第10話 バブル時代の潜熱
バブル経済の真っ最中、週休二日制が定着しつつあった。日本の社会は活気に満ちていた。男女雇用機会均等法が、施行されて間もない頃だ。
仕事が終わらず、終電を逃した場合、家路につくのは困難を極めた。流しのタクシーは深夜といえども数多く行き来していたが、どれも見向きもしない。彼らは、タクシー券を持った大企業の人たちを迎えに行くのだ。長距離を狙える、美味しい仕事に向かっていた。タクシー券を持たない中小企業の社員は、神頼みとも言える心地でタクシーを何時間も待ち続けなければならなかった。
皆、よく働きよく遊んだ。六本木の街は、深夜も昼間のようだった。歩道は若者で溢れ、車道は外車が列をなしていた。爆発的な活気に満ちていた。ディスコのはしごをし、夜通し遊ぶものも多かった。バブルの最中に風営法の規制が強化され、深夜1時でディスコは閉店しなければならなくなった。そこで、規制を受けた店側は、形の上で1時で一旦閉店し、飲食店やバーの名目で再び開店、夜通し営業を続けた。需要と供給が、そうさせていたのだ。法ではなかった。
そのころのコカ・コーラのCMは当時の雰囲気をよく表している。
作り物でない笑顔が画面いっぱいにはちきれていた。
日本全体がギラギラとした明るい希望に満ち、明日は今日より必ず良くなると信じられていた。
24時間働けますか。ジャパニーズビジネスマン。コマーシャルの大袈裟なセリフに、誰も違和感を感じていなかった。
日本人はエコノミックアニマルと呼ばれ、蔑まれると同時に恐れられた。
エンパイアステートビルやロックフェラーセンターを買収したのもその頃だ。
日本人の働きすぎはフェアではないと思われていた。同じルールの上での戦いではないと非難された。
外国の漫画では日本人旅行者が、メガネをかけ、でっ歯で、首からカメラを下げた姿として嘲笑を含んで描かれていた。
ただ、貪欲に他国の経済を破壊するアニマルとは当の日本人は思っていなかった。日本全体に湧き上がる潜熱が、日本人の持ち得るパワーのすべてを全開にし、あふれ出た結果に過ぎなかった。
株価は右肩上がり。日経平均とダウは、円とドルの違いを除けば、数字の上ではほとんど並行して動いていた。株価は永久に上がり続けるものと思われていた。
たしかに、それはバブルだった。株と土地は実態以上に膨れ上がっていた。しかし、日本人の力そのものが幻だったわけではない。電機、自動車など、日本の基幹産業は実体を伴った製造業であった。モノを作る現場にも、潜熱がほとばしっていた。
SONYの盛田昭夫会長の秘書をしていた人からの伝聞である。そのころのSONYはすでに世界的知名度を持った大企業であったが、創業時のベンチャー精神は失なわれてはいなかった。新しい製品を生み出す気風に満ちていた。
社員は夕方5時まで会社の仕事をこなし、5時を過ぎると、机の下から自分のプロジェクトを取り出した。実現したい製品につながる試作を自主的に繰り返していた。会社の仕事とは関係がないものだった。それぞれの技術者が、何らかのプロジェクトを隠し持っていた。
そのプロジェクトに光が見えてくると、会社のプロジェクトに格上げされ、プロジェクトチームが組織された。こうして、技術者たちの発案による魅力的な製品が世に出されていった。
SONYの製品が革新的で、最先端だったのは、このように技術者たちの中にほとばしる潜熱が動いていたからだった。
バブルがはじけ、その後30年、日本経済は停滞した。家賃も給与もほとんど変わらない。このような停滞は世界に例を見ない。
停滞は国民が変質したからではない。国民の能力が正当に評価されない社会構造に変わったからだ。
明治維新の若者たちは、近代国家を一代で作った。
戦後の焼け野原からは、二十代の青年たちが町工場を起こし、世界企業に育てた。
バブル期の技術者たちは頼まれもしないプロジェクトを自発的に育んだ。
今の若者にも、同じ力がないはずはない。違うのは人間ではなく、その力を発揮できる場があるかどうかだ。生産に対する正当な報酬が得られる社会に戻れば、その報酬で消費が増え、再投資に向かい、正のスパイラルに入る。であれば、町工場も、バブル期の技術者も形を変えて現れるだろう。
潜熱は冷めていない。
塞がれていたマグマに噴出口を与えるだけで、エネルギーは一気に爆発するはずだ。
