#28 Franz Marc(フランツ・マルク)構成要素としての光

はじめに
20世紀初頭のドイツでは、絵画が現実の再現から離れ、感覚や構成そのものを追う方向へ移行しました。その動きを代表するのが表現主義です。印象派が光や一瞬の印象を重視し外界を独自の方法で写し取るのに対し、表現主義は画家自身の感覚や構成意識を形と色で明確に示すことを目的とし、内面を外界に映し出しました。
この潮流の中で活動したフランツ・マルクは、対象を描くことよりも、絵画をどう構成するかという問題に取り組みました。1911年の《青い馬Ⅰ》は、その探求の初期に位置づけられる作品です。

作者と作品の背景
フランツ・マルク:形と色で宇宙を構成した画家
フランツ・マルク(1880–1916)はミュンヘンに生まれ、ミュンヘン美術アカデミーで学びました。初期には写実的な風景や人物を描いていましたが、次第に自然の構造や形の秩序に関心を向けるようになります。
青騎士の結成 1911年、マルクはワシリー・カンディンスキーらとともに〈青騎士(Der Blaue Reiter)〉を結成します。絵画を外界の模写ではなく構成的行為として位置づけたこの運動は、ドイツ表現主義の中でも特に精神的・抽象的な方向性を示しました。
色彩の象徴体系 マルクは色彩に独自の象徴的意味を与えました。青は男性的・精神的・厳粛なもの、黄は女性的・官能的・陽気なもの、赤は物質的・重いものを表すとしました。《青い馬》の青はこの体系に基づく選択です。
動物という主題 マルクは動物を「人間よりも純粋な存在」として捉えていました。文明に汚染されていない動物の視点から世界を描こうとした彼にとって、馬・鹿・狐などの動物は精神的理念の担い手でした。
抽象への移行 《青い馬Ⅰ》以降、マルクの関心は形と色の構成関係へと移り、1913年頃にはより抽象的な構造体へと展開していきます。カンディンスキーと並ぶ抽象絵画の先駆者として位置づけられています。
戦死 1916年、マルクは第一次世界大戦のヴェルダンの戦いで戦死しました。36歳でした。短い生涯の中で残した作品群は、表現主義の中でも特に構成的な方向性を示した例として美術史に刻まれています。
作品の解説

《青い馬Ⅰ》1911年 レンバッハハウス市立美術館蔵
画面中央の馬は、ほぼ正面を向き、穏やかに首を傾げています。その輪郭は明確に描かれ具体的な形を示しながらも、背景の抽象化された風景に対して浮かび上がる構成要素として描かれています。
背景の赤・緑・黄は風景の再現ではなく、グラフィックデザイン的な色彩のバックグラウンドとして描かれています。自然界には青い馬は存在しません。中心的主題として馬という形と青という色を選び、それを最も良く引き立てるために背景の色を選択したのでしょう。
馬の胸は、あたかも光が反射されているように白く描かれています。光は自然現象を映し出したものではなく、画面の構成要素として利用されています。しかしこの白は単なる色彩バランスの調整にとどまりません。マルクは初期の段階から光の反射に関心を持っていました。

《そりを引く少年》1900年頃 レンバッハハウス市立美術館蔵
雪面に反射する太陽の光が主題として描かれています。光が地面という物体に反射し、その反射光が画面を満たす——これはマルクが写実的な時期から一貫して持ち続けていた光への関心の表れです。

《山小屋のアルプスの羊飼い》1902年 レンバッハハウス市立美術館蔵
厚い壁にうがたれた窓からの光が、男性のシャツに反射しています。光源(窓)と反射面(シャツ)という関係が明確に意識されています。
この二枚を踏まえると、《青い馬Ⅰ》の胸の白もまた、色のバランスをとるだけでなく、光の反射として意識されていたと考えられます。光は構成要素として利用されながら、同時に自然現象への観察に根ざしていたのです。
生成AIによる比較検証:白を取り除いたらどう変わるか
マルクが光の反射として馬の胸を白く描いたとして、もしその白がなかったらどうなるか——生成AIにより検証しました。


まずは、青の面積が大きすぎるために、画面の印象が重くなっているのがわかります。馬の体重まで重くなっているように感じられます。ただしインパクトは重い文こちらの方があるように見えます。原画の白という光の反射を取りいれることは、画面に軽快感を与え、背景との連携を強くするという目的にかなっていることがわかります。
一見、青い馬というタイトルからは生成AIの方が、適しているようにも思えますが、何か平凡さ、底の浅さを感じてしまうのは、光の操作という作者の手が、原画の方に加えられているからでしょう。
