#12 Armando Reverón (アルマンド・レヴェロン)形と色を消していった画家

はじめに
風景画はその描かれた土地に根ざすために、その土地の光、色、空気と密接に関係していることは確かですが、アルマンド・レヴェロンほど、その特徴を捉えている画家は少ないでしょう。
高温多湿の熱帯特有の気候を表現した《Paisaje》は、まるで湿気を含んだ空気の重量をも表わしているようです。画面を覆う淡いブルーと白の層は、木々や草原を示しながらも、その重い空気のフィルターを通して目に届く時には、形が溶けかけている様子です。
画家が光を描くという目標に向かって行ったとき、その到達点は意外にも似たようなものになるという例も、ご紹介していきたいと思います。

作者と作品の背景
アルマンド・レヴェロン:熱帯の光を描いた画家
アルマンド・レヴェロン(1889–1954)は、ベネズエラの首都カラカスに生まれた、20世紀前半を代表する南米の画家です。若い頃にスペインやフランスで印象派の流れに触れましたが、彼が目指したのは単なる模倣ではなく、熱帯の光を自らの感覚で描くことでした。
白の時代 1920年代以降、レヴェロンは首都を離れ、マカーノの海辺にアトリエを構えます。ほとんど孤独に近い生活のなかで制作に没頭し、やがて彼の絵からは輪郭が消え、画面全体が白い光の層に覆われるようになります。この時期は「白の時代(Periodo Blanco)」と呼ばれ、《Paisaje》はその頂点に位置する作品です。
光を描くとは存在の境界を消すこと レヴェロンにとって、光を描くとは、存在の境界を消していく行為でした。
南米の孤独な先駆者 ヨーロッパの美術運動から遠く離れた南米の浜辺で、レヴェロンは独自の方法で光の本質に迫っていきました。
作品の解説

《Paisaje(風景)》1922年 ベネズエラ国立美術館蔵
《Paisaje》の画面には、樹木や丘のような形がかすかに見えます。南米の湿気を含んだ空気が、まるで陽炎の向こうに風景を見るように揺れ、形の輪郭は光の震えの中でほどけていきます。遠景と近景の区別が曖昧になり、風景というよりも、空気の粒子に乱反射する光そのものが網膜を刺激しているようです。
レヴェロンは、太陽の強烈な輝きが色を奪い、形をも消していく瞬間を捉えようとしました。この《Paisaje》は、地形の原型を描いた風景画ではなく、熱帯の多湿の空気を通り抜けてきた光そのものが現実であるという、網膜に現れた視覚体験を提示しています。

《El playón(浜辺)》1929年 ダイアン&ブルース・ハレ・コレクション蔵
レヴェロンが制作拠点としていたマカーノ近郊の浜辺、プラヨンを描いた作品です。浜や樹木、海はほとんど空気に溶け合い、物質としての姿を失っていくようです。《Paisaje》よりさらに空気と光の関係が強調されており、形の消滅はより深く進んでいます

《ヴェネツィア、サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会の夕景》1840年 テート・コレクション蔵、ロンドン J.M.W.ターナー作
光を主題とする風景画が行き着く先は、同じような表現に到達することがあります。
このターナーの作品は、南米とイタリアという全く気候の異なる場所で描かれながら、レヴェロンの《浜辺》と響き合うものがあります。光を描こうとした場合、同じ山に別々のルートで登っても、やがて同じ頂上で出会うということを示しているのかもしれません。


同じ熱帯の風景を、ゴーギャンのタヒチ期スタイルで描き直しました。
アマゾンとタヒチ——厳密には異なる場所ですが、高温多湿の熱帯という条件、豊かな植生、強烈な太陽という点では共通しています。同じような環境に生きた二人の画家が、何に着目したかによって、これほど正反対の絵が生まれました。
ゴーギャンの熱帯には形があり、色があります。木々は輪郭を持ち、丘は色面として存在し、緑、橙、赤、青が力強く画面を満たしています。熱帯の豊かさは、形と色の爆発として表現されています。
レヴェロンの熱帯には形がなく、色がありません。強烈な太陽と水蒸気が輪郭を溶かし、色を奪い、すべてを白い光の中に還元しています。熱帯の豊かさは、光の中に消えていく過程として表現されています。
同じ熱帯でありながら、着目する部分が違えばこれほど異なる絵になる。形と色を見たゴーギャン、形と色が消えていく瞬間を見たレヴェロン——この二枚はその違いを鮮明に示しています。
