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#53 世界が本物を見抜く時—メーヘレン事件が問いかけるもの

ここに世界を騒がせた一人の男がいます。
第二次世界大戦前後、ナチスをも騙したという詐欺師、フェルメールの贋作者として知られるハン・ファン・メーヘレン。

彼が売りさばいた作品は自身の手によるもので、ナチスに売っていなければ、今でも本物として通用していたであろう稀代の贋作者です。

ハン・ファン・メーヘレン

いったい彼が何を残したのか、その足跡をひも解いていきましょう。

オランダの画家、ハン・ファン・メーヘレン(1889–1947。美術史が「詐欺師」として記録した男です。

メーヘレンはもともと実力のある画家でしたが、批評家たちから正当な評価を得られず、深い欲求不満を抱えていました。そこで彼が選んだ道は、17世紀オランダの巨匠フェルメールの「失われた作品」を捏造することでした。南フランスの別荘に引きこもり、6年の歳月をかけて17世紀の絵具の調合法を研究し、当時の古いカンバスを入手し、絵具を人工的に硬化させる技術まで開発しました。

《エマオの晩餐》ハン・ファン・メーヘレン

1937年、彼が送り出した最初の贋作《エマオの晩餐》は、フェルメール研究の世界的権威アブラハム・ブレディウスに「フェルメールの傑作」として鑑定されました。美術界が大騒ぎになり、ロッテルダムのボイマンス美術館が高額で購入しました。

成功に味をしめたメーヘレンは次々と贋作を制作し、巨万の富を得ました。豪邸を購入し、派手な生活を送りました。そして1942年、彼はナチス・ドイツの最高幹部ヘルマン・ゲーリングに「フェルメールの新発見作品」を売りつけます。価格は現在の価値に換算すると数十億円に相当するものでした。

法廷でのハン・ファン・メーヘレン

戦後、連合国軍がゲーリングのコレクションを調査したとき、この「フェルメール」が出てきました。調査を遡っていくと、売却元がメーヘレンであることが判明しました。オランダにとってフェルメールは国宝級の存在です。それをナチスに売ったとなれば、文化財の敵国への横流し——国家反逆罪です。メーヘレンは逮捕され、死刑になりかねない状況に追い込まれました。

追い詰められた彼は、法廷でこう叫びました。「あの絵はフェルメールではない。私が描いたのだ」と。

誰も信じませんでした。世界最高の鑑定家が本物と認めた絵を、自分が描いたなどと言っても、証拠がなければ言い逃れにしか聞こえません。

そこでメーヘレンは法廷監視のもと、新たな「フェルメール」を描いてみせました。同じ顔料、同じ技法、同じ硬化処理——見る見るうちに、フェルメールと見分けのつかない絵が完成していきました。法廷は静まり返りました。

贋作の証明

国家反逆罪は取り下げられ、罪状は詐欺と偽造に軽減されました。判決は懲役1年。

ナチスに売った一点の贋作を証明すれば、国家反逆罪は免れました。それで十分だったはずです。しかしメーヘレンはそこで止まりませんでした。世界中の美術館に収蔵されている他の作品も、次々と「あれも私が描いた」と自白していったのです。自分をさらに深みにはめるような告白を、なぜ続けたのでしょうか。

技術を誇示するためではありませんでした。「フェルメールの本質を最も深く理解していたのは私だ」——裁判という公の場でなければ社会に訴えられないことを、ここぞとばかりに暴露したのです。恐らく、死ぬ前に自分の売った作品が贋作だったことを知らしめるつもりだったのでしょう。その機会が、予定より早く来ただけなのかもしれません。

そこには、メーヘレンが贋作者になった本質的な理由がありました。絵の価値は、それにまつわるクレジットによって決められる。そのクレジットの価値は、絵の本質的な価値よりはるかに高い。私の贋作に騙されたことによって、あなたたちが何に価値を置いてきたか思い知るだろう——と。

同じ絵でも、贋作とわかった瞬間にクレジットの価値はゼロになります。本物と見分けがつかないほど精巧な絵であっても、です。つまり人々が払っていたお金は、絵そのものに対してではありませんでした。フェルメールというクレジットに対して払っていたのです。

