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#41 Eugène Jansson(エウジェン・ヤンソン)追わない波紋


《リッダルフィエルデン湾を望む夜明け(Dawn over Riddarfjärden)》1899年 油彩・カンヴァス 150×201cm プリンス・エウジェン・ワルデマルスッデ美術館蔵

はじめに

今回ご紹介するエウジェン・ヤンソン(1862–1915)は、スウェーデンが生んだ、おそらく最も孤独な光の画家です。同時代のノルウェーにはムンクがいました。ムンクの叫びと不安が世界的に知られているのに対し、ヤンソンはほぼ同じ時代、ほぼ同じ北欧の夜を描きながら、今なお北欧圏以外ではほとんど知られていません。しかしその絵を一度見た人は、あの濃密な青の世界を容易に忘れることができないはずです。

エウジェン・ヤンソン(肖像写真)

作者と作品の背景

エウジェン・ヤンソン:窓から動かなかった青の詩人

14歳のときに患った猩紅熱(しょうこうねつ)が原因で、ヤンソンは生涯にわたり視力と聴力の低下、そして慢性的な腎臓病に苦しみました。パリへ留学した同世代の画家たちとは異なり、経済的な事情もあって彼はストックホルムを離れることができず、ほぼ独学で絵を学びます。1891年、父の死後に家族とともに移り住んだソーデルマルム地区(Södermalm)のバストゥガタン40番地の自宅は、リッダルフィエルデン湾と旧市街を見渡す高台にありました。その窓から見えた風景が、彼の生涯のモチーフとなったのです。

ヤンソンの絵には人がいません。印象派が街の雑踏や人々の生き生きとした日常を描いたのとは対照的に、彼が描いたのは「都市の気分」——外の風景であると同時に、画家自身の内面の風景でもある、静まりかえった夜と夜明けの世界でした。同僚の画家たちは彼を「パラフィン・ヤンソン」と呼びました。彼の青い絵が、当時の家庭でまだ使われていたパラフィンランプの温かな光を想起させたからです。

  • 記憶で描くという方法論 ヤンソンは対象を長時間凝視して記憶に刻み込み、その後アトリエでスケッチなしに一気にキャンバスに描くという、当時としても特異な手法をとっていました。これは単なる技術的選択ではなく、目の前にあるものを「写す」のではなく、自分の内部に蓄積された感覚そのものを絵にするという、深い内省的姿勢の表れでした。

  • 孤高のアウトサイダー 聴覚障害もあってヤンソンは生来の内向的な性格をより深め、生涯を母と弟とともにソーデルマルムで過ごしました。1894年にストックホルムで初めて展示されたムンクの作品から強い影響を受けつつも、彼が到達した世界はムンクの「叫び」とは対極の沈黙——外界の喧騒を遮断した、光だけが生きている静けさでした。

  • 青の時代とその終焉 1890年代から1904年頃まで続いた「青の時代」の末期、彼は友人にこう打ち明けています。「私はすっかり疲れ果ててしまった。これ以上、今まで描いてきたものを続ける気力がない」。その後ヤンソンは筆を人体画に転じ、1915年に53歳で世を去りました。

作品の解説

《リッダルフィエルデン湾を望む夜明け(Dawn over Riddarfjärden)》1899年 油彩・カンヴァス 150×201cm プリンス・エウジェン・ワルデマルスッデ美術館蔵

《リッダルフィエルデン湾を望む夜明け(Dawn over Riddarfjärden)》1899年 プリンス・エウジェン・ワルデマルスッデ美術館蔵

夜明けの作品です。地平線に沿ってオレンジとエメラルドの光の帯が静かに広がり、その上空では青い渦が空全体を覆っています。水面はターコイズブルーに染まり、ストックホルムの尖塔のシルエットが、光の帯の前に黒く浮かびます。

「夜明け」でありながら、この絵には朝の解放感や躍動感がありません。むしろ静寂は夜よりもさらに深く、世界はまだ目覚める直前の息をひそめた状態にあります。光が「生まれてくる」瞬間を、ヤンソンは正確に捉えました。完全な暗闇でも昼でもない、その移行の瞬間——それは宇宙が最も繊細に揺れ動いている時間です。天空の渦巻く筆致は、その光が生きて動いていることを感じさせますが、その動きはあくまでも水平方向に広がる波であり、観る者に迫ってはきません。


《リッダルフィエルデン、ストックホルム(Riddarfjärden, Stockholm)》1898年 油彩・カンヴァス 150×135cm スウェーデン国立美術館蔵

