見出し画像

#39 Leo Lesser Ury(レオ・レッサー・ユリィ)その1 心地よい距離感のベルリン時代


《夜のポツダム広場(Potsdamer Platz at Night)》 1920年代半ば 油彩・カンヴァス 79.6×100cm イスラエル博物館蔵

はじめに

2022年日本ではほとんど知られていなかった、イスラエル博文館一推しの画家レオ・レッサー・ユリィが、主催者の予想に反して絶大な人気を博したのは記憶に新しいことと思います。夜のポツダム広場をはじめ、4点の作品が三菱一号館美術館やあべのハルカス美術館で展示されモネやゴッホ、ルノワールなど同時に展示された作品をしのぐ人気を博していたようです。

では、なぜ彼の作品がそれほどまでに人気なのか、探ぐっていきましょう。

ユリィの都会の作品はベルリンを描いた時代と、ロンドンを描いた時代に分かれます。まずは、この記事では、先に描かれたベルリンの作品群を取り上げます。

レオ・レッサー・ユリィ

作者と作品の背景

レッサー・ユリィ:孤独と光の都市詩人

レッサー・ユリィ(1861–1931)は、ベルリンが世界的なメトロポリスへと急成長する狂騒の時代を、その渦中から少し離れた窓際から見つめ続けた画家です。彼の描く都市は、単なる近代化の記録ではありません。雨に濡れたアスファルトに垂直に伸びる街灯の光、夜のカフェの窓から漏れる温かくもどこか冷ややかな照明。それらは、群衆の中にいながらも拭い去れない都会の孤独を美しく肯定する装置として機能しています。

  1. 印象派を超えた質感の表現 フランスの印象派が太陽の下で色彩を分割したのに対し、ユリィは人工光の下で色彩をにじませました。彼の筆致は、光そのものを描くというより、光を反射する湿った空気や濡れた路面の質感(テクスチャ)を定着させることに注力しています。この湿り気こそが、彼の絵画に特有の抒情性を与えているのです。

  2. 徹底したアウトサイダーの視点 ユリィはその生涯の多くを、画壇からの冷遇と戦いながら過ごしました。彼は物語性や教訓を一切排除し、ただ光の粒子が都会の闇をどう削り取るかという一点に執着しました。その徹底した観察眼が、場所や時代を特定するディテールを溶かし去り、結果として現代の私たちが抱く夜の街への郷愁と共鳴する普遍性を生み出したのです。

  3. 都市の静止と流動 彼の作品の面白さは、走る車や行き交う人々といった流動するものを、光の柱という静止した垂直線で串刺しにするような構成にあります。この静と動のコントラストが、一瞬の光景を永遠の沈黙の中に閉じ込めるような、不思議な磁力を放っています。

ユリィの絵が現代の日本でこれほど愛されているのは、彼が描いたのが100年前のベルリンではなく、都市に生きる人間がふと感じる、美しくも切ない静寂そのものだったからではないでしょうか。


作品の解説

《夜のポツダム広場(Potsdamer Platz at Night)》 1920年代半ば 油彩・カンヴァス 79.6×100cm イスラエル博物館蔵

《夜のポツダム広場(Potsdamer Platz at Night)》1920年代半ば イスラエル博物館蔵

ベルリンでのユリィは、急速に近代化する都市の熱量を、雨に濡れた路面とそこに突き刺さる鋭い光の反射を通して描き出しました。絶え間なく行き交う車や群衆、カフェから漏れる灯りは、都市のダイナミズムを象徴しています。ここでは光は闇を切り裂く鋭利な存在であり、孤独と高揚感が同居する都会の夜の表情を鮮やかに捉えています。


《カフェの前(夜のベルリン)(In Front of the Cafe (Berlin at Night))》 1920年代 油彩・カンヴァス 65×90.5cm イスラエル博物館蔵

《カフェの前(夜のベルリン)(In Front of the Cafe (Berlin at Night))》1920年代 イスラエル博物館蔵

この絵で目を引くのは、カフェの内側から溢れ出す光と、その外に広がる夜の闇の対比です。カフェの窓は明るく、人々の影がその中に揺れています。しかしユリィの視点は、あくまでも外側——街路に立ち、ガラス越しに内側を眺める者の位置にあります。

暖かな光の中にいる人々と、冷たい夜の街路に立つ者。ユリィが繰り返し描いたのは、この「内と外の境界線」でした。カフェの灯りは鑑賞者を誘いますが、ユリィはその手前で立ち止まります。喧騒の中に身を置きながら、一歩引いた距離から眺めるという姿勢——それが彼の絵画の根底に流れる孤独の正体ではないでしょうか。


《高架駅ビューロー通り(夜のベルリン)(Hochbahnhof Bülowstraße, Berlin at Night)》 1922年 油彩・カンヴァス 70×100.5cm イスラエル博物館蔵

《高架駅ビューロー通り(夜のベルリン)(Hochbahnhof Bülowstraße, Berlin at Night)》1922年 イスラエル博物館蔵

1922年のベルリンはすでに自動車と高架鉄道が街を席巻する近代都市でした。この絵でユリィが選んだモチーフは、その象徴ともいえる高架駅です。鉄骨の構造物が夜空に向かってそびえ、その下を人々と車が行き交います。

しかし彼の筆はその構造物を正確に描こうとはしません。光が雨に濡れた路面に反射し、鉄骨は闇の中に溶けて輪郭を失います。近代化のシンボルであるはずの高架駅が、ユリィの手にかかると、光と影が混ざり合う詩的な場景へと変わっています。都市の進歩を記録するのではなく、その中に漂う一瞬の静けさを掬い取る——それがユリィの一貫した眼差しでした。

生成AIによる比較検証:筆触分割で描いたら夜の孤独は消えるのか

ユリィは印象派と言われながらも、彼らの使う筆触分割は使いませんでした。印象派の描く光景は主に昼間の太陽の光の推移であるのに対し、ユリィの場合夜の都会という人工光で、研ぎ澄まされた表現が必要だったためと思われます。生成AIにより、筆触分割を使った表現であればどうなっていたか見てみましょう。

【原画:ユリィ】


【AI生成:筆触分割バリエーション】

二つを見比べると、その違いは一目瞭然です。

筆触分割で描かれた画面では、光は点の集積となって全方向に拡散し、路面の反射は黄金色に広がります。傘を持つ人物たちは光の粒子の中に半ば溶け込み、個々の孤独ではなく群衆としての賑わいが前面に出てきます。ユリィが描いた「串刺し」の鋭い垂直線は消え、画面全体が均質な祝祭的エネルギーで満たされています。

「光は闇を切り裂く鋭利な存在であり、孤独と高揚感が同居する都会の夜」——ユリィの原画に与えたこの解説は、筆触分割バリエーションには当てはまりません。こちらには「光は闇の中に楽し気に拡散してゆく存在であり、賑わいと期待感が同居する都会の夜」という別の言葉が必要です。

ユリィの人気の秘密は、こうした対比から浮き彫りになるように、夜になっても絶えることのない都会の喧騒を描きながらも、その中に漂う孤独を美しく掬い上げているところにあるのではないでしょうか。その孤独とは、断絶された救いようのない絶望ではなく、喧騒から一歩引いた場所にいることによる心地よい距離感——すべてを静かに見守る俯瞰的な視線が許された、流れの中の淀みに身を置いた安らぎに近いものです。だからこそ彼の描く夜は、恐れよりも深い共感を、100年を経た今を生きる私たちの心に呼び起こすのです。




いいなと思ったら応援しよう!