高幡不動尊へ ― ござれ市とあじさい、そして護摩の響きに魂を揺さぶられる 【東京都日野市】
6月の第3日曜日、東京都日野市にある高幡不動尊へ足を運んだ。
自宅を出て下道をのんびり走り、現地に到着したのは11時少し前だった。所要時間はおよそ1時間。空は厚い雲に覆われ、いかにも梅雨らしいどんよりとした天気だったが、むしろ、この時期の寺社には少し湿り気を帯びた空気がよく似合う。
高幡不動尊の正式名称は高幡山明王院金剛寺。平安時代初期に開かれたと伝わる古刹であり、関東三大不動の一つとして知られている。境内には重要文化財の不動堂や仁王門が建ち並び、長い歴史の重みを今に伝えている。
専用駐車場へ向かったものの、やはりこの時期は来訪者が多いようで混雑していた。そのため、すぐ近くのコインパーキングを利用することにした。結果的には出入りもしやすく、特に不便は感じなかった。



この日、高幡不動尊では二つの催しが行われていた。
一つは毎月第3日曜日に開催される「ござれ市」である。
ござれ市は骨董品や古道具、雑貨、衣類などが並ぶ市で、長年地域の人々に親しまれている催しだ。掘り出し物を探す楽しみがあり、境内や参道には多くの人が集まっていた。

空は相変わらずの曇天だったが、それでも会場は十分な賑わいを見せていた。古い道具を熱心に眺める人、店主との会話を楽しむ人、家族連れで散策する人。それぞれが思い思いの時間を過ごしている。
私も植物用の陶器鉢でも置いてないかと期待しながら見て回った。
最近はアガベや塊根植物を育てていることもあり、味わいのある陶器鉢にはつい目が向いてしまう。しかし残念ながら、並んでいる陶器の多くは皿や茶碗、湯呑みといった食器類だった。
どれも趣のある品ばかりだったが、植物用の鉢との出会いはなかった。
それでも市場を歩く時間そのものが楽しい。目的の品が見つからなくても、何があるかわからない空間を眺めているだけで、どこか心が弾むものだ。
境内を進むと、土方歳三の銅像が目に入った。

土方歳三は日野市出身であり、新選組副長として幕末を駆け抜けた人物である。
高幡不動尊は土方家の菩提寺として知られ、境内には銅像や顕彰碑が設けられている。そのため、歴史好きや新選組ファンにとっても高幡不動尊は特別な場所となっている。
力強く前を見据える銅像を眺めていると、激動の時代を生きた人物の息遣いが、ほんの少しだけ身近に感じられた。
そして、この日行われていたもう一つの催しが「あじさいまつり」だった。
高幡不動尊では毎年6月になるとあじさいまつりが開催され、境内から山内にかけて数多くのあじさいが咲き誇る。


特に有名なのが山内八十八箇所巡拝コースである。
境内の裏山を巡る散策路の両脇には色とりどりのあじさいが植えられ、この日もちょうど見頃を迎えていた。





青、紫、白、そして淡い桃色。
梅雨の柔らかな光を受けながら咲くあじさいは、晴天の下で見る花とはまた違う美しさがある。石段を上り、木々の間を歩きながら眺めるあじさいはどこか静かで、華やかさの中にも落ち着きがあった。







湿った土の匂いと木々を渡る風。
そして時折聞こえる参拝客の話し声。
ござれ市の賑わいとは対照的に、そこにはゆったりとした時間が流れていた。


そして、この日の訪問で最も印象に残った出来事は、実は予定していたものではなかった。
境内を散策している途中、不動堂から力強い読経の声が聞こえてきたのである。
何事かと思い足を向けると、ちょうど護摩修行が行われている最中だった。
堂内ではお坊さんたちが太鼓を打ち鳴らしながら般若心経を唱えている。その音は想像以上に迫力があり、単なる読経というよりも、空間全体を震わせる儀式のようだった。太鼓の重低音が胸に響き、僧侶たちの声が幾重にも重なり合う。
普段、寺院で読経を耳にする機会はあっても、ここまで身体に響くような体験はなかなかない。
私と妻はしばらくその場で聞き入っていたものの、境内を見て回りたい気持ちもあり、途中で席を離れた。
しかし帰宅後に調べてみると、高幡不動尊の護摩修行には圧巻のクライマックスがあることを知った。
それが不動明王の真言である「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン」の連唱である。
なんでも、その場面では僧侶たちが真言を凄まじい勢いで何度も何度も唱え続けるという。太鼓の音と読経が一体となり、その響きはまるで地響きのようだとも表現されていた。
高幡不動尊は観光地としてだけでなく、今なお人々の祈りが息づく修行の場でもある。その一端に偶然触れられたことは、この日の思いがけない収穫だった。
今思えば、せっかくの機会だったのだから最後まで聞いておけばよかった。あの先に待っていたであろう真言の連唱を体感できなかったことだけが、少しばかり心残りである。
ござれ市の活気を楽しみ、
歴史ある境内を歩き、
土方歳三に思いを馳せ、
見頃を迎えたあじさいを眺め、
そして迫力ある護摩修行に圧倒される。
曇り空ではあったが、その空模様さえ風景の一部だったように思う。
梅雨の時期はつい外出をためらいがちになる。しかし、この季節だからこそ美しく見える景色もある。
高幡不動尊のあじさいは、そんなことを改めて感じさせてくれる風景だった。
