【滋賀県】長安寺宝塔(関寺の牛塔)
場所:滋賀県大津市逢坂2丁目
時代:平安時代末期

ここを訪れたのは去年2024年の9月でした。実はそれより前にもバイクで立ち寄ろうとしたことがあったのですが、近くまで来た時すでに遅くなって暗くなったため、断念したことがありました。今回はせっかく京都まで来たので、地下鉄東西線三条京阪駅からびわ湖浜大津方面の電車に乗って20分ほどで、日の高いうちに最寄りの上栄町駅に着きました。駅を出て京都方向に線路沿いの細い道を少し歩けば、長安寺への登り口があります。関寺の牛塔と呼ばれている巨大な石造宝塔は、寺へ続く参道の石段を登る途中にあります。宝塔の謂れは、1025年(万寿2年)の「関寺縁起」によれば、976年(天延4年)の大地震で倒壊した関寺の復旧工事の際、資材運搬用の牛が迦葉如来の化身と噂され、牛塔は関寺の工事が終わるとともに死んだ牛の供養のために、藤原頼通が建てたものと言われています(長安寺ウェブサイトによる)。


高さ3.3mもあるかなり大きな花崗岩の石塔で、宝塔と呼ばれる形式で造られていますが、八角形の台座に裾がすぼまった樽のような軸を載せ、屋根部分は六角形で宝珠が載せられているという、全国的にも他に例のない独自の形で造られています。平安時代末期(鎌倉時代説もある)のものとされ、国の重要文化財に指定されています。関寺は慶長年間の兵火による罹災後、寺の名称を長安寺と改めて現在はお堂があるだけの小さなお寺です。


今に伝わる「逢坂の関」という場所は、ここが平安京の東側の出入り口にあたり、山城国と近江国の国境になっていたことで関所が設けられました。平安京ができるずっと前の646年(大化2年)に設置されて以降、たびたび廃止されることもありましたが、室町時代に至るまで記録に載っているそうです。現在、この付近には逢坂の関跡の記念碑が2か所ほど建てられていますが、実際に関があった場所はわかっていませんが、牛塔が建てられた場所にあった関寺と逢坂の関を関連づける記述が、平安中期の「更級日記」などにみられることから、この付近にあったと考えられています。
逢坂の関といえば、百人一首の「これやこの 行くも帰るも別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」という、盲目の琵琶法師と伝わる蝉丸の歌で有名です。この長安寺付近には、蝉丸を祀った神社もあります。



また寺の境内の一角には「小野小町の供養塔」とされる五輪塔が建っています。9世紀ごろの平安時代前期の歌人として知られる小野小町は、小野妹子や小野篁、小野道風らと同じ氏族で、詩歌の才能に恵まれ漢詩にも造詣が深かったと言われています。出生地は寺から20kmほど北のびわ湖西岸にある、現在の大津市小野が出生地とされています。長安寺の供養塔は、年老いた小町と関寺の住職やその稚児との間で交わされた歌道、そして華やかな過去を懐かしみながら老い衰えていく悲哀を題材とした能の演目「関寺小町」に因んだものです。

