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#33 Frantisek Kupka(フランティシェック・クプカ)形を持つ光


《Plans par couleurs(色面の構成)》1910–1911 Centre Pompidou, Paris(ポンピドゥーセンター蔵)

はじめに

フランティシェク・クプカ《色面の構成(Plans par couleurs)》(1910年-1911年、ポンピドゥーセンター蔵)は、具象を残しながら、抽象画へと突入していく過渡期の作品です。形の抽象化のみならず、光を分解しスペクトラムの色として表現することろに、抽象化への方向性が見られます。

フランティシェック・クプカ

作者と作品の背景

フランティシェック・クプカ:光を構造として描いた画家

フランティシェク・クプカは、20世紀初頭の抽象絵画の形成に関わったチェコ出身の画家です。

  • 光の構造への関心 クプカは色彩理論やニュートンの光学、分光の概念を参照しながら、「色は光の現象である」という考え方を前提に制作を進めました。彼にとって色は、物の表面を説明するための手段ではなく、光が分解され知覚されるかたちそのものでした。

  • 隠れた法則を可視化する クプカは自然を支える「隠れた法則(hidden laws)」に注目し、芸術はそれを可視化する手段として捉えました。「光と運動こそが物質を貫き、溶解する二つの力である」とも述べています。

  • 色面の構成が制作された時期 《色面の構成》が制作された1910年-1911年は、こうした思想が具体的な絵画として結実し始めた時期にあたります。ここでは色面そのものが、光の分解と再構成を思わせる構造として配置され、光は描写されるものではなく、画面を成立させる原理として扱われています。

作品の解説

《Plans par couleurs(色面の構成)》1910–1911 Centre Pompidou, Paris(ポンピドゥーセンター蔵)

《Plans par couleurs(色面の構成)》1910–1911 Centre Pompidou, Paris(ポンピドゥーセンター蔵)

この作品はバレエダンサーでしょうか。レオタードを着た女性のシルエットに縦じまの光が絡み、幾何学的模様と有機的な形が融合しています。本来の光の色、白色を、何層にも分解した図と言えます。

黄色の大きな面は、画面の明度の基準として働き、全体の「明るさの場」を成立させます。対して、左側の暗い領域は影として物体に付随するのではなく、明るい色面と拮抗する面として置かれ、画面の奥行きと密度を支えています。

この作品の核心は、光が「当たる結果」として描かれていない点にあります。光源・反射・影という説明を省き、色面の量、境界、透過感、対比によって、光の内部構造として描かれています。つまり、色は物体に付随する要素としてではなく、光を構成する独立した要素として描かれています。

《Disks of Newton(ニュートンの円盤)》1912 Philadelphia Museum of Art

《Disks of Newton(ニュートンの円盤)》1912 Philadelphia Museum of Art

ニュートンの円盤ではさらに抽象度を高め、色を光を構成する要素として、またそれが運動している様子を描いています。これはニュートンが発見したニュートンの円盤(光は七つの色により構成されている)のクプカによる発展形です。

ニュートンの円盤

生成AIによる比較検証:印象派との分割の次元の違い

【原画:クプカ】


【AI生成:ルノワール風バリエーション】


二つを見比べると、同じ人物・同じ構図でありながら、光の扱い方がまったく異なることがわかります。

印象派の筆触分割は、混色による濁色を避け、純粋な色を表現するための手法です。絵の具を混ぜずキャンバスに細かく塗ることで、光をその構成要素である色に分解しました。ルノワール風バリエーションでは、温かい光が人物に降り注ぎ、色が筆触の粒子として溶け合っています。遠目に見ればグラデーションに近づいていく——それが印象派の分解です。

クプカの分解は次元が一段違います。印象派が光を「色の集合」として分解したとすれば、クプカは光を「空間を構成する要素」として分解しました。色面は人物に付随するのではなく、空間そのものを作り出しています。どこまで行っても色面はグラデーションとして溶け合うことなく、その独立性を保っています。

印象派は光の表面を分解した。クプカは光の構造を分解した——この違いが、抽象絵画へと向かう決定的な一歩でした。

抽象画とは何か

抽象画とは、形が意味を持たなくなった絵画です。純粋に色と形だけの世界——そこに描かれた形は、何かを指し示すためにあるのではなく、色と形それ自体が表現の主体となっています。

この定義に照らすと、ピカソは抽象画を描きませんでした。キュビスムでどれほど形が崩れていても、その形には意味がありました。崩された顔は依然として顔であり、分解されたギターは依然としてギターです。形の意味は失われていない。

ですから、抽象と具象との間のグレーゾいうのは存在せず、どちらか一方です。

クプカの色面分割はを見るとそこには形の意味が見いだされません。光を空間の構成要素として分割した色面は、「そこにその形でなければならない」という必然性を超えています。色面は何かを描写するためにあるのではなく、空間そのものを構成するために存在しています。その意味で、光の分割はすでに抽象画と言えます。

ただしクプカは完全に光だけを描いたわけではありませんでした。人物も併記していたために、具象と抽象が一つの画面に共存しています。これは変容の途中経過ではありません。すでに部分的には抽象画である——混在という状態が、クプカの独自の到達点だったのです。

冒頭に過渡期と述べましたが、これは具象から抽象への変容の途中段階ではなく、すでに抽象として確立されたものと具象との混在を指しているのです。


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