《リッダルフィエルデン、ストックホルム(Riddarfjärden, Stockholm)》1898年 スウェーデン国立美術館蔵

この絵の前に立ったとき、まず圧倒されるのはその青の深さです。水面も空も、都市のシルエットさえも、すべてが同じ青の海に沈んでいます。画面の下部では桟橋のガス灯がいくつか光り、その光は放射状に広がるのではなく、水面に小さな渦を描くように、波紋となって周囲に滲んでいきます。

ここに、ヤンソンの光のきわめて特徴的な表現を見ることができます。光は鑑賞者に向かって直進してきません。光源はあくまでも遠く、水の奥深くに宿っているかのようで、その影響は静かな波紋として、じわじわとしか届かない。これはユリィがベルリンの夜に描いた垂直の光の「串刺し」とは根本的に異なります。ユリィの光が都市の喧騒を切り裂くとすれば、ヤンソンの光は水面を這うように広がり、鑑賞者に逃げる余地を与えながら、しかし確実に染み込んできます。

もしかしたら、この波紋状の筆致には、光との関わりをなるべく間接的なものにとどめておこうとする深層心理があったのではないでしょうか。直接的な光は、それを見た者の眼を焼き、感情を強制します。しかし波紋状の光は問いかけます——あなたはどこまでこの光に近づきますか、と。

《首都の郊外(The Outskirts of Town)》1899年 油彩・カンヴァス 152×136cm スウェーデン国立美術館蔵

《首都の郊外(The Outskirts of Town)》1899年 スウェーデン国立美術館蔵

ヤンソンの「青の時代」において、昼間の光を描いた数少ない作品のひとつです。郊外の農地の中に建てられた労働者向けの集合住宅が、白い壁面に午後の光を受けて輝いています。空は淡い紫がかった青に渦巻く筆致で覆われ、建物だけが光を放つ唯一の存在として、広大な原野の中に孤立しています。

夜の連作と比べると、この絵の光はより直接的に建物に当たっています。しかしそれでも、光は人を照らしていません。人の姿はここにも存在しない。光は建物という物体を照らすためにあるのではなく、この都市の外縁にある、名もない場所が「確かに存在すること」を証明するためだけにあるかのようです。

ヤンソンの光が私たちに与えるもの

ヤンソンの三作品を並べて見渡したとき、共通して感じるのは「光が静かに生きている」という感覚です。夜のリッダルフィエルデンでは、ガス灯の光が水面に渦を描きながら波紋状に広がり、夜明けのリッダルフィエルデンでは、地平線の光が天空まで渦を描きながら大気に溶けていきます。郊外の白い建物でさえ、光は渦を描く空の中で静かに呼吸しています。

放射状の光は、光源から鑑賞者へと直接向かってくる。それは光との相互干渉であり、見る者を光の中に引き込む強制力を持っています。しかし波紋状の光は違います。石を水面に投じたあとの波紋のように、それはどこまでも広がっていきますが、あなたが一歩引けば、その波紋はあなたを追いかけてきません。そこには光との距離を自分で決める自由があります。

ヤンソンが生涯にわたって窓の外を見つめ続けたのは、外の世界に直接踏み出すことなく、光と大気の動きを自分の内部に蓄積するためだったかもしれません。彼の聴覚障害は、外界との距離を物理的に広げました。しかしその距離こそが、彼に光を波紋として感じる鋭敏な感覚を与えたのではないでしょうか。

ムンクが光の中に人間の叫びを聴いたとすれば、ヤンソンは光の中に、人間の不在を描きました。そしてその不在の静寂の中にこそ、私たちが心の奥底で求めている「侵されない静けさ」が宿っているのかもしれません。

生成AIによる比較検証:光が「放射」したら何が変わるのか

《リッダルフィエルデン湾を望む夜明け》の構図・色調はそのままに、光の筆致だけを「波紋状」から「放射状」に変えた画像を生成AIで作成しました。

【原画:ヤンソン】


【AI生成:放射状バリエーション】

二つを見比べると、その違いは一目瞭然です。

放射状に変えた途端、光は地平線の一点から鑑賞者に向かって直進してきます。構図も色も同じなのに、絵の前に立つ者が受ける感覚はまったく異なります。原画では「そこに光がある」と感じるだけで、こちらは静かに眺めていられます。しかし放射状になった瞬間、光はこちらを「選んで」照らしてきます。逃げ場のないスポットライトのように。

水面にも同じことが起きています。原画の波紋は光を水平に広げ、鑑賞者との距離を保ちます。放射状では光の柱が水面を垂直に貫き、真っ直ぐこちらへ向かってきます。

ヤンソンが波紋状の筆致にこだわったのは、意図的であったかどうかにかかわらず、光との間に「余白」を作るためだったと、この比較は教えてくれます。



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