通貨供給を掌握している中央銀行の世界的ネットワークを考えるとき、1871年のヴィルヘルム1世の戴冠はおそらく我々が思っている以上に重要です。
1897年にポール・ウォーバーグがアメリカに到着し、FRB(アメリカ連邦準備制度)の設立に乗り出したとき、アメリカのプロイセン化が完了しました。
ハンザ同盟の商人王朝が透明人間となり、プロイセンを見えない指導者として任命し、中央集権銀行を通じて世界貿易を支配したとすれば、我々はトランプ大統領が言っていた「オレンジの調査」に非常に近づいているのかもしれない。
↑ミュラーレポートの話題でなぜかオレンジに言及するトランプ大統領
「どこで誰がどのように始めたのか?」
「オレンジのことも捜査してくれることを期待している。」

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