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【母方ルーツ #3】呉の景色と永遠のゼロ


今日も母方祖父に想いを寄せます。

広島県呉市にある大和ミュージアムに訪れたのは、つい数年前のこと…と思っていたのに、日付を見たらなんと2013年12月末でした。
月日の経つのは早いこと…
(いや、早すぎてちょっと怖いです)

スマホ内のアルバムはタイムカプセルのようですね。

当時のアルバムを検索しながら、本日の記事を書いていきたいと思います。


そうだ呉も行こう


呉に足を伸ばしたのは、夫の実家がある福岡への帰省道中でした。

いつもなら飛行機を利用するのですが、その時は新幹線を選択し、途中下車で広島旅行を組み込む計画をたてました。

一日目は宮島、平和祈念公園、記念資料館などを駆け足でまわり、味のある市電に乗って市内を散策。
そして絶対外せないお好み焼きと牡蠣を堪能。
(宮島の焼きガキは涙が出るほどおいしかった!)

二日目はせっかくだから呉の大和ミュージアムに足をのばしてみようという流れでした。

この時はまだ先祖調べも始めていなかったし、調査をするなんてこれっぽっちもなかった頃であり、大和ミュージアムをめざした旅行計画ではなかったのです。


祖父が海軍にいたこと、特攻に関わる任務についていたらしいこと、それが回天というものであるらしい、というぼんやりとしたワードが頭に置かれていた程度でした。

その前年にベストセラーとなっていた「永遠のゼロ」の中に回天も出てきたことで、その存在を知ることとなり、少しずつ気にかかるようになってはいましたが。

快速安芸ライナー

広島から呉へはJR快速安芸ライナーで。

「おじいちゃんがここにいたということもあるんだろうか…」

そんなことをぼんやり思いながら哀愁感じる電車に揺られ、車窓からの景色をみつめていました。


30分後、呉駅に到着。


駅を出てすぐに、大きなくじらが見えました。
本物のくじらではなく、海上自衛隊呉資料館です。
道路を挟んで、目指す大和ミュージアム。

入口には銀河鉄道999の顔ハメパネルがあり、夫はメーテルとのツーショットにご満悦。
…の写真が出てきました笑

左の大和、右のくじら

大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)
明治以降の日本の近代化の歴史そのものである「呉の歴史」と、その近代化の礎となった造船、製鋼を始めとした各種の「科学技術」を、先人の努力や当時の生活・文化に触れながら紹介しています。館内には、10分の1戦艦「大和」が展示され、大型資料展示室の零式艦上戦闘機や人間魚雷「回天」、特殊潜航艇「海龍」などは、すべて本物実物です。屋外には、戦艦「陸奥」の主砲身や潜水調査船「しんかい」などの実物も展示されています。


目の前にはいかにも造船の街という景色が広がっていました。
それまでの私は見たこともない光景です。
現代もなお、キリンのようなクレーンがせっせと船を作っておりました。


大和ミュージアムの顔といえば10分の1サイズの戦艦大和。
メインフロアの真ん中にでーんと鎮座していました。

横からも上からも眺めることができるようになっています。
人と比べると、10分の1サイズといえどかなり大きいことがおわかりいただけるかと思います。


ふらりふらり、大和を横目に歩いていると目の前に黒い塊が現れました。

これが…
これが回天。

ただそこにあるだけなのに異様な空気を放っている黒い塊こそが、回天という魚雷兵器。

初めて実物を目の前にしてしばらく立ち尽くしました…

回天
 太平洋戦争末期に開発された海軍の特攻兵器で、操縦席の人間ごと敵艦に体当たりする魚雷。「天を回(めぐ)らし戦局を逆転させる」という考えから、1944年8月に正式採用。高性能の九三式魚雷を改造し、全長14.75メートル、直径1メートル。巨大艦も一撃で沈める威力だったとされる。現在の山口県周南市などに基地が造られ、1375人が訓練を受け、終戦までに延べ148人が出撃した。訓練中の事故も含め145人の若者が犠牲となった。

特攻といえば戦闘機によるものを想像しますが、それ以外にもこのような兵器が存在したのです。
いわば海の特攻…


細長い躯体。
その中に人が一人入れるような構造になっていて、視界も得られない。
そして何より恐ろしいと感じたのは中からは開けられないということ…

悲しくて悔しくてやるせない…

祖父が回天に?
何かの間違い?勘違いかも。
よく分からない感情がぐるぐるしてくる。

別のフロアには回天搭乗員の証言などもあり、その中に祖父の名前が出てきはしないかと目を凝らしましたが、それらしきものは何も見つかりませんでした。

結局短い滞在時間の中で手がかりになるようなものには出会えず。

ただ初めて目にした実物大の回天と、その冷たさが心に刺さり、この旅のことを母に話すまでに少し気持ちの整理が必要でした。


もう少しだけわかったこと

広島旅行を含めた夫の実家帰省から自宅に戻り、しばらくたった頃、母に広島の呉へ行ったこと、回天を見たことを話しました。

「おじいちゃんはこれに乗っていたの?」

やはり母にこの話題をふるのは少し酷な気もして、控えめに訊ねてみました。

「乗っていたのか、乗っていなかったのか、ただ何らかのことを指導する立場だったようだよ…」

指導的な立場…
永遠のゼロの主人公である宮部が頭によぎりました。

小説を読んだ方、もしくは映画を見られた方も多いのではないでしょうか。

主人公宮部は戦闘機パイロットの教官としてたくさんの若者を育て戦地へ送り出しました。
それは命を落とさないための技術を伝えるためでした。
けれど最後は送り出したパイロットたちが特攻兵として消費されていくことに憤り、心身を消耗していく。
そして最後には自らも特攻作戦で命を落とします…


おこがましくも、そんな宮部の姿と祖父がかさなりました。
祖父が背負っていた重い荷物の片鱗が少しだけ、本当に少しだけ理解出来たような気がしました。


それだけに、これ以上祖父の戦争体験に関わることは調べてはいけない気がしてそのままそっと心に留めておくことにしました。


そして数年が経過した一昨年あたりからなんとなく母方ルーツを調べ始め、祖父の戸籍を手にし、祖父の兄弟のこと、曾祖父母のこと新たなことを知る中でもう少し祖父のことを知りたいという気持ちがわいてきます。

一方で、祖父のプライドとプライバシーを尊重してそっとしておいたほうがいいだろうという葛藤がありました。

そんな時、先祖探しをされているSNS上の方とお話する機会を得て、その方が広島、呉に住んでいるということを知りました。

このタイミングで呉…何かの縁だろうか。
祖父が調べてもいいと言ってくれたのだろうか。
そんなふうに勝手に解釈し、戦歴証明書なるものを申請することにしました。

戦歴証明書とは旧陸海軍軍人・軍属・従軍文官の召集から除隊までの履歴を記載した公式な記録です。

これを見ればいつどこに何年配属されていたのかを知ることができます。

海軍については厚生労働省に問い合わせればよいとのこと。

申請書、住民票、戸籍など必要な書類を揃え、厚生労働省に戦歴証明書を申請してみました。

1ヶ月経過。
あれ?忘れられてる?受理されなかった?
存在しないとか?そもそも海軍じゃなかった?
そんなことを思いながら、時は流れ…

3ヶ月以上経過…

もうすっかり、申請した私自身も忘れていた頃です。

ポストに厚生労働省と印字された封筒が届いていたのです。

これは見本、こんな感じです

ついにきた…



つづく






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