画家が個展を重ねるたびに、賞を取るたびに、値段が上がります。絵は変わっていません。変わるのは画家を取り巻く社会的文脈だけです。アート市場が売買しているのは絵ではなく、クレジットです。そしてそのクレジットの値段が、画家が心血を注いで生み出した作品の値段をはるかに超えていく。これは創造と資本の根本的な矛盾です。

テートの学芸員でさえ、無名の新人の絵に数億の値段をつけることはできません。どれだけ眼力があっても、クレジットなしには市場は動かないからです。眼力と権力は別物です。

評論家への復讐でもありました。あなたたちは作品の外側から言葉を積み上げている、私はフェルメールという画家の世界観と同調することにより、フェルメールの描く世界が描けた。それを表層からしか見れないあなたたちには見抜けなかった——彼はそう思っていたに違いありません。恐らく戦争がなければ、私の作品は永久にフェルメールの作品として記録され、だれも不利益を被らなかったでしょう、とも。

そしてこれは、この出来事の本質をついています。もし贋作がばれなかったら、誰も不利益を被らなかった。美術館は名画を所蔵し、コレクターは満足し、評論家は絶賛し続けた。つまり社会はクレジットという幻想にお金を払っているのであり、その幻想があり続ける限り、贋作であっても本物と同じ価値を持ちます。そしてその幻想が消えた時、価値も同時に消える。これ程明白な構造はありません。

価値とは客観的、絶対的なものではなく、人々が共有する幻想の上に成り立っている——メーヘレンはそのことを、自らの人生をかけて証明しました。
メーヘレンは自分の絵のクレジットをフェルメールから借りました。贋作を自ら宣言したとき、クレジットは返還されました。絵の価値とは無関係なところで、その取引がなされていたのです。

美術史のメーヘレンに対する認識は詐欺師です。
しかしメーヘレンは世界的権威を持つ評論家より深くフェルメールの世界観を理解していた。この事実は、もう一度見直す必要があるのではないでしょうか。贋作という行為は否定されるべきです。しかしその認識能力は、今まで直視されず、正当に評価されてこなかったと思います。

メーヘレン事件が投げかけた問いは、現在の社会にもなお当てはまります。虚飾をはいだ本質とは何か。それを常に意識している人はごくわずかです。画家を理解する優れた能力を贋作者として活用すれば、画家の持つクレジットを借用し、悪用することができる。私たちの抱くクレジットという幻想が、ものの本質をゆがめていないか、もう一度、自分自身の物の見方に立ち返って考えてみることが必要なのではないでしょうか。

メーヘレン事件の約60年後、サルバトール・ムンディは、レオナルド・ダビンチの「工房作」として約1000ドルで2005年に売られました。
この絵はその後の修復と調査でレオナルドの真筆である可能性が浮上し、2011年のロンドンナショナル・ギャラリー展で「真筆」として世界に発表されます。これが引き金となり、2017年のオークションで4億5千万ドルという史上最高額での落札につながりました。

《サルバトール・ムンディ(Salvator Mundi)》約1500年 油彩・クルミ材 45.4×65.6cm 現在所在不明 Image source: Wikimedia Commons

ところがルーブルが独自調査を行った結果、「レオナルドは部分的にしか関与していない」という結論に達します。2019年のルーブルでの大回顧展での展示を「工房作」として行おうとしたところ、オーナーのMBSが「100%レオナルドの真筆として展示せよ」と要求。ルーブルはこれを拒否し、展示は中止になりました。理由は公式に発表されないまま、絵は現在も行方不明です。もし「工房作」と公式に発表されれば、価値は150万ドル程度まで暴落するという試算があります。これはオークションでの価格の300分の1です。

言ってみればレオナルドの弟子たちのクレジットは師匠の300分の1ということになります。同じ絵が、クレジットの評価によりこれだけ変わる。メーヘレンが、生涯をかけて訴えた本質的な価値とは何かという問いかけは、事件にもかかわらず、社会にはなんの変化も与えられませんでした。恐らくメーヘレンはあの世で、苦笑いしているでしょう。「性懲りもない奴らだ」と。

世界が本物を見抜く時、メーヘレンの垣間見た世界、新たな価値観の時代が始まるに違いありません。


この記事は、50人の光を描いた画家シリーズの一つです。他の記事はこちらからご覧ください。






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