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#11 Jean Dominique Antony Metzinger (ジャン・メッツァンジェ)物質としての色


《Coucher de Soleil No.1(日没 No.1)》1906年 油彩・カンヴァス クレラー=ミュラー美術館蔵、オッテルロー

はじめに

人間は外界を認識するとき、網膜上にある三種類の錐体細胞——赤、緑、青に反応する受容体——を使います。それぞれの錐体が受ける刺激の強度の組み合わせによって、色は決定されます。メッツァンジェの《日没 No.1》は、その原理をキャンバスの上に焼き付けようとした実験的な試みでした。

メッツァンジェの試みが、印象派を受け継ぐものと考えられながらも、実は全く異なるアプローチだったという理由を深く探っていきたいと思います。

ジャン・メッツァンジェ

作者と作品の背景

ジャン・メッツァンジェ:色を物質として扱った画家

ジャン・メッツァンジェ(1883–1956)は、のちにピカソやブラックと並ぶキュビスムの中心的な画家となりますが、その出発点は後期印象派にありました。印象派の画家たちが鑑賞者の網膜での混色を期待して筆触分割を行っていたのに対し、メッツァンジェはその筆触を形式的なピグメントの構成単位としてとらえました。彼にとって色は視覚的な印象ではなく、画面を構築する物質そのものだったのです。

この考え方はスーラの点描にも通じますが、メッツァンジェの場合は筆触の単位がより大きく、絵具の混色による自然な再現を避けています。彼は、光がプリズムによって七色に分解される現象——つまり太陽光や反射光が、さまざまな波長の光、すなわち色の集合体であることを前提にしていました。風景とは、そうした多様な波長が織りなすスペクトルの総体であり、メッツァンジェはその構成要素をひとつひとつのピグメントとして分離し、再配置することで表現したのです。

  • ドローネーとの交流 1906年の夏、メッツァンジェとロベール・ドローネーは互いの肖像を描き合いました。二人はともに色を物質的な構成単位として扱う実験を共有しており、この時期の作品はその共同探求の記録でもあります。

  • キュビスムへの道 この色彩の物質化という実験は、やがてメッツァンジェをキュビスムへと導きます。色の構成単位が形の構成単位へと転換されるとき、キュビスムが生まれます。

  • 印象派との決定的な違い 印象派が鑑賞者の網膜での混色を期待していたのに対し、色彩を構成要素として風景を機械的に構築しなおすというメッツァンジェのアプローチは、形の表す意味さえなくなれば純粋抽象絵画となるところまで来ていました。

作品の解説

《Coucher de Soleil No.1(日没 No.1)》1906年 油彩・カンヴァス クレラー=ミュラー美術館蔵、オッテルロー

《日没 No.1》1906年 クレラー=ミュラー美術館蔵、オッテルロー

メッツァンジェは、光がプリズムによって分解される現象を絵画の中に応用し、風景を「本来の構成色に分解して表す」という実験を行いました。彼にとって重要だったのは、自然の見え方を再現することではなく、光そのものの構造を可視化することでした。

この試みは印象派の延長線上と言われながらも、決定的に異なるものでした。印象派が鑑賞者の網膜での混色を期待していたのに対し、メッツァンジェは色彩を構成要素として風景を機械的に構築しなおしています。まさに風景の中に存在する光の法則を、絵画的構造として翻訳した試みと言えます

《Paysage au disque solaire(円盤のある風景)》1906年頃 油彩・カンヴァス 国立近代美術館(ポンピドゥー・センター)蔵、パリ

《円盤のある風景》1906年頃 国立近代美術館蔵、パリ ロベール・ドローネー作

こうした光を分解して表現する考え方は、同時代のロベール・ドローネーにも受け継がれました。ドローネーはさらに色の分割と混色の数を増やし、光を旋律のように循環させる構造へと発展させています。メッツァンジェの分析的構成に対し、ドローネーはそれを音楽的に展開し、後のオルフィスムにつながる道を切り開きました。


《Jean Metzinger(ジャン・メッツァンジェの肖像)》1906年 油彩・カンヴァス 54.9×43.2cm ヒューストン美術館蔵 ロベール・ドローネー作

《ジャン・メッツァンジェの肖像》1906年 ヒューストン美術館蔵 ロベール・ドローネー作

これはメッツァンジェの肖像画ですが、描いたのはメッツァンジェ自身ではなく、盟友ロベール・ドローネーです。1906年の夏、二人は互いの肖像を描き合いました——メッツァンジェがドローネーを描き、ドローネーがメッツァンジェを描いた。その交換制作の一枚がこの作品です。

画面全体を覆う大きな矩形の色面——緑、青、黄、赤が規則的に並べられています。人物の顔も衣服も背景も、すべて同じ構成単位の色の塊として描かれています。ここでは色は印象でも感情でもなく、物質です。絵具という物質が、光のスペクトルの構成要素として画面に配置されています。

この手法はモザイクタイルとも見えますが、現代のデジタル技法——画面をピクセル単位にして一つひとつのピクセルに一色を与え、ピクセルを細かくすればするほど滑らかに見えますが、拡大するとギザギザが見えてくる——その拡大されたデジタルピクセルを奇しくも表現していると言えます。

メッツァンジェもドローネーも、印象派のように鑑賞者の網膜での混色を期待していたのではなく、ピクセルそのものを独立して見せるという、まったく別のアプローチをしていることがわかります。色を物質として解放した先駆者と言えましょう。

生成AIによる比較検証:従属する色と独立する色

【原画:メッツァンジェ《日没 No.1》1906年】


【AI生成:印象派スタイルへの変換】

同じ構図を印象派スタイルで描き直しました。

印象派スタイルに変換した途端、色の塊が溶け合い、光が大気の中に戻っていきます。木々は葉の集積ではなく光の中の影として存在し、空と太陽は滲み合い、地面は流れるような筆触で光を受けています。これは私たちが目で見る世界に近い——光は分解されておらず、大気の中で溶け合っています。

原画のメッツァンジェと並べると、逆の操作が見えてきます。メッツァンジェは、この溶け合った光を意図的に分解しました。大気の中に一体化していた光を、色という構成要素に切り離し、一つひとつを独立した物質として画面に配置したのです。

印象派の光の解体が、あくまで色を素早く純粋に表現しようとした目的であったのに対し、メッツァンジェの光の解体は、色を物質化して、その存在感を表そうとした、色そのものの独立が目的であったことがよくわかります。

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