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悩めない子どもたち(ケーキの切れない非行少年たち)

こちらは、友人との読書会で読んだ名著や流行書を人に勧める形で紹介してみる記事です。

今回ご紹介する本

宮口浩幸『ケーキの切れない非行少年たち』です。Amazonや書店でもランキング上位となり、一部SNSでも話題となっている書籍になります。

本書は私の選定ではなく、友人が読書会に持ち込んできました。彼は帯(下図)のケーキの切り方に驚愕して思わずこの本を手に取ったそうです。

「三等分するのに1本目で二等分線引く?」「それで2本目困っちゃってるじゃん。」

なかなか友人も面白い見方をするなと思います。これをパッと見ただけで、どちらが1本目かなんて思考に行きつくのは賢いなと思いました。そこで私は切り返しました。

「そもそも円の三等分=扇型3つに切り分けるって知っているからそう言えるけど、そうじゃなければ1本目の入れ方もわからなくない?」「例えば正五角形を三等分しなさいって言われても手が止まっちゃうでしょ。」

たしかに彼のように「だとしてもいきなり二等分はおかしいでしょ」という気持ちもわかります。しかし、本当に円の三等分をしたことのない人のとりあえず縦に一本引いてみようという気持ちはわかります。

9点問題(下図)を知らない人が、角以外から筆を始めてもおかしくないのとまさに同じだと思います。答えを知らない人は挑戦してみてください。

一言でいうと何?

さて、本の紹介をしていきます。

『ケーキの切れない非行少年たち』は、少年院に収容されている子どもの心理的特徴を解説している書籍です。

全容はどんなもの?

若くして犯罪(暴行、窃盗、猥褻から殺人まで)を犯した少年たちは、認知的発達が乏しく、学習においていくつか正常でない特徴を示します。それらの特徴がなぜ社会から見逃されているのか、またどのようにしたら改善ができるかが具体例とともに説明されています。

他の本と何が違う?

子どもの教育に関して最近有名な書籍として、新井紀子『AI vs 教科書の読めない子どもたち』があります。全く異なる書籍のように見えて、どちらも理解力・判断力に乏しい子どもについて書かれているのはお気付きでしょうか。

『AI vs(略)』は文章問題、本書『ケーキの切れない非行少年たち』は図形問題に関しての実験・考察が行われています。また、本書では学習における認知プロセスと介在する感情の支配関係について解説され、心理学的内容が中心といえます。

キモは何?

非行少年の特徴は融通の効かなさなど、私たちが誰でも持っているものもあります。本書では、非行化する可能性のある子どもを見分けるためにIQを用います。その結果、「知的障害」や「境界知能」にあたる子どもは14~16%程度というのです。多いと思われるか、少ないと思われるかは人それぞれかと思いますが、6人に1人は潜在的に非行少年になる可能性があると著者は述べています。

非行少年たちは認知未発達のため、自分の中に行動の選択肢がなく、困惑したらすぐイライラして暴挙に走ります。ほしいものがあればお金を稼ぐのではなく、人から奪ってしまうそうです。

そこで改善策としてあげられるのは、褒めるのではなく、自ら挑戦させること、小さな成功を積ませることが挙げられていました。文章中には著者考案の認知トレーニングなど、いくつも例がありました。実際にお読みになったとき、ご確認ください。

議論:教育の敗北?社会の敗北?

障害をもった子どもたちは本来、大切に守り育てないといけない存在です。それなのに加害者となって被害者を作り、矯正施設に入れられてしまうのです。まさに「教育の敗北」と言っていい状況です。

さて、著者はそのような病名のない非行少年になり得る子どもたちを「障害をもった子ども」としています。「障害」があるのだから、特別な教育が必要であると。本当にそうでしょうか?

確かに、ADHD(注意欠陥多動性障害)などの病名が知れ渡って生活するのが楽になった人も多くいると感じています。しかし、それ以前からADHDの方々はいらっしゃいましたし、以後特別な教育は彼らに行っていません。

逆に変わるべきは社会である、とも言えそうですね。色んな人がいる、ADHDという特徴のある人がいる。確かに完全に理解されているわけではないですが、社会における隣人への息苦しさが変わったのではないかと思います。

非行少年ではないにしろ、IQの観点から認知的発達が遅れている人は特別な教育が必要であるというのは、むしろ社会参画という名の元で除外をしているようにも感じました。

様々な国籍やバックグラウンドを持つ人が働く中で、もうちょっと他人にラフな付き合い方ができればいいなと思いました。

ともあれ多様性について深く考えるきっかけとなりました。ぜひ、書店でお手にとってみてください。

おわりに

どうでも良いことですが、なぜ「非行少年たち」なんでしょうか。本書には次のように書いてありました。

矯正施設では女子でも少年と呼ぶことから、すべて少年で統一しています。

確かに非行少年と言いますが、非行少女とは言わない気がします。もしかしたら、名は体を表すと言いますから、少年は非行してもいい、非行した方がかっこいい、という社会的通念があるのでしょうか。

だとしたら、そのような考えの蔓延が彼ら少年を苦しめているのかもしれないですね。

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