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光を失いながら、私は誰かの「健康」を見守ることに決めた

幼稚園の、一番古い記憶。両目の視力は1.0。 それが、私の視力のピークだった。

小学校4年生の時、「メガネではもう矯正できない」と告げられた。 周りの友達は誰もしていなかったコンタクトレンズ。休み時間になると、みんなが珍しがって私の顔を覗き込んできた。
「コンタクト見せて!」と。
まるで、私が何か特別な存在になったような、少し誇らしいような、でも気恥ずかしいような時間だった。

中学生になり、塾や部活で帰りが遅くなることが増えた。 街灯の少ない夜道。友達と見え方が違うことに、少しずつ、でも確実に気づき始めた。
友達が何でもないように避けていく溝や田んぼの畦道に、私は何度も落ちた。
暗闇が、怖かった。
親には「鳥目だろう」と言われ、毎日のようにビタミンAが豊富な野菜ジュースを飲んだ。それが、私の不安を少しでも和らげる、親なりの愛情だったのだと、今は思う。

歳を重ねるごとに、視界はさらに狭く、暗くなっていく。 そしてある日、営業中に車の事故を起こしてしまった。

同僚に勧められて大きな病院で精密検査を受けた。 担当の医師は、パソコンの画面を見つめたまま、淡々と告げた。
「網膜色素変性症です」
あまりに事務的な響きだったから、それが将来的に失明する可能性のある重い病気だとは、その時は思わなかった。

会社に報告したけれど、誰も聞いたことのない病名。
調べてくれた同僚が、血相を変えて私に声をかける。
「これ、大変な病気ですよ……!」 あの時の同僚の、驚きと動揺が入り混じった声は、今でも耳に残っている。

でも、不思議と私自身は冷静だった。
幼い頃から、いつかこうなることを漠然と覚悟していたからかもしれない。

とはいえ、胸の奥では小さな、けれど冷たい不安が、何度も波のように押し寄せては引いていった。

運転を控え、会社のはからいで内勤にしてもらった。
その数年後、お世話になった会社だったけれど、視力の悪化もあって、退職を決意した。

その後、特別支援学校へ。
あん摩マッサージ指圧師はり師きゅう師の資格取得を目指して、3年間勉強した。
指先に全神経を集中させる日々。それは、光を失っていく私にとって、新しい「目」を手に入れるための時間だったのかもしれない。

2020年。コロナ禍の始まりと同時に、自宅で治療院を開業した。42歳。
最悪の船出。

周りはバリバリと働き盛りの年齢。 焦りや劣等感からか、友達と会うことも少なくなっていった。

世の中は「ソーシャルディスタンス」一色。
そんな中、3密を思いっきり破るマッサージ屋を始めるのだから、不安で胸がいっぱいだった。荒波に向かって、小さな手漕ぎボートで漕ぎ出すような気分だった。

けれど、恐る恐る扉を開けてみると、予想以上にお客さまが来てくれた。

こんなに体の不調を抱えた人がいるのか

と、改めて驚いた。
みんな、何かしらの痛みを抱えながら生きている。

日々、お客さまの体をケアする中で、ふと思う。
私は障害者(弱視)で、ほとんどのお客様は健常者。
社会的に弱い立場の私が、健康な人の体を整えている。
世の中は皮肉であふれている、と思うこともある。

開業時、私はひとつの基本方針を決めていた。

定期的な体のメンテナンスと、自宅でのセルフケアが一番大切

それを軸に、ホームページにも「セルフケア指導」と明記した。
この考えは、今も変わらない。

だが、ひとつ
があった。
自宅でセルフケアをしっかり行う人は、思ったより少なかったのだ。

現在は、健康意識の高いお客さまが残ってくれているおかげで、体感では3割ほど。それでも、多くの方はセルフケアの重要性を理解していながら、なかなか続けられない。
忘れる。
うちに来たときだけ思い出す。

健康なうちは当たり前だと思いがちな日々のありがたみや、予防医学の重要性を、私は心から伝えたいと思う。ケアをすれば悪化を防げるのに、やらない人がいる。本当に、もったいないと思う。

私は施術中に、「ここが悪い」と感じる部分を伝える。
そして、「こういうケアをやってください」と施術後に丁寧に伝える。
正直、ここまで手の内を明かす治療院は多くないかもしれない。
セルフケアで良くなれば来なくなるかもしれない、という不安もある。

それでも、私の願いはひとつ。

お客様に良くなってほしい喜んでほしい

ただ、それだけだ。
損得勘定を抜きにして教えても、すぐには伝わらない……。

これが、今、私が抱えている一番のもどかしさ。

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