― 人生の節目で必要な武器を集め、未来を切り開いてきた ―
こんにちは、ありちゃん先生です。
はじめに
「キャリア」と聞くと、転職や昇進、資格取得を思い浮かべる人が多いかもしれません。
しかし、私はキャリアとは、最初に決めた道を歩き続けることだけではないと思っています。
人生では、病気や障害、家庭環境、社会情勢など、自分ではコントロールできない出来事によって、それまで思い描いていた未来が大きく変わることがあります。
私自身も、視覚障害が分かったことで、それまで考えていた人生設計を見直さなければなりませんでした。
それでも、その時々で必要だと思った知識や技術を学び、一つひとつ武器を増やしながら、新しい道を切り開いてきました。
振り返れば、私のキャリアは一直線ではありません。
何度も立ち止まり、そのたびに考え、学び、進む方向を修正してきました。
今回は、そんな私が歩んできたキャリアと、これから目指しているキャリアについてお話ししたいと思います。
視覚障害をきっかけに「武器」の必要性を感じた
視覚障害が分かる前、履歴書に書ける資格といえば、普通自動車免許くらいでした。
時期によっては、小学生の頃に取得した珠算2級を書いていたこともあります。
特別な資格を数多く持っていたわけでもなく、ごく普通の会社員として働いていました。
しかし、視覚障害が分かったことで状況は大きく変わります。
「これから先、いつまで今までと同じように働けるのだろう。」
そんな不安が頭をよぎるようになりました。
もし働けなくなったら。
もし今の仕事を続けられなくなったら。
その時、自分には何が残るのだろう。
そう考えた時に感じたのが、「武器」の必要性でした。
ここでいう武器とは、資格そのものではありません。
環境が変わっても、自分の可能性を広げてくれる知識や技術のことです。
この時から私は、その時々で必要だと思った武器を一つずつ身につけていくことになります。
最初の武器として選んだFP
最初に身につけようと思った武器は、お金の知識でした。
学生時代からファイナンシャル・プランナー(FP)という資格の存在は知っていました。
しかし、当時の私にとっては、「そんな資格があるらしい」という程度の認識で、何を学ぶ資格なのか、自分に必要なのかまでは分かっていませんでした。
転機となったのは、ある日、本屋で何気なく立ち読みした一冊のビジネス雑誌です。
そこには、「老後資金2,000万円」という特集が組まれていました。
当時、大きな話題になった内容ですが、視覚障害が分かり、
「自分はあと何年働けるのだろう」
と不安を抱えていた私にとって、その数字は決して他人事ではありませんでした。
今までと同じように働き続けられる保証はない。
それなのに、お金の知識はほとんどない。
このままではいけない。
そんな危機感を抱きながらページをめくっていると、雑誌の片隅にFPの方が書いたコラムが目に留まりました。
「FPか。」
たった一言でしたが、その瞬間に進むべき方向が見えた気がしました。
資格を取りたいと思ったのではありません。
これからの人生を生きていくために、お金について学ぶ必要がある。
そう考えたことが、私がFPの勉強を始めるきっかけでした。
必要だと思った知識を独学で身につける
FP2級を取得した後も、私の学びは終わりませんでした。
資格を集めることが目的ではありません。
その時々で必要だと思った知識を身につける。
それが私の学び方でした。
次に取得したのは、証券外務員一種です。
金融機関への転職も視野に入れ、金融分野で働くための武器になると考えました。
取得自体は比較的短期間でできましたが、資格を持っていることと、その資格を活かせる職場に就けることは別の話でした。
当時は今以上に中途採用の壁が高く、金融機関への転職は叶いませんでした。
それでも、この挑戦が無駄だったとは思っていません。
資格を取得する過程で学んだ金融の知識は、その後の人生でも役立っています。
次に学んだのは、日商簿記3級です。
将来、独立開業する可能性を考えた時、数字が分からなければ経営はできないと思ったからです。
現在では会計ソフトが普及し、帳簿を作ること自体は難しくありません。
それでも、売上や経費、利益、お金の流れを理解するための知識は、今でも大きな武器になっています。
FPを学んだことで社会保障への興味も深まり、さらに知識を深めたいと思い、社会保険労務士の勉強も始めました。
しかし、難易度は想像以上に高く、受験には至りませんでした。
その後は宅地建物取引士にも挑戦しました。
