第28話 国家と神の力学-一神教と多神教
一神教は、多神教より進んだ宗教だと考えている人がいる。多くの神を拝む素朴な段階から、唯一の神を信じる高度な段階へと進化したという見方だ。
一神教が生成していった歴史を見ると、必ずしも、進化の結果として現れたわけではないようだ。歴史的順番では、多神教が先行する。多神教を信じていた国家や民族が、ある時期を境にして、一神教へ鞍替えすることがある。それが、一神教を多神教の発展形態と思い込ませる最大の要因である。
シュメール、エジプト、ギリシャ、ローマの宗教は、すべて多神教であった。複数の神々を抱えても、秩序は崩れないという社会体制であった。そこでは、国家が複数の神を共存させる枠組みとして機能していた。一神教への転換は、この国家と神の関係が変わった時に起きている。
現在まで続く一神教の系譜は、古代イスラエルに遡る。そこでは、民族神を中心とした緩やかな多神教が、他の神を認めない強力な一神教へと移行した。また、ローマ帝国も末期に、多神教からキリスト教という一神教へと転換していった。この二つの歴史から何かつかめる事があるはずだ。
古代イスラエルの人々は、初めから唯一神だけを信じていたわけではない。ヤハウェを自分たちの民族神として第一に置きながら、他民族の神々も認めていた。
紀元前586年、ユダ王国は新バビロニアに滅ぼされる。国土も、王も、神殿も失われた。民族の神が国を守るのであれば、これは、ヤハウェが敵の神に敗れたことを意味する。それを認めれば、信仰も、民族としての誇りも崩れる。
そこで、敗れた民は一石を投じた。ヤハウェは敗れたのではないと考えた。ヤハウェは世界を支配する唯一神であり、バビロニアさえ使って、自らの民を罰したのだと解釈したのである。複数の神を認めたままでは、ヤハウェは敵の神より下に置かれる。唯一神を持ち出すことにより、神の序列そのものを葬った。
国家を失った民族は、国家に代わる支柱を唯一神に求めた。国家が神を支えるのではなく、国家を失った民族を神が支える構造へと変わったのである。
厳密な一神教の成立時期には議論があるが、バビロン捕囚が、その普遍化を促した大きな契機であったことは、広く認められている。
次に、ローマ帝国が一神教へと転換していった経緯を見てみよう。
拡大するローマ帝国は、征服した土地の神を否定しなかった。自分たちの神々の中へ取り込んだ。外国の神が一柱増えても、それまでの神は否定されない。世界の複雑さを、複雑なまま抱えていられた。
それができたのは、複数の神を抱えても、国家の中心は揺らがないという余裕があったからである。国家が神々を束ねる側にいた。
その余裕が、三世紀以降、次第に失われていく。外敵の圧力が増し、経済は停滞し、皇帝の権威は失墜する。社会は、複数の中心を抱えたまま持ちこたえる体力を失っていった。四世紀に、それまで弾圧されてきたキリスト教が公認され、やがて帝国の宗教となる。
イスラエルのように、国が滅ぼされた中での、民族神が唯一神へ昇格した形ではない。国家は継続している。手遅れになる前に、弱体化した国家の存続をかけて、国家の統合を唯一神に委ねたのである。
国家の枠組みがしっかりしていれば、人心が複数の神に分散していても、国はまとまる。その枠組みが弱まれば、人心を掌握する中心を、国家から唯一神へと移すことが、生き残りのために残された道となる。国力という観点から見れば、多神教は勝者・強者の宗教であり、一神教は敗者・弱者の宗教と言える。国力とは、経済力、軍事力等に支えられた、人心の安寧を指す。
イスラム教も出発点では弱者の原理で動いていた。ムハンマドが布教を始めた当初、信徒はメッカの多神教社会の中の少数派であり、迫害を受ける側にいた。彼らは唯一神のもとに共同体を作り、結束して対抗した。
多神教と一神教の背景の違いは、サッカーにおける強者と弱者の戦術の違いにも、見受けられる。
強豪チームの戦術は、選択肢を数多く持つ。圧倒的にボールを保持し、フィールドを支配する。トップも、ミドルも、状況に応じてシュートを放つ。選手のポジションが、前後左右で入れ替わることも珍しくない。選手の能力が多彩なため成せる技である。
相手は、どの一手が来るかわからず、すべての動きに対応できない。選択肢の多さが、力となる。多神教の選択肢と相似する。
一方、弱小チームの戦術は、戦力の集中が必須だ。強者と同じことを試みれば、すべての場面でせり負ける。ボールを保持することは諦め、自陣ゴール前で守りを固める。どのみちボールには触らせてもらえないのだから。
ただし、守っているだけでは点は取れない。勝つためには、千載一遇の機会を窺い、カウンター攻撃一本に集中する。これが、弱者が強者に勝つための唯一の方法となる。一神教の一点集中と相似する。
強者と弱者では勝つための戦略が違う。
強者として余裕がある場合、攻撃は多彩に仕掛けられる。弱者として余裕がない場合、攻撃は一点に集中する
一神教と多神教の違いは、この戦略の違いになぞらえられる。
国力が、神の力を上回る時、国は多神教を保持できる。神の力が国力を上回る時、国は人心掌握を、一神教の神に譲る。
中世ヨーロッパで、国王や皇帝の権威が、教会による戴冠によって承認されたことは、神と国の力関係を象徴している。国家が神を支えるのではなく、神が国家の権威を支えたのである。多神教のギリシャやローマでは、神が、国家や皇帝に上から権威を与えるようなことはなかった。
ここで、一つ見逃してはならないのは、弱者の生存戦略として一神教を取り入れた国家や地域が、後に勢力を盛り返し、強者の立場を獲得した際に、多神教へと戻ることはない点だ。ひとたび強力な唯一神を持てば、他の神が入り込む余地はなくなるからだ。
つまり、多神教から一神教への変化は、構造的に不可逆的な変化となる。一度変われば、元へは戻れない。
その結果、2020年時点で、世界でキリスト教、イスラム教、ユダヤ教という一神教の占める割合は、宗教人口の約72%という圧倒的多数となっている。ギリシャ、ローマ時代に、一神教の占める割合は、これよりはるかに少なかったはずだ。
現在では多数派となった一神教が多神教の発展形だと認識するのは、不可逆的な変化を、進化と取り違えたせいだ。
多神教では、国家が神々を束ねる。一神教では、唯一神が国家や民族を束ねる。国家と神の間に働く力学により、どちらが社会を統合するかが決まる。そこに進化の方向はない。
NOTEクリエーターのサナイチさんに拙稿を取り上げていただきました。更に、どう生かすかというところまで膨らませていらっしゃいます。こちらの記事をどうぞご覧ください。
