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#13 Maurice Utrillo(モーリス・ユトリロ) 100年以上見落とされてきた真実


《L’Impasse Cottin(コティン小路)》1910–1911年頃 フランス・パリ、ポンピドゥー・センター蔵

はじめに

同じ風景を見ても、何かが違って見える人がいます。

モンマルトルの丘では、今も昔も多くの画家が観光客相手に街の風景を描いています。20世紀初頭、その同じ場所で描かれた無数の絵画の中から、世界的な人気を博したのがモーリス・ユトリロでした。題材は誰もが描く普通のパリの街並み。しかしユトリロだけが、その普通の風景を普通でなく描きました。

なぜユトリロだけが人々に突出して愛され、レジオンドヌール勲章を授与されるほどの栄誉を得たのか——その理由を探っていきましょう。

モーリス・ユトリロ

作者と作品の背景

モーリス・ユトリロ:絵を描くことで救われた画家

モーリス・ユトリロ(Maurice Utrillo, 1883–1955)は、パリ・モンマルトルに生まれました。父親は不明で、母は画家でありルノワールのモデルとしても知られたシュザンヌ・ヴァラドン。浮世話の絶えない母親のもと、幼少期から不安定な家庭環境にあり、少年期には寄宿学校を転々としました。祖母に育てられた時期も長く、孤独と不安は幼い頃から彼の日常でした。

  • 絵を描き始めた経緯 十代の終わりにアルコール依存症を発症し、入院先の精神科医の勧めで療養の一環として絵を描き始めます。戸外での制作が困難だったため、自宅の部屋で写真や絵はがきを題材に、身近なモンマルトルの街並みを描き続けました。正規の美術教育をほとんど受けていないにもかかわらず、独学で急速に画力を身につけ、1909年にはサロン・ドートンヌに出品を果たします。

  • 白の時代 1910年前後には白や灰色を基調とした画面が特徴となり、この時期の作品群は後に「白の時代」と呼ばれるようになります。ユトリロは亜鉛白に石膏を混ぜた独自の手法で、モンマルトルの古い壁の質感を再現しました。この時期こそが、ユトリロの独自性が最も際立った時代です。人物をほとんど描かず、街路と建物だけを向き合わせた画面は、当時の前衛的な動向とも流行とも無縁でありながら、見る者の心に直接届く何かを持っていました。

  • 評価と栄誉 ユトリロは「フランスで最も作品の売れた画家」と称され、晩年にはレジオンドヌール勲章を授与されました。1935年には敬虔なカトリックに回帰し、ルシー・ヴァロールと結婚。画家としての名声が確立された後も、生涯にわたってアルコールと精神的不安に苦しみ続けました。どの流派にも属さず、パリの街並みだけを描き続けた画家が、なぜこれほどまでに愛されたのか——その答えは彼の光の扱い方にあります。

作品の解説

《L'Impasse Cottin(コティン小路)》1910–1911年頃 ポンピドゥー・センター蔵、パリ

《L'Impasse Cottin(コティン小路)》1910–1911年頃 ポンピドゥー・センター蔵、パリ

「白の時代」のユトリロの絵にはほとんど人が描かれていません。よく観察すると、陰(shade)や影(shadow)が描かれていないことがわかります。それでもこの作品が平板に見えない大きな要因は、建物の表面のテクスチャーや色がわずかに変化し、輪郭も直線ではなく、画面に有機的な揺らぎを与えている点にあります。

光の扱い方も他の画家とは決定的に異なります。太陽や光源の方向と強さを示すような明暗対比——いわゆる「光と影」を描くのとは対照的に、ユトリロは建物そのものが光を発しているかのような「光と光」を描きました。このため画面全体が柔らかな光を鑑賞者に向かって放っているように見えます。

《The Church of Saint-Séverin(サン=セヴラン教会)》1913年頃 ナショナル・ギャラリー・オブ・アート蔵、ワシントンD.C.

《The Church of Saint-Séverin(サン=セヴラン教会)》1913年頃 ナショナル・ギャラリー・オブ・アート蔵、ワシントンD.C.