こちらは手応えもありましたが、結果はあと1点届かず不合格。
悔しさはありましたが、勉強したことが無駄になったとは思っていません。
法律や不動産に関する知識は、今でも生活や仕事の中で役立つ場面があります。
こうして振り返ると、取得できた資格もあれば、そうではなかったものもあります。
しかし、私にとって資格はゴールではありません。
未来を切り開くための武器。
必要だと思った時に学び、その知識を自分の人生に活かすこと。
それが、私がこれまで続けてきた学び方です。
人生最大の決断 ― 盲学校へ通う
資格を一つひとつ取得しながら、自分に必要な武器を増やしてきました。
そんな中、人生の大きな転機となったのが、勤務していた会社の転勤でした。
このまま会社員として働き続けるのか。
それとも、新しい道へ進むのか。
何度も考えた末に、私は、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師という国家資格を取得するため、盲学校へ通うことを決意しました。
しかし、この決断は、それまで資格を独学で取得してきたこととはまったく重みが違いました。
これらの国家資格は、養成施設で3年間学ばなければ受験資格を得ることができません。
つまり、仕事を辞めることが前提になります。
不安だった3年間
仕事を辞めれば、それまでのような収入は得られません。
国家資格を取得できたとしても、就職先がある保証はありません。
働き始めたとしても、生活できるだけの収入を得られる保証もありません。
そして、国家試験にも落ちるわけにはいきません。
私にとって、この3年間は人生を懸けた挑戦でした。
石橋を叩いて渡る性格との葛藤
私はもともと、石橋を叩いて、さらに叩いてから渡るような性格です。
思いつきで大きな決断をすることはありません。
リスクを考え、できる限り準備をしてから行動するタイプです。
だからこそ、仕事を辞めて3年間学校へ通うという決断は、これまでの人生で最も難しい決断でした。
期待よりも、不安の方が大きかったことを今でも覚えています。
決断するために行った準備
まず気になったのは、資格を取得した後の生活です。
本当に仕事はあるのか。
この仕事だけで生活していけるのか。
その答えを少しでも知りたくて、当時はYouTubeを見漁りました。
技術的なこと。
経営的なこと。
同業の先生方のお話。
少しでも気になるものはYouTubeでとにかく調べました。
さらに、FPで学んだ知識を活かし、自分自身の家計を徹底的に見直しました。
保険。
通信費。
食費や雑費。
そして住宅ローン。
収入が減ることを前提に、3年間生活を維持できるのかを何度もシミュレーションしました。
十分な経済的体力があることを確認し、ようやく会社を辞める決断をしました。
勢いで飛び込んだわけではありません。
不安だったからこそ、できる準備はすべてやる。
それが、私なりの挑戦の仕方でした。
一人ではできなかった決断
仕事を辞めて3年間学校へ通うという決断は、私一人の問題ではありませんでした。
子どもはいませんでしたが、妻がいました。
会社を辞めるということは、私だけではなく、妻の生活にも大きく影響します。
だからこそ、この挑戦は自分一人の意思だけで決めることはできませんでした。
何度も話し合いを重ね、妻は私の挑戦を理解し、支えてくれました。
その存在がなければ、盲学校へ通うという決断はできなかったと思います。
また、義理の両親にも、自分の考えや将来の計画を説明しました。
仕事を辞める理由。
3年間学校へ通うこと。
卒業後に目指す働き方。
そして、FPで学んだ知識を活かして家計を見直し、3年間生活できる見通しを立てていること。
きっと、不安はあったと思います。
それでも私の考えを理解し、背中を押してくれました。
今振り返っても、この挑戦は決して一人では成し遂げられなかったと思います。
障害年金という生活の土台
もう一つ、大きな支えとなったものがあります。
それが、障害年金でした。
実は、盲学校へ通う決断をした年の初めには、障害年金の申請手続きを進めていました。
そして、会社を退職する頃には受給が始まっていました。
もちろん、会社員時代と比べれば収入は減ります。
それでも、収入が途絶えることなく学校へ通えるという安心感は、とても大きなものでした。
この制度があったからこそ、将来への挑戦に踏み出すことができたと言っても過言ではありません。
もし、病気や障害によって働き方を見直さなければならない方がいるなら、一度利用できる制度がないか調べてみてください。