同時期の「白の時代」の作品にも同様の傾向が見られます。ここでも陰や影は描かれず、建物に反射しているはずの光が、あたかも光源のように扱われ、建物自体が緩やかに光の源となっているように描かれています。建物の形やテクスチャー、色が有機的で微妙な揺らぎを醸し出し、一見変哲のない普通の風景でありながら、見る者の記憶に静かに刻まれていきます。

Church at Deuil(ドゥイユの教会)》1912年 個人蔵

《Church at Deuil(ドゥイユの教会)》1912年 個人蔵

ドゥイユの教会においても、同じ原理が働いています。普通の街の教会という誰もが描ける題材でありながら、ユトリロの筆を通すと、建物は光を宿した存在として画面に立ち現れます。絵画の表層の下に潜む、ユトリロ独自の風景の捉え方——これこそが、数ある他の作家から抜きんでた人気を博した理由です。

《Rue à Corte, Corse(コルト通り、コルシカ)》1913-14年頃 油彩・キャンバス 60×81cm 個人蔵

《Rue à Corte, Corse(コルト通り、コルシカ)》1913-14年頃 油彩・キャンバス 60×81cm 個人蔵

コルシカ島のCorte(コルト)の街です。1913年の秋にユトリロが母スザンヌ・ヴァラドンとアンドレ・ウッテルとともにコルシカを旅した際に描いた作品です。人影は遠景に点景として描かれています。人影のない活気が見える要素が一つもないのになぜかこの絵からも寂寥感は感じられません。

ユトリロの三大要素 

人影のないユトリロの絵がなぜ、寂寥感の感じられる絵にならないか、ユトリロの絵の持つ構成要素として次の3っつが挙げられます。
①建物にテクスチャーがあり、有機的で豊かな色で構成している。
②建物の輪郭線が微妙に曲がっている
③影を描かない
これらは何の変哲もない特徴のように思われます。であれば、ユトリロの絵は普通の絵と変わらず、幾多の画家の中に埋もれてしまうはずです。しかし、建物は体温を持ち、呼吸をしているように見えます。また自らが発光源になっているようにも見え、それらの要素が絡まってまるで建物が生きているかのように語り掛けてきます。

——これこそがユトリロをモンマルトルの無数の画家の中から突出させた理由でした。

生成AIによる比較検証:ユトリロの三大要素を取り払ったら

それでは、こうした要素をすべて取り払ったらどうなるか。建物が本来の無機物に戻るようにユトリロのかけた魔法を解いたら寂寥感が感じられるのか、生成Aiを使って実験してみましょう。

【原画:ユトリロ】
【生成Ai画像:無機的表演】

対極的描写

二つの絵を見比べると、一目瞭然です。モンマルトルの街路には生気がなくなり、建物の体温は消え元の無機的物体に戻りました。まるで人がいないゴーストタウンの様です。ユトリロの絵にも人影はほとんど見られません。それなのに温かみが感じられるのは、建物が人の代わりをしていたからだということがわかります。有機的な壁面、やんわりと曲がった輪郭線、これらは、建物が生きているように感じさせる要因となっている事は理解できます。
そして第三の要素-影を描かない事―これはまた特別の働きをしていることがわかります。

影がないのは意図的

第三の要素、影がないことがどう作用しているのか。影を描くと建物は光を受け反対側に影を投げかける受動的な存在になります。ところが影を描かないと、建物自体が発光源のように見え、自ら周りを照らす能動的な存在になります。これが建物に生命を与えているものの正体です。

Aiの生成した無機的な絵を見た後にユトリロの絵を見ると、実に建物が生きているように描かれているのかが感じられるでしょう。

普通の絵に潜む秘密

ユトリロは、絵ハガキからにせよ写生にせよ、影のできる位置は分かっていたはずです。ところがそれをあえて描かない。その理由は描かなければ建物に生命を与えることを理解していたからです。

影がない建物は、鑑賞者を突き放す物理的な物体ではなく、暗い時代や孤独な心の中に置かれた「自ら発光する灯台」のような存在でした。

人々がユトリロの絵に求めたのは、寂しさを共有することではなく、冷たい石造りの街並みの中に宿る、圧倒的な「温もり」と「生命の饒舌さ」に触れることだったのです。

そしてこれこそが、ユトリロが、20世紀初頭最も人気を博した画家であった理由なのです。

先入観の威力

100年以上の間、ユトリロの絵画は「孤独」や「寂寥」という形容詞で表現されてきました。これは「街路に人がいない」という事実を反射的に短絡させた結果です。批評家たちは最初に設定されたメンタルブロックを疑うことなく踏襲し続けました。

本来、人々は寂寥感のみを醸し出す絵画を好んで購入することはありません。AI生成画像が見せる無機質な寂寥感と比較すれば、ユトリロの絵画に宿る温かさは一目瞭然です。

私たちは常に、先入観がいかに脳を支配し、そこから脱却することが大事であるということを教えられた検証でもありました。


この記事は、50人の光を描いた画家シリーズの一つです。他の記事はこちらからご覧ください。







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