制度を知っているだけで、人生の選択肢が広がることもあります。
資格取得、そして開業へ
3年間の盲学校生活を終え、無事に国家資格を取得しました。
そして、念願だった治療院を開業しました。
しかし、そのスタートは決して順風満帆ではありませんでした。
開業日は2020年5月1日。
新型コロナウイルスの感染拡大により、社会全体が大きく混乱していた時期です。
開業して間もなく緊急事態宣言が発令され、先の見えない日々が始まりました。
「なぜこのタイミングなんだ。」
そう思ったことも一度や二度ではありません。
それでも、お客様をはじめ、多くの方々に支えていただきながら、何とか営業を続けることができました。
振り返れば、私のキャリアは順風満帆だったことは一度もありません。
それでも、その時々でできることを考え、一歩ずつ前へ進み続けた結果が、今の私につながっています。
新しい武器としてのコーヒー焙煎

国家資格を取得し、治療院を開業。
ようやく新しいキャリアがスタートしたと思った矢先、今度は物価高騰という新たな壁に直面しました。
もちろん、治療院だけを続けていくという選択肢もありました。
しかし、私は一つの仕事だけに依存することにリスクを感じるようになりました。
社会情勢が変われば、仕事も影響を受けます。
だからこそ、もう一つの収入の柱を作ろうと考えたのです。
そこで挑戦したのが、コーヒー焙煎でした。
最初は、直売所1店舗への出荷と、治療院へ来られるお客様への販売からのスタートです。
決して大きな規模ではありませんでしたが、
「おいしい」
という声を少しずついただけるようになり、現在ではもう一つの直売所にも出荷しています。
季節によって変動はありますが、販売量も少しずつ増えています。
これもまた、新しい武器を一つ手に入れた瞬間でした。
現在の挑戦 ― noteで情報発信
そして現在、私が挑戦しているのがnoteでの情報発信です。
健康について学んできたこと。
臨床で経験してきたこと。
そして、自分自身が歩んできた経験。
それらを言葉にして届けることで、新たな価値を生み出せないかと考えています。
もちろん、収益化も目標の一つです。
しかし、私にとってnoteは、単なる副業ではありません。
先行きが見えにくい時代だからこそ、一つの収入源だけに頼らず、自分の力で複数の収入の柱を育てていく。
それが、私なりの生存戦略です。
現在の私を支えている柱は、
治療院
コーヒー焙煎
noteでの情報発信
この三つです。
どれか一つが大きく成功すればいい、という考えではありません。
小さくても複数の柱を持つことで、変化の激しい時代でも前に進み続けられる。
それが、これまでの経験から私がたどり着いた、一つのキャリアの形です。
これからのキャリア
ここまで振り返ると、私のキャリアは最初から決められた一本道ではありませんでした。
視覚障害が分かったことで、それまで思い描いていた人生は大きく変わりました。
そのたびに立ち止まり、その時の自分に何が必要なのかを考え、新しい武器を一つずつ手に入れてきました。
FPは、お金の知識だけではなく、人生設計という武器を与えてくれました。
証券外務員や簿記、宅建士や社労士の勉強も、結果だけを見れば思い通りにならなかったものもあります。
それでも、そこで学んだ知識は、今でも私の土台になっています。
あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師という国家資格は、新しい仕事を作る武器になりました。
そして現在は、コーヒー焙煎という新たな柱を育て、noteで情報を発信するという新しい挑戦を続けています。
noteがどこまで成長するのかは、未知数です。
しかし、それでいいと思っています。
これまでの人生も、
「次はこれが正解だ」
と確信を持って歩んできたわけではありません。
その時々で必要だと思ったことを学び、自分にできることを一つずつ積み重ねてきた結果が、今の私です。
だから、これからも同じです。
時代や環境が変われば、また新しい武器が必要になるでしょう。
その時は、きっとまた学び、挑戦し、自分の可能性を広げていくと思います。
キャリアとは、肩書きや資格の数ではありません。
変化を恐れず、その時代に必要な力を身につけながら、自分らしい道を切り開いていくこと。
それが、私にとっての「これからのキャリア」です